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32 なんべんでも鐘を鳴らせ 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

32 なんべんでも鐘を鳴らせ


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【エル・ハーヴィドの日記】

帝国暦117年10月7日
 愛するディ・シュアン。俺が団を追放されてから20年の月日が経った。君は目を覚ましただろうか? 君が元気に舞っていることを今も遠くから願っている。
 俺はトルシカを外に出すことに決めた。息子にはハーヴィドの名と、ヴィシラと、ダアルの真髄を記したこの日記を託すつもりだ。自分で孤児院から引き取っておいて、ひどい親だろう? 言い訳はしない。
 俺は君と守り抜いてきた舞楽ダアルの伝統をどうしても捨てきれなかった。そればかりか血の繋がりもない息子に託そうとしている。これこそが俺の人生最大の罪だ。地獄に落ちることを覚悟してこの決断を下した。しかし俺の罪は断じて、君に呪術をかけたとかそんなくだらないものではない。
 20年か。俺の冤罪はそろそろ晴れたか? 君は俺の無実を証明してくれたか?
 ずっと同じことを思い悩んでいたら、ここにきて少し疲れてしまったようだ。
 エル・ハーヴィドは今日限りで死ぬことになる。残るのは、世間の嫌われ者たちを束ねる名もない老楽師と、ハーヴィドの名を継ぐ若い天才だけだ。
 万が一にも、俺の子孫が〈俺たちの庭〉に帰れる日が来るのなら、その時はどうしても、君が愛してくれた〈ハーヴィド〉の名で戻りたかった。君に気付いてほしかったから。最後まで女々しい俺をどうか許してほしい。

 シュアン、愛しい人
 これで本当にさよならだ

ハーヴィド

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《ヴィシラの伝統は、血統ではなく法統だったのか。エル・ハーヴィドとハーヴィドの間に血の繋がりはないんだな》
 アシュディンは日記を閉じて、何気なくその外観を眺めた。
《木箱に書かれていた〈ハーヴィドへ〉という文字、やすりで消されていた部分にはきっと〈エル〉と書かれていたのだろう。正統楽占師の称号だ。木箱をトルシカに、つまり2代目ハーヴィドに手渡す時に、その称号を自分で消したんだろうな。エル・ハーヴィドにこの箱を贈ったのは、やはりディ・シュアンなのだろうか?》
 外では雨がしとしと降り続いていた。今日でもう3日目だ。村落での舞楽ダアルの占断が的中したことになる。それでもアシュディンは《この時期の雨なんて珍しくないし、降るって言えばいつかは降るんだ》と頑なに占術の存在を否定した。否定しようとしていた。
 東西に伸びる山脈の南の麓にあるファーマールの帝都。風向きによっては霧が立ち込め、今日のような鬱々とした空気が街を包む。なぜこんな土地に帝都を構えたりしたのだろうか。アシュディンが以前から抱えていた疑問は、気候の良いラウダナでの生活を経てますます強くなっていた。
「あ〜、辛気臭ぇっ!」
 ムシャクシャして髪を掴むと、湿気と皮脂とでベトついた感触がさらに苛立たせてきた。
《明日いよいよ帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールに帰るんだよな。帰れるかな……》
 運命の日を目前に控えて、アシュディンとハーヴィドは城下町の宿に一泊していた。散々雨に降られて汚れた服と体で宮廷に足を踏み入れるわけにはいかなかった。

