目指すは紙上の舞【エッセイ】
年が改まって初めての投稿になります。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
年始を襲った衝撃的な災禍。罹災された方々、ご家族・ご友人の方々には心よりお見舞い申し上げます。
被害がこれ以上拡大しないこと、今もなお苦しんでいる人たちに物資と人的支援が、医療や慰みが行き渡ることを切に願っております。
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殺伐としたニュースや言論が飛び交う中に「天災に乗じて現地入りしてくる音楽家や芸術家に気をつけろ!」という投稿が目に入った。
東日本大震災の際、慰問コンサートと称して未発表の自作ばかり演奏していった音楽家がいたらしい。
確かにその彼は不届き者だとは思うのだが、皆が皆、剥き出しの自己顕示欲で動いているわけではないだろうし、何よりも被災地ビジネスをするような人間を「音楽家/芸術家」と呼べるかどうかの疑問も残る。興行家と言った方が適切ではなかろうか。
芸術が芸術そのものなのか、芸術が何かの手段なのか、という問題はいつから存在していたのだろうか。人間が言語論理偏重の存在になり、それらが貨幣や価値と結びついてからな気がしている。
そういえば、美術館に作品ではなく解説文を観に行くような人を揶揄する投稿も見かけた。
もちろん自分に返ってくる批判でもあるのだが、言語や思考を介さずに受け止めるのが芸術のあるべき姿なのだと思う。とかく論理家や批評家になりたがるのは現代病の一種だろう。
一方で、文芸とは言語で織りなす芸なわけであって、言語を介さないわけにはいかない。自身も作品を書いている中で、ついつい説明文が多くなってしまうことがあり、言語と芸術の矛盾にはよく苦しめられている。
メキシコの詩人オクタビオ・パスは詩論『弓と竪琴』の中で、散文を歩行に、韻文を舞踊に喩えている。ここでの散文と韻文とは形式のことではないのだろう。歩行でどこかに行くことはできても、芸術的な営みをするのは難しい。やはり舞踊が必要なのだ。
舞踊といえば、昨年ほとんど手つかずになってしまった「葬舞師シリーズ」2ndシーズンを再開させようと、あれこれ画策している。そのなかでなぜ頓挫してしまったのか理解してしまった。
まさに「散文の物語」を書こうとしていたからだ。1stシーズンのあとがき的なものにも書いたように、アレは小説ではなく「叙事詩」であり「神話であり」、散文体で書かれているものの、18万字の舞踊だったのだ。
2ndシーズンに入ろうとして気が緩んでしまったのか、ついつい物語を書こうとしてしまった。そこに齟齬が生じて急に書けなくなってしまった。
アシュディンが踊るように、ハーヴィドが鳴らすように、著者も踊って唄わなくてはならなかった。現在軌道修正中だが矢口は果たして踊れるか、、、
かねてより男女問わず歌って踊るアイドルが好きなことを公言しているが、新年既に幾つかの嬉しいことがあった。
一つ目は、二次元でありながら確実に現実に食い込んでいるアイドルコンテンツ、IDOLiSH7(通称アイナナ)に登場する4ユニットがそれぞれ新曲をリリースしたこと。中でも特に推しているTRIGGERの「KISS IN THE MUSIC」が本当に素晴らしくて。ライブ以外では音源しか発表されていないのだけど、踊っている3人の姿が見えてくるよう。そう、声そのものが踊っているんだ。上手な歌や感動的な歌は数多くあれど、こういう曲に出会えることは少ない。声優さんって本当に凄い。
誰もが何度だってTRIGGERに恋をする。進化し続ける彼らの暫定完全形態とも言うべき新曲を、ぜひぜひ聴いてみてください!!
そして二つ目、かれこれ25年以上応援しているアイドルグループの元メンバーのトークショーに当選しました〜\(^o^)/
僕はどちらかというと自宅で延々と曲を聴いたり動画を見るタイプの在宅ヲタなのだが。たまたまご縁のあった企業さんの主催で近所に来るとのことで、ダメ元で応募してみたらなんと当選!! 小さなキャパなので近くで観れるかも? むちゃくちゃ楽しみにしている。
ということでシリアスな話からミーハーな話までしてきたが、今年も創作活動をしっかりと確保していきたい所存。目指せ、紙上の舞。
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#note書き初め
ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!