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13 自虐と自堕落 (*LR18)【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

【注意】本話には性的表現が含まれます。ネット小説レーティング同盟の基準に賛同しており、本話はLR18(具体的な性描写があるも心理描写を重視している)に相当します。


13 自虐と自堕落


 少年を納得させるのに1時間もかかった。医者に診てもらった時間はたった5分だというのに。

 医者の見立てではハーヴィドの怪我はおのずと完治に向かっているようで、元々の帯とさして変わらない、伸縮性のある太めの帯を渡されただけ。「これでも巻いとけ」と言わんばかりの冷たい対応に、アシュディンはますます貴族街への心証を悪くしたのだった。
 そして一行は遂にザインの叔父の家へと辿り着き、三人の旅はここで幕引きとなった……ように思われたが、そうではなかった。ザインは押し黙ったまま、アシュディンの服の裾を掴んでずっと離さなかった。「しばらくラウダナにいるから」「お前に黙って突然消えたりしないから」などといくら説明しても、ザインは頑なにその手を開かなかった。
 母を亡くした心の傷がまだ癒えていなかったのか。いやザインにしてみれば、単純に旅が終わるのが寂しかったのだ。怖いこともあったけれど、終始ワクワクしていた。アシュディンたちとの別れが刺激的な冒険の終わりを意味していることを、少年はその血気で直観していた。結局、方便ではないが「定期的に遊びに来る」「いつかまた旅をする」といった約束を取り付けて、ようやく開放してもらえたのだ。三人の旅には〈続き〉の可能性が残された。

「寂しいのはあいつだけじゃないのにな」
「それはあの齢ではまだ分からないだろう」
 叔父の家から宿へと向かう道すがら、アシュディンとハーヴィドは〈小さな弟〉の話ばかりをした。
 そして実は、ザインがふたりを好いたことが思わぬ功利を生んでいた。叔父がふたりのために、格安で市民街に宿を取ってくれたのだ。村落からの手紙で、亡き妹のためにアシュディンが葬舞ダアルを演じてくれたことは知らされていた。そればかりか、見ず知らずの甥っ子を送り届けてくれる、と。
 しかし叔父はそのような無償の誠意に少なからず疑念を抱いており、もやもやした感情を抱えたまま一行の到着を待っていた。彼が真にアシュディンたちを信用し感謝したのは、ザインの明るい顔を目の当たりにしてからだった。その気持ちが宿の融通に直結したのだ。郊外での野宿生活も辞さないと考えていたアシュディンたちにとって、ザインは幸運を運ぶ天使となった。

 客室の戸を開けた途端、アシュディンは感動に打ち震えた。
「ふ、ふ、ふ、布団だーーーっ!」
 木綿わたを詰めた四角い袋が眼下に広がる。燦々と輝いて見えるそこへアシュディンは躊躇ためらいなくダイブした! 厚みのあるものではなかったため、着地の瞬間に床とぶつかる音がした。しかしそんなことはお構いなしに、アシュディンは「むしろとは大違いだ〜」と言いながら、身を丸太のようにして右へ左へ転がってみせた。
 嬉々として布団と戯れるアシュディンをよそに、ハーヴィドは楽器ヴィシラやテントやたくさんの荷物をひと所に纏めて置いた。そして布団には指一本触れることなく「俺は今からマホガニーの流通を調査してくる」と、素気なく部屋から出ていこうとした。
 アシュディンはそのあまりのストイックさに「えっ!?」と驚愕の声を上げた。
 ハーヴィドは寝そべる青年を横目で見下ろしながら「今すぐにでも楽器ヴィシラの修繕をしたいからな」と言い残して、立ち去った。
「マジかよ、長旅の果てに用意された布団を目の前にしてよくそんなことが言えるな」アシュディンは今度は腹這いになり、地上の楽園を抱くようにして離さなかった。

 ──しかしそんな蜜月も束の間のこと。布団とはすぐに長年連れ添った夫婦のようになった。仰向けになっていちど深呼吸をする。石造り部屋は決して狭くなかったが、旅で大自然を満喫してきたばかりのアシュディンには窮屈に感じられた。  
 そして今はハーヴィドの姿もなければザインもいない。寡黙な楽師もおっとりとした少年も。
《話し相手がいるって心地良かったんだな、俺ばかりずっと喋ってたけど……》 部屋の静けさを強調するように、遠くで石工の繰り出すハンマーの音が響いていた。

 あまりの手持ち無沙汰に、アシュディンはつい先ほどの光景を思い返した。
《あのひと、すげぇ美人でセクシーだったな》
 貴族街で出会でくわした女性、ダルワナール。その体つき、扇情的な眼差し、艶かしい所作が次々と脳裏を掠めていく。しかしアシュディンは、彼女の幻影の傍らにある別の人影を見ていた。あからさまに挑発されても全く動じなかった男。楽器や木にばかり熱くなっていて、性にこれっぽっちも興味がなさそうなのに、当人がもっとも性的な空気を漂わせている男のことだ。
《今まであんまり意識してこなかったけど、ああやって女性と並ぶとハーヴィドって妙に……》