 キィと音を立てて扉が開いた。
「アシュディン、買ってきたぞ」
 びしょ濡れのハーヴィドが部屋に入ってきて、懐から取り出した袋をテーブルの上に置いた。彼が身を挺して守った甲斐あって、袋はさして濡れていない。
「ああ、サンキュ。悪いな、帝都ここは俺の方が詳しいのに」
 アシュディンは空笑いで礼を述べて、窓から雨の降り頻る街を見やった。ここではアシュディンは有名人だ。人目を避けた結果として、ハーヴィドがひとり買い出しに出かけたのだった。
 帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールの正統血統者アシュディン。父母は彼が幼い頃に祭祀中の事故で亡くなっており、しばらくは正統不在の状態が続いた。しかし彼は若くしてすぐに頭角を現し、天才舞師ディ・シュアンの再来とも呼ばれ、数々の儀礼や祭典の中心でダアルを披露してきた。帝都の民であれば、アシュディンの姿を目にしたことのない者はほとんどいない。そしてその華やかな顔立ちと肉体美は、誰もがいちど見たら忘れられないほどだった。
「感傷に浸るのは腹がへってるせいかもしれんぞ?」
 ハーヴィドは髪を拭き終えると、袋からパンを取り出してアシュディンに手渡した
「ん、そうだよな。空腹じゃ何もできないよな」
 ひと齧りする青年。パンは濡れていないはずだが、湿気しけた感触で歯にまとわりついてきた。彼はまた深くため息をついた。

〈いつもの強気に振る舞っている彼女が本物とは限らない〉それはダルワナールのことを言ったものだったが、同じことをアシュディンにも感じていた。
 青年が仕事を見つけられずに落ち込んでいた時、恐ろしい光景を見て病みかけていた時、そして今この時も、ハーヴィドは人をうまく鼓舞することの出来ない自分と向き合うたび、もどかしさに胸が張り裂けそうになっていた。
《俺もいい加減、変わらねばならぬか》
 ハーヴィドはアシュディンの向かいに座った。そしてテーブルの上に投げ出された青年の右手に自身の手を重ねた。
「アシュディン、俺はお前のことをもっと知りたい」
 骨張った手、皮膚の厚くなってざらざらした指の感触、そして雨に奪われた体温がそこにあった。
 青年はおもむろに口を開いた。
「俺さ、お前にはこうして落ち込んでる姿をたくさん見せてるけど、本当は底抜けに明るいんだ。自分に言い聞かせてるとかじゃなくて」
 ハーヴィドは〈知っている〉という風に頷いた。
「この窓からは見えないんだけど、帝都のど真ん中を宮廷まで走る大通りの途中に、でっかい鐘塔しょうとうがあるんだ」
 アシュディンは言いながら、空いた左手を窓の方にかざした。ひさしに跳ねる雨粒に触れるみたいに。
「小さい頃、宮廷を抜け出してはそこに忍び込んで、よく悪戯したんだよ。6時と12時と18時に鳴らす鐘なんだけど、時間でもないのに勝手に鳴らしたりしてさ。でもなぜか鐘守かねもりのジジイは俺のこと怒らなかったんだ。団に戻れば結局、両親と老師たちから大目玉食うんだけどさ」
 遠い目をして眉を翳らせる横顔にハーヴィドは見惚れた。特別な思い入れを話す青年は美しかった。
「12才くらいの時かな、正統とか血統とかの意味が朧げに分かってきた頃だ。むしゃくしゃしてて、いちど鐘守のジジイに噛み付いたことがあるんだ。〈あんたが俺を怒らないのは俺が正統の血統だからなんだろ!?〉って」
「その老人はなんと?」
「〈バカ言うな〉って。〈鐘を鳴らすのに血統もクソもあるか、鐘は祈りだ、時間通りじゃなくていい、なんべん鳴ったっていい、若いのが勝手に鳴らして都民に祈りの時間をくれるのを咎める必要がどこにある?〉だってさ。ほんと変なジジイだったよ」
 アシュディンは老人の言葉を一言一句違わずに繰り返した。
「俺が初めて葬舞を手向けた人なんだ。老師団からは散々止められた。〈次期正統の初仕事なんだからもっと権威ある仕事を選べ〉って。でも15のガキは我儘を貫き通したんだ」
 ハーヴィドはアシュディンの顔に次第に精気が戻っていくのを見取った。
ダアルも鐘と一緒で祈りだ。ジジイのおかげで、俺は伝統とか血統の重圧に押し潰されず、やってこれたんだよ」

