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34 皇帝陛下の観相学 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

34 皇帝陛下の観相学


「俺は、かつて帝国伝統舞楽団ダアル・ファーマールを追われた第5代正統楽師エル・ハーヴィドの末裔。ふたりの正統を前にして〈退け〉とは何たる無礼。追放は不当だ。ここは〈俺たちの庭〉だ!」
 ハーヴィドの雄叫びにナドゥア老師は一瞬たじろいだが、すぐさま己の役割に立ち返った。
「な、なにをたわけたことを。もういい! 衛兵はわたしが呼ぶ!」
 棒立ちの団員たちの合間をくぐり抜け、棟の出入り口へと歩みを進める老師。靴音が硬く鳴り響く部屋に、ふと穏やかな声が流れ込んできた。
「待ちなさい、ナドゥア殿」
 そのタイミングで神殿の扉から一歩前に出た人影があった。
「ジールカイン老師長!?」
 ナドゥア老師はその声の主が誰なのか分かっていたが、改めて目視して思わず声を漏らした。老師長。帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールの正統に次ぐ第二権力、老師団のトップにあたる人物だ。
 初老の小柄な男性。白髪と白髭に囲まれた顔にはたくさんの皺が刻まれていた。穏やかそうに見える表情を浮かべているものの、老獪のようにも見えた。
「お主、いまエル・ハーヴィドと言ったかの?」
 ジールカインはゆっくりと歩み寄りながらハーヴィドに語りかけた。
「エル・ハーヴィドの名を語るのであれば受け継いできたものがあるはず。その楽器を、見せてはくれないか?」
 時を計ったかのように、言い終わったところで楽師の傍まで辿り着いた。身長差が老人に見上げさせた。腰の曲がりもあって体勢が若干つらそうだ。
 ハーヴィドは老人の眼下に跪くと、背負っていた楽器ヴィシラを床に置いた。胴の一箇所と棹の二箇所で結び留められた紐を解いて、覆い布をゆっくりと開く。卵を縦に割ったような胴は黄金に輝き、そこから長く伸びる棹は地を這う溶岩のように深い赤と鮮烈な紅の波を示していた。
「ヴィシラ……じゃな」
 ハーヴィドはこくりと頷いた。
 ジールカイン老師長は視線を楽器から斜め上へと移し、かつて自身らが追放した正統血統の舞師を見やった。
「アシュディン。この楽師殿はお前が連れてきたのか?」
「はい」
 老師長はその返事を聞いてほんの少し顔を綻ばせ「そうか……では……」と言いながら、棟の出入り口の方角へ足を進めた。
「ふたりともついて参れ。宮廷をうろつくのならば、皇帝陛下にいちどお目通りをせねばなるまい」
「ジールカイン老師長!?」
 ナドゥア老師が駆け寄ってきて抗議の顔を浮かべた。
「大丈夫、ナドゥア殿は何も悪くない。しかし〈伝説の正統ふたりの百代を経た帰還〉となれば、丁重にお迎えせねばなるまい。たとえ現正統がなんと言おうともな」
 老師同士の短いやり取りの間に、ハーヴィドは楽器を包んで背負い直した。
 〈現正統〉という言葉を聞いたアシュディンは「なぁ、老師長。姉さんは?」と呼び止めるように訊ねた。
「正統は今、勤労感謝祭レイバー・フェスの打ち合わせに市街に出ておるよ。今年は特に大変そうじゃの、団員もこんなに減ってしまってはな……」
 老師長は歩きながらぼやいて、まばらな団員たちの顔にそれぞれ視線を送った。
 アシュディンは《団員を除名しているのは姉さんではないのか?》と訝しみつつ、先を行く老師長の背中を追いかけた。ハーヴィドもさらにその後を追った。