 途端、ドクンと心臓が脈打った。全身の血液が一箇所に集まっていく感覚を覚えて、アシュディンは突として自身の下半身をまさぐり始めた。声を押し殺しながら、快感の赴くままに右手を動かす。
〈アシュディン……〉勝手に浮かんでくる声があった。息遣いや肌の感触があった。ハーヴィドのものではない別の……それらを振り払おうとして、背を丸めたり仰け反らせていると、そのうちに声の主が誰かも分からなくなった。体の布団に接したところから次第に汗ばんでいく。息が荒くなる。そして──絶頂に達し、持て余す若さを放出したとき、傍には誰の姿もなかった。
 延べて薄くしただけの孤独が、宿の小部屋にしゃをかけていた。《おれ、なにやってるんだろう?》 答えのない、問いですらない語の羅列には、どんな箴言どんな聖句よりも真実味があった。少なくとも、この時この若者にとっては──

 ややあって、アシュディンは布団からガバッと身を起こした。窓から覗く空はすでに暗くなりはじめている。部屋を見渡すも楽師はまだ帰ってきていないようだ。
「駄目だ、俺も何か始めないと! 売り込み、売り込み!」
 アシュディンはざっと身なりを整えて、夜の街へと飛び出した。市民街区にふたつある歓楽街のうちの西の方を選んだ。北東の酒場に行けば、あの女性に出くわすかもしれない。決して会いたくないわけではなかったが、妙な妄想に巻き込んでしまった罪悪感から、無意識にその方角を避けた。

 西の歓楽街は仕事終わりの職人や商人たちでたいそう賑わっていた。店に入り切らない男たちが通りまで出て、酒を酌み交わしながら笑い声を上げている。祭りというわけでもなさそうで、アシュディンは《これが日常なのか?》と目を見張った。
 ファーマール帝国では、酒が振る舞われる日は儀礼日程との兼ね合いで厳格に定められていた。平素も禁止されているわけではなかったが、不文律として皆ひっそりと呑んでいた。
 アシュディンは昼夜の違い、文化の違いに衝撃を受けながらも、これから始めようとしている〈夜の仕事〉に期待を持てそうな気になった。
「よしっ。手前の店から手当たり次第に行ってやる!」アシュディンは世人の合間をすり抜けて、第一の酒場の前に辿り着くと、吊り下げのドアベルを意気揚々と鳴らした。

「ダンサーの枠はもう全て埋まってるんだ、また機会があればな」

「悪いが他を当たってくれ。うちに踊れるスペースなんてないんだ」

「は? ダアルだって? あんな時化しけた踊りを見てたら酒がまずくなるだろう」

「踊りなら欲しいんだけどなぁ。男の舞なんて誰も観たがらないよ」

「ワンステージ 500yan でどうだ? まあステージ使用料として 2,000yan 取るけどな。がーっはっはっはっ」*1yan=1yen

「商売の邪魔だ、呑まないなら帰れ!」

 売り込みは全滅だった。売り込むまでも至らない。舞を見てもらう以前に、まともに話すら聞いてもらえなかった。
 早々に心が折れて、雑踏の中でひとり座り込むアシュディン。その脳裏にふと帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールで過ごしてきた日々が思い返された。

〈アシュディンさまはたいへん上達が早い。あなたさまのご成長こそが老師一同の慶びです〉

〈こらっ、お前たちはアシュディンさまとは違う練習メニューだよ。皆、よく修練して早く追いつけると良いな〉

〈アシュディンさま、アシュディンさま!!
螺旋蛇らせんへびの舞」を観せては頂けませんか!?〉

〈もはや「葬舞」においてアシュディンさまの右に出るものはおりませぬ〉

〈故左大臣の「三日月の儀」はアシュディンさまにご登壇を願うしかなかろう。技量においても格式においても、他の者では務まるまい〉

 ──アシュディンは頭をぶんぶん振って、現実に立ち返った。これはツケが回ってきたということだろうか。人生の禍福の総和はゼロになるように定められているのだろうか。
〈おおかた天賦の才とその顔で許されてきた口だろう〉
 これは偶然出逢った旅の楽師に言われた言葉だ。今や打ち解けて仲間になった者の言葉とはいえ、この時のアシュディンには、傷口に塩を塗られるように痛く響いてきた。

《ははっ、やっぱり俺、外の世界じゃ何もできないんだな。誰にも必要とされてないや》

 自虐的な想いが頭を駆け巡っていく。辛辣な言葉で脳がパンパンになる。しかし不思議なことに身体からだの方は至極静穏として、全く諦めようとしていなかった。無意識に立ち上がると、脚が〈最後の一軒〉を求めて勝手に街を彷徨い始めた。
 肉体の活動と制御こそが、どんな感性どんな知性よりも尊い。舞師の体がずっと証明し続けてきたことを、ひと晩にも満たない時間で捨て去るわけにはいかなかった。


── to be continued──

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