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38 変革は未来を担う子のために 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
前話の振り返り、あらすじ、登場人物紹介、用語解説、などは 【読書ガイド】でご覧ください↓

前話

38 変革は未来を担う子のために


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【ディ・シュアンの日記】

帝国暦92年3月31日
 親愛なるハーヴィド。明日は継承の儀か。あまり気が進まないな。お前は私のことを〈ディ〉の称号をつけて呼んでいたが、正直そんな戯れはやめてほしかった。正統という肩書きの重みに押しつぶされそうだ。

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 老師長を中心に日記を取り囲む3人は、それぞれ目をぱちくりさせた。
「……これ本当にディ・シュアンさまか? 肖像画の雰囲気とあまりに違うというか、陰キャ?」
「こっちの日記との温度差が痛々しいな。恋仲とはエル・ハーヴィドの勘違いだったか?」
「これお前たち、なんと畏れ多い! 続きを読んでいくぞ」

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帝国暦92年7月15日
 愛するハーヴィド。先日、ヴェルズ川が氾濫した。占断は当たってしまった。仕事が済んでほっとした反面、恐ろしくもなった。先住民たちは何という秘儀を我々に残してしまったのだ。
 お前が喜んでいたから、仕方なく私も笑った。しかし初仕事からこんな調子で、私はこの大任を無事に務め上げることができるのだろうか。

帝国暦93年、親愛なるハーヴィド。台風襲来。また占断が当たってしまった。

帝国暦95年、虫害まで当たるなんて。舞楽ダアルの占断はとどまることを知らないのか。

帝国暦96年、帝都に地盤沈下が起こった。愛するハーヴィド。私は舞楽ダアルが怖くて堪らない。

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「両極端なふたりだったんだな。この怖いって感覚、俺にはよく分かるよ」
 アシュディンは自身の憑依体験を振り返って同情した。
「よくよく考えれば、ディ・シュアンの受け止め方のほうが普通か」
「ふうむ、こうなるとますます〈星天陣の舞〉のことが気になってくるの」

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帝国暦97年9月13日
 親愛なるハーヴィド。君は気づいているか? 私の精神はすっかり病魔に蝕まれている。分かっている。原因は舞楽ダアルだ。今や舞ってなくても〈見えて〉しまうようになった。それが悉く当たってしまう。下らないものから恐ろしいものまで。未来の映像が重なり合っていくと、目の前にある現実が分からなくなる。私の視界を他の人が見たら発狂するに違いない。
 来週の〈星天陣の舞〉を終えたら、引退を申し出ようと思う。継承からたった5年だ。老師団からは反対されることだろう。しかしお前にだけは味方でいてほしい。どうか、私を助けてほしい、どうか。

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「ディ・シュアンさまの異変にエル・ハーヴィドは全く気付いてやれなかったのか……」
「簡単に言うな、アシュディン。察するに当時の舞楽ダアルは国の命運を賭けた一大祭祀じゃ。司祭のひとりとして、感情を表に出すことさえ憚られたのじゃろう」
 アシュディンとジールカインのやり取りを、楽師は複雑な思いで聞いていた。
「で、肝心の〈星天陣の舞〉の占断は?」
「ちょっと待っておれ、ん〜」
 老師長は書の中身を行ったり来たりした。
「次の日記は、1年後のようじゃな」
「1年後だって!? ディ・シュアンはそんなにも長い間、眠りこけていたのか?」

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帝国暦98年10月7日
 愛するハーヴィド。久々に筆を取った。お前は今どこで何をしているのだろうか? 私が目を覚ました時、お前は既に団を去っていた。私は精神に異常を来たした後、2ヶ月のあいだ意識を失い、更にそこから2ヶ月は病床を離れられなかった。
 4ヶ月のあいだ体を起こすこともなく、ろくに栄養も取らなかった私は、舞うことができなくなった。痩せぎすになり脚は木の枝のようだ。肋骨や背骨の数まで正確に数えられる。でもこれで、後腐れなく舞楽ダアルをやめられるか。
 お前が不当な追放を受けてから、ちょうど1年が経つそうだ。何もしてあげられなくてすまない。

帝国暦98年10月8日
 親愛なるハーヴィド。昨日の今日でまた筆を取ってみた。占断の結果を報告するのを忘れていたからだ。
 隕石襲来メテオ・ストライクは確かに起こった。お前の占断の通り半年後に。
 私が気晴らしの遊山に連れて行かれたあの日、帝都の空を光が包んだ。怨めしいほどの輝きをたたえた隕石が斜めに落ちてきて、激しい爆発と共に帝都は半壊した。多くの犠牲者が出た。団の舞師も楽師も無事ではなかった。私はたまたま助かったんだ。
 後に知ったことだが〈星天陣の舞〉の占断は老師たちの手によって闇に葬られていた。一致しなかったのだから仕方あるまい。そして今、隕石の痕跡すら歴史から抹消されようとしている。しかしそのおかげで私は咎を受けずに済んでいる。あれほどの天変地異を予見できなかったのだ、罪人つみびと以外の何者でもない。
 ハーヴィド、これで満足か? 今こそお前に問いたい。舞楽ダアルに意味はあるか?