 玉座の間にて跪く舞師と楽師。その横で老師長は立ち尽くして、謁見の時を待っていた。
 現在の皇帝、歴代15代目の君主が即位してから12年が経つ。大陸の統治は歴代の皇帝がほとんど済ませ、今や外敵の侵入もなければ内乱もない。平和を象徴するかのごとく気さくな人柄で、その皇帝は人気を博していた。
 しばらくして、奥の扉からひとりの男が現れると「あー、よいよい。おもてを上げよ」と俗っぽく言って雑に玉座に腰を下ろした。存在感のある鼻梁が顔のど真ん中にそびえ、短く刈り揃えられた髭が顎全体を取り巻いている。野生的な顔立ちだ。それらが上品な詰襟の衣装と相まって、言い知れぬ威厳と自信に満ち満ちていた。ファーマール帝国皇帝・ムドファーマル II世 48歳は、まだ男盛りの只中にある。
 アシュディンは言われた通り顔を上げ、ハーヴィドは低頭したままでいた。
「アシュディン、健勝そうで何より。しばらく見ない間に逞しくなったように見えるが、いったいどこで何をしておった?」
「はい、ラウダナ国にて舞踊の見聞を広げておりました」
 舞師の青年は堂々たる態度で答えた。
「そうか、それは殊勝なことだ。またお前の舞を見れるのが楽しみで仕方ないぞ」
 皇帝が笑顔でうんうん頷いていると、ジールカイン老師長が一歩前に出て軽く頭を下げた。
「皇帝陛下。それにつきましては正統の沙汰次第ということで、この場はご容赦くださいませ」
「そうなのか? 儂はアシュディンの舞が好きだぞ。母の三回忌でも世話になったしな。もちろん現正統の流麗な舞も申し分ないものだが、なんだかお前の舞がないと、ちと寂しくてな」
 そう言って皇帝は小さく口を尖らせた。アシュディンは低頭して「もったいなきお言葉にございます」と畏まった。

「陛下。恐れながらアシュディン帰還の報告と併せまして、ひとつご相談が」
「うむ。隣の男のことだな」
 老師長と皇帝の視線が揃って楽師に向かった。玉座の間にいると、その屈強な体つきは英雄のように見えた。華奢なアシュディンと並ぶと殊更だ。
「はい。私の一存で団に迎え入れようと考えております。本来なら正式な手続きを経るべきところですが……」
「ふむ、色々と事情がありそうだな。その者、おもてを上げよ」
 ハーヴィドがゆっくりと顔を上げると、王宮の壁の白さと対比されて褐色の肌が一際目立った。皇帝はその瞳の奥の微かなグレーを見逃さなかった。
「異国の者か? 名はなんと申す」
「ハーヴィドと申します。孤児院のゆえ姓は持ちません」
 アシュディンは横で《そうだったのか!》と一驚を喫した。ハーヴィドの出自は2代目ハーヴィド・トルシカと全く同じ経緯いきさつだったようだ。
「ほう、しかしその名は我が国のものであろう?」
「はい。帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマール所縁ゆかりがございます」
 ハーヴィドもまた、終始落ち着いた様子で皇帝の問いに答え続けた。
 何度か軽いやり取りを済ませると、皇帝は「ふむ……良いのではないか」と言って顔を綻ばせた。
「そなた、澄んだ目をしているな、気に入ったぞ。儂はこう見えて観相学に精通しておってな。心にやましい事が1ミリでもあればこの瞳のフィルターに引っ掛かるよう日頃から訓練を絶やさないのだ」
 皇帝は自身の右眼を指差して2、3回まばたきをして見せた。
「……」アシュディンが俯いて肩を震わせている。ジールカインが呆れた顔をして口を開いた。
「皇帝陛下……一昨年は他国の外交官に言いくるめられて不平等な条約を結ばされたばかり。昨年は第二夫人と秘書の共謀したハニートラップに引っかかったばかりではありませんか。貴方様の観相学ほどアテにならないものはございません」
「ぬぅ、そうか? まあこの者はきっと大丈夫であろう。なんせアシュディンとジールカインが連れてきたのだからな!」
《ぶはっ、それもはや観相学でも何でもないだろ!》アシュディンは笑いを堪えきれず、人知れず肩を跳ねさせた。お約束の展開なのだろうか、皇帝の懐の広さが感じられる掛け合いでもあった。

