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26 塗り替えられた伝統 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

26 塗り替えられた伝統


「アシュディン。お前は〈ただの憑依トランス〉と〈ダアルの占断〉の違いはどこにあると思う?」
 ハーヴィドに問われたアシュディンは、全くお手上げだという風に首を傾げた。
「それは舞占師と楽占師、双方の占断の〈一致〉だ。一致を必須条件にすることで占断の確度を上げ、それだけでなく、ひとりの憑依トランスが虚偽の占断をせぬよう、暴走せぬようにと互いに見張ったのだ」
 ハーヴィドは卓上の書をパラパラとめくり、あるところで手を止めた。
「ここから読むのが良いだろう。今から173年前、エル・ハーヴィドとディ・シュアンの〈始まり〉の前の日だ」

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【エル・ハーヴィドの日記】

帝国暦92年3月31日
 親愛なるディ・シュアン。いよいよ継承の儀だな。正統を継承する前からこっそりと君の名に〈ディ〉の称号を冠して呼んでいたが、そんな戯れも今日までだ。明日、俺たちは正式に正統を受け継ぐ。君は第5代正統舞占師に、俺は第5代正統楽占師となり〈エル〉の称号を得る。
 伝統と血とに振り回されて悩むことも少なくなかったが、こうして晴れの舞台を迎えられることを心から嬉しく思う。君が俺の相棒で良かった。明日は公的には初めての占断になる。大丈夫だ。俺たちが外したことなど一度もないのだから。君を信頼している。両親と老師たちに目に物を見せてやろう。

帝国暦92年4月3日
 親愛なるディ・シュアン。継承の儀での君の舞は素晴らしかった。俺のヴィシラもいつもに増して冴えていた。それもすべて君のおかげだ。君の所作のひとつひとつが俺の音を高めてくれた。未だにあの恍惚のさなかにいるようだ。俺の音も君の精神を昂らせていたことを願ってやまない。
 何より、占断が一致して良かった。俺たちが一致しないことなどこれまでなかったが、実は儀式の日は少しばかり緊張していたんだ。それでも、君と俺とはあの舞台でまったく同じ景色を見た。それこそが未来が正しいことの証左だ。あれだけ鮮明に見えたんだ。きっと間違いないだろう。これからもよろしく頼む。

帝国暦92年7月13日
 親愛なるディ・シュアン。見たか! 俺たちの占断は見事に的中した。俺たちはヴェルズ川の氾濫を予見したんだ。舞楽ダアルの最中に見えた映像そのままだったな。正直、俺は快感に打ち震えたよ。ずっと訝しげだった大臣たちの顔があの日一変した。堤防の準備が間に合ったことが不幸中の幸いだった。本当に良かった。
 君のおかげだよ、ディ・シュアン。これからは俺たちの時代だ。ここは俺たちの庭だ。共に帝国伝統舞楽団ダアル・ファーマールを牽引し、帝国と民たちを守っていこう。

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「こんなこと、できるわけがない! 呪術や迷信の類だ」アシュディンは興奮して立ち上がった。
「正直、俺にも信じがたい。だがな……ちょっと座って目を瞑ってみろ」
 アシュディンが大人しく座って目蓋を閉じると、ハーヴィドは彼の手に何かを握らせた。
「これが何だか分かるか?」
「?……これは……ラウダナ国の銀貨か?」
 アシュディンは銀貨の表面を親指で確かめながら答えた。他の硬貨とは違って植物の図が描かれていたため手触りで分かりやすかった。
「そうだ。そのまま少し待っていろ」
 次にハーヴィドは壁に立てかけられたヴィシラを持ってきて、さらりと異国風の曲の一節を奏でた。
「今の曲がなんだか分かるか?」
「お前がダルワナールと共演したときの曲だ。あの憎たらしい顔がすぐ浮かんで──」
「お前は今、目蓋の裏にラウダナ銀貨とダルワナールの顔を〈見た〉のだろう?」
 アシュディンは《確かにそうだ》と頷いた。しかしそれがどう占断に繋がるかまでは思い及ばなかった。
舞楽ダアルの真髄はそのような複合的な超感覚にある。皮膚の感覚から、聴覚から、五感の全てから得た表象を組み合わせて絵にしていくのだ」
 ハーヴィドはエル・ハーヴィドの日記をある場所から一枚一枚めくっていった。
「書の後半には、そのような超感覚を養うための手法が網羅されている。影の落ち方から太陽の動きを把握する、足裏で地熱を測る、掌の感覚で風の動向を読む。
 そして楽師側にも、ヴィシラの音の軟硬で湿度を測ったり、楽師の音と舞師の動きの時間差で地球の自転を把握する手技まで書かれている。
 それらの複雑な情報を元に、頭の中に未来の映像を組み立て、恍惚トランスの状態で見る。恍惚トランスに至るために、舞師と楽師がそれぞれの技巧で互いの神経を昂らせる。それが……舞楽ダアルの占術だ」

「で、出鱈目だ。俺は……こんなことは一切教わっていないし、団にもそんな記録は……団内に楽師がいた記録さえ残っていない!」
 まったく信じようとしないアシュディン。何らかの映像を頭に描くところまでは辛うじて理解できても、未来を見るなど馬鹿げている。
 ハーヴィドは《それもやむを得まい》と思い、また別の切り口から話し始めた。
「国境付近の村落でお前のダアルを初めて見た時、正直、世俗の舞師かと思った。俺の知る舞楽ダアルと違って音への敬意がなかった。楽器ヴィシラとの共演がまったく想定されてなかった」
 ハーヴィドはあの日〈こんなもの俺の知るダアルではない〉と言って立ち去ったのだった。
「しかし、天才舞師の名をアナグラムにしたお前の名前を聞き、そして帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールの最も高貴な舞踏衣を見て、俺はずっと考えていた。お前が〈伝統を知らない〉のではなく〈伝統の方が変わった〉のではないかと」
 そしてハーヴィドは長くアシュディンの傍で彼の舞を具に見て、ひとつの結論に至っていた。
「その証拠に、お前の舞を構成する基本的な動作や所作はこの書の記述にほとんど忠実だった。変わっていたのは楽器ヴィシラに紐付けられているかどうかだけだ。そこからさらにひとつの仮説が導かれる。〈伝統が軽視され守られなくなった〉のではなく〈誰かがある時点で塗り変えた伝統がその後も守られ続けた〉のだろう、と」
「意図的に伝統を塗り変えた? いったい誰が?」アシュディンは目を見開きながら訊ねた。瞳孔も少しばかり開いていた。
「俺は、それを先導したのは第5代正統舞占師ディ・シュアンではないかと睨んでいる」
 その仮説には説得力があった。
《……確かに、彼がダアルの礎を築いたと言われているし、正統舞師の名から〈ディ〉の称号が消えたのは6代目からだ》
「伝統の軌道修正、その契機となったのはおそらく帝国暦97年に起こった〈星天陣の舞の失敗〉だろう。ふたりの正統継承から5年後のこと。そして、第5代正統楽占師エル・ハーヴィドが団を追放されるきっかけにもなった事件だ」
 アシュディンはあまりに多い情報量と、そのひとつひとつの現実味のなさに混乱し、言葉を失っていた。ハーヴィドはその様子に気付いて、話をはたと打ち切った。
「……今晩はそろそろ寝よう。話し過ぎたな、悪かった」と言って、舞師の肩に置いた手を滑らせて卓上の書を閉じた。
「この日記はここに置いておく。好きに見てくれて構わない」


── to be continued──

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