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「禅の響 -ZEN no OTO- | 手向」手を合わせる事での自分への向き合い方

いつからだろう、手を手と合わせる行為をするようになったのは。
この国は、常に自分の中の心を向き合う心を大切にしている。
私はそうした、ほのかな感覚が好きである。
手向る事は遥かに多くを伝えられる。
数えきれない程の別れは、数えきれない程の感謝に繋がる。
私はいつも心に手向たい。

 人が亡くなる事は、とても悲しい。しかし亡くなった方を思い出す時は優しい思い出ばかりです。手向はそうした思いが混在している曲のように思います。


 私は、いつも食事をする時と終える時に手を合わせます。そうすると不思議と動植物の命への感謝であったり、食材や料理を作った方への敬意を持つ事ができます。自分自身が料理したとしても、この瞬間に食べ物を口にできる事に奇跡を感じます。食事以外でも手を合わせる事が良くあります。どんな時でも、手を合わせると謙虚な気持ちにさせてくれます。とても不思議な動作です。

 40歳を過ぎると同級生でも誰が亡くなったなど、風の便りで耳にする事があります。信じられない気分になるのと同時に、身近であればあるほど、もっと会っておけば良かったと思うものです。ただ会うだけが、どれだけ幸せな事か普段忘れている事にも反省します。

 今年、103歳であった祖母が他界しました。私に芸術の種を植えてくれたとても大切な人です。祖母を思い出す時、私は子供に戻ります。祖母の家に遊びに行くと、ジュースなどないものですから、お茶に砂糖を入れた「お茶ジュース」を出してくれます。それが特別においしかったです。何しろ、祖母の家でしか出ないものですから。祖母とお絵かきや粘土、ちぎり絵で遊んだ事も思い出します。初めてトロロ芋を祖母の家で食べて感動した事も忘れられません。高校になって東京で初演奏をする時にも、一緒に来てくれて、心から喜んでくれました。その時に演奏した「峯の月」は亡くなる最後まで大切にしてくれていました。亡くなる前まで、祖母は「私の頭の中にはみんながいるから寂しくない」と。そして、私に託す言葉を沢山残してくれました。

 今回、かけがえのない家族の追悼を込めて、私的ではありますけれど、吹禅させて頂きました。

 祖母の様々な人生の思いを感じ、私との思い出を一つ一つ心にし。

 常に自分に人に手を合わせて生きられますように。

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