 アシュディンはハーヴィドの手をそっと解いて、両方の拳を腹の前で握りしめた。
「いちど腹が決まっちまえば後は何もかもが順風満帆だった。お前も言ってたけど天賦の才みたいなものは自覚してたし、それなりに努力してきた。身に余る評価も貰ってて、あとは正統継承の儀を迎えるだけだった。帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールの正統を引き継ぐのは男子だけだ。幸いこれまで男子が産まれないこともなかった。父の代までずっとそれで通ってきたし〈次は俺の番だ〉って覚悟はできてた」
 アシュディンは握った手を緩めて、テーブルの前に組んで置いた。
「でも俺が18歳の誕生日を迎えて、継承の儀を目前にして、老師団がとんでもないことを言い出したんだ。〈女性も候補に入れて、真の正統を決めるための演舞会を行う〉って」
 ハーヴィドは耳を疑った。しかしアシュディンは彼を差し置いて結論まですっ飛ばした。
「その演舞会で俺は負けたんだよ、姉さんに」
 長い沈黙、その間に取り出そうとしたのは慰めの言葉だったが、楽師は「……解せぬ」と団への不信感を露わにするくらいしかできなかった。
「二百数十年も続いた伝統を、老師団ごときが勝手に変えるなど。許されるはずがない」
「原因のひとつは正統不在の期間が長く続いてしまったことだ。俺が8歳の時に両親が死んでから10年、その間はずっと老師団が指揮をとっていたから、裏では伝統を変えようという話が何度も持ち上がっていたのかもしれない」
「そうだとしても、正統継承の第一位をいきなりないがしろにはしないだろう」
「あとひとつは……俺の問題かな。もしかしたら、俺が正統を継いだら血が途絶えるって思われてたのかもしれない」
「……それが、姉と恋人の裏切りというやつに繋がるのか」
「ああ。青天の霹靂だった。演舞会の前夜に、もう一度姉さんと話そうと思って部屋に行ったんだ。そうしたらアイツが部屋にいてさ……」
 アシュディンはその先は口にしなかった。代わりに、そのとき姉が口にした言葉が脳裏にしつこく反響した。

〈正統の教育係なんて影の存在で終わるよりも、次期正統の父親になる方がずっと名誉の興があるんじゃないしら?〉

「なあ、ハーヴィド。お前、崖から転げ落ちたことってあるか?」
「幸い、その経験はないな」
「俺もないよ。でもないはずなのに、なぜかその感覚が分かるんだよな。まだ落ちるのか、まだ落ちるのか、止まれ、止まれって」
 痛々しいリフレインが耳につく。
「おかしいよな。正統になりたかったわけでもないのに、ジジイの言う通り〈血統もクソもあるか〉って思ってたはずなのに。いざそういう状況に落とされたら全然集中できなくて演舞会はボロボロ。その先は、正直あまり覚えてないんだ。朧げに記憶してるのは、まだ転がり落ちてる最中の俺に向けられる、冷たい視線と〈除名だ〉とかいう声。いったいなんだったんだろうな、あれ。気づいた時は身一つで夜逃げしてた」
 途中からハーヴィドは再びアシュディンの手を取っていた。両手で両手を包み込むように。
「辛かったな」
 こくりと頷く青年。ハーヴィドは握る手にぐっと力を込めた。
「明日、ぶっ飛ばしに行くぞ」
「──!?」
 その目は本気だった。
「なぁ、ハーヴィド、お前いつか自分で〈平和主義者だ〉とか言ってたけど、いったいどこが? カースィムのことも乱暴に投げ飛ばしたっていうし、〈野蛮人〉って呼ばれても仕方ないぞ?」
 慰めるつもりが逆になだめられた。ハーヴィドは何度か瞬きをして、突然「そうか!」と何か閃いたような声を上げた。
「ん?」
「いや、俺はお前のことになると己の主義を見失うんだな」
 その言葉にアシュディンの頭の中でぼんっと爆発が起こった。
「バ、バカ! 急に変なこと言うなよ!!」
 青年は恥ずかしさのあまり、握られた手を振り解こうとした。しかしハーヴィドはがっちりと固めて離そうとしない。
 ふたりで窓の外を見やった。雨はまだ降り注いでいたが、奥に広がる雲には微かに光が透けていた。
「ありがとうな。俺、明日ぶっ飛ばしてきていいかな?」
「ああ、一緒に帰ろう。帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールへ」


── to be continued──

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