 謁見が和やかな雰囲気で終わろうとした頃も、楽師は自身の使命を忘れていなかった。
「恐れながら皇帝陛下にお頼み申し上げたいことがございます」
「なんだ? 言うてみよ」
 ハーヴィドは皇帝の足元のずっと手前の床を見据えながら述べた。
「私がこの国に参りましたのは、舞踏団に所縁のある祖先の業績を確かめるためにございます。つきましては帝国正史の調査をさせていただきたいのです」
「ふむ、祖先の業績とな。それは良い心がけだな。学者たちに言って図書館を使えるようにしておこう。ただ、そなたの風貌はなかなか目立つ。あらぬ嫌疑をかけられぬよう、調査の際にはジールカインが同伴しておいた方が良いかもしれぬな」
 皇帝がちらりと目線をやると、老師長は「はい、そのように」と慇懃な態度を取った。変わり身の早さから察するに、やはり老獪なのかもしれない。
「ところでアシュディンよ。お前にどうしても言っておかねばならぬことがある……」
 不意に口調を改めた皇帝。身を乗り出しながら切り出された話には妙な緊張感が漂っていた。アシュディンはますます頭を下げて「はっ、皇帝陛下、何なりと」と声を張った。陛下と対面するときは身に覚えがないことでもまず畏まるべきだと、長年受けた訓諭が体に染み付いている。
「……いい雰囲気じゃないか、その男と」
 粋人の笑み、きらめく瞳。皇帝は完全に面白がっていた。
「……」アシュディンは真っ赤に染まった顔を二度と上げられなくなった。
《コイツいったいどんな明け透けな恋愛をしてきたのだ?》と、ハーヴィド本日二度目の冷ややかな眼差しが青年に刺さった。


 玉座の間を後にした3人。中央の庭園に出たところで、アシュディンが宮中の召使いたちに取っ捕まった。美形の舞師の帰還にキャッキャ色めく女性陣。ここでも彼の人気の高さが窺えた。
 取り残されたハーヴィドは、謁見を終えたことに安堵して長いため息をついた。
 ジールカインはその気持ちを察してか「これでひとつ筋は通せたかの」と呟いて、楽師の緩んだ顔を見上げた。
 ハーヴィドは老師長に向き直って一礼をした。
「老師長、過分なお心遣いをありがとうございます。しかしなぜ私を受け入れて下さったのですか?」
 唐突な問いに、ジールカインは短く息を吐いて《いよいよ本題か》と腹を括った。
「老師長だけに口伝で伝わってきた短い文言があっての。ディ・シュアンさまの遺言だそうだ。〈真っ赤に燃えるヴィシラをたずさえし、エル・ハーヴィドという名の楽師がもし団を訪れたら、必ず迎え入れてやってほしい〉とな」
 それはいったい何代の口から耳へと伝えられたのだろうか。老師長は天を仰いで《まさかわたしが見届け人になろうとはな》と感慨に耽った。
 この日はじめて会ったはずの老師長。ハーヴィドは彼の遠い眼差しに自身と共鳴するところを感じ、しばらく口を慎んだ。懐古の時を邪魔する事ないように。そして改めて口を開いた。
「──もうひとつお訊ねしたいことがあります」
「なんじゃ?」
「アシュディンのことです。宮廷の者には慕われ、団員からは尊敬され、皇帝陛下の信頼も厚い。そのような男がなぜ正統に選ばれず、そればかりか団を除名追放などという事態に陥ったのです?」
 ごもっともな指摘にジールカインは眉を顰めた。遠い目のままアシュディンを見やると、彼は昔馴染みの面々と歓呼の声を交わし合っている。庭園に咲き乱れる花もまた、彼の帰還を祝福しているようだ。
「そうじゃな、きちんと話さねばなるまいな。しかしその前に、我々には大きな〈ひと仕事〉が待っておるぞ」
 ハーヴィドは首を傾げた。入宮からずっと続いていた緊張からようやく解放された彼には〈ひと仕事〉など想像もつかなかった。
「今頃、舞踏団の棟では現正統がお主たちを待ちかねているところだろう。どう転んでも皇帝陛下のように簡単には説得できまい。心して、戻ることにしよう」
 その言葉にハーヴィドの背筋にぴんと一本の糸が張ったようになった。
 一方で、アシュディンは過ごし慣れた庭園の真ん中で青年らしい賑やかな時を堪能した。しかしそのいとおしい時間がほんの束の間であることは、ちゃんと頭の隅にあるようだった。


── to be continued──

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