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「ディ・シュアンさまが舞えなくなっていたなんて……」
「寝たきりが1ヶ月続くだけで筋肉量は半分になると言われているな」
「熟練した舞師は1日修練を休んだら取り返すのに10日かかるとも言われておる。絶望して自暴自棄にもなるじゃろうな」
 しかし3人とも、その日記に肩透かしを食らわされているような感覚に陥っていた。
「とりあえず占断はエル・ハーヴィドひとりが当てたってことは分かった。でもディ・シュアンさまは自身の占断結果にまったく触れてない。本当に何も見えなかったのかな?」
「慌てるな、まだまだ続きがある」

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帝国暦98年10月9日
 親愛なるハーヴィド。君に向けて手紙を書いていたら、急に舞いたくなったよ。ぜんぜん無理なのにな。

帝国暦98年10月10日
 愛するハーヴィド。舞いたいよ。

帝国暦98年10月11日
 ハーヴィド。舞いたい。でも俺には、

帝国暦98年10月12日
 親愛なるハーヴィド。どうしようもなく舞いたい。でも、どうしようもなく体が動かないんだ。

帝国暦98年10月13日
 ハーヴィド。心が舞っている。なのになぜ、なぜ、私の体は動かないんだ!?

帝国暦98年10月14日
 愛するハーヴィド。会いたい。君に会いたい。君は知っているのだろう? 私の体を動かす方法を。私は舞いたいんだ。力を貸してくれ、音をくれ、ハーヴィド!!

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「……」
 突然の文体の変容と悲痛の発露に3人は言葉を失った。
「アシュディン、ここから先はお前が読むのがいいかもしれんな」
 差し出された日記を受け取ったアシュディンは、その先を黙読で進めていった。
 舞への情熱を蘇らせ、かつての盛期以上にたぎらせたディ・シュアンはその後、過酷とも言える修練の日々に明け暮れた。
 1年後になって10秒間の片足立ちができるようになった。2年後には1分間の練習ができるようになった。3年後には簡単な舞を達成し、4年後に端役として舞台に立った。5年後にはようやくひとりで主役を演じた。
 ──10年後、それまで正統補佐に譲っていた第5代正統舞師としての仕事を、すべて自らの元に取り戻した。
「……執念だな」
 ディ・シュアンは天才舞師などではなかった。地獄の底から這い上がった不撓不屈の舞師だったのだ。
「あ、これが最後の日記だ」
 アシュディンが後ろの白紙の頁をパラパラ確認しながら言った。

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帝国暦113年4月1日
 親愛なるエル・ハーヴィド。お前に謝らなくてはならないことがある。私は自分の舞への情熱を叶えるがために、舞楽ダアルの伝統を塗り替え、帝国ダアル伝統舞楽団・ファーマールを変革した。
 まず先住民たちが太古から行ってきた占断を捨て、ダアルを、皇族たちの信仰するスファーディ教と融合させた。スファーディ教は人の生死に重きを置いた穏健な宗教だ。ダアルとの相性は悪くなかった。
 そして宮廷内でヴィシラの演奏を禁止し、代わりに他の大陸より伝わったリュートを採用した。ふたたび舞うようになってから分かったことがある。舞師への神経昂奮作用はおそらくヴィシラの音色にある。ヴィシラでなければ憑依は起きず占断もできない。あの楽器さえ封じれば、舞師が精神を破壊されることはなくなる。
 しかしこの方策を無理に推し進めたことで、楽師たちとは完全に分離してしまった。舞楽団は舞踏団へと名前を変えた。お前が帰る場所を奪ってしまったことを、心から申し訳なく思う。
 最後に、子どもができた。この子はいずれ新しくなった帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールの正統を継ぐことになるだろう。未来を担う者たちのためにも、危険な思想は封印しておきたかった。分かってくれ、エル・ハーヴィド。

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「なんだかひどく事務的じゃの、冷たいのう」
「ずっと〈ハーヴィド〉って呼びかけていたのに、最後には〈エル〉の敬称が付いている。これじゃ最後に〈エル〉の名を棄てたハーヴィドとまるで逆だ」
「俺たちの、ハーヴィドの名を継いだ者たちの旅は、いったい何だったのだろうな……」
 やるせなさに打ちのめされているハーヴィド。

 アシュディンは彼に深く同情を寄せながら、暗澹たるこの場にせめて一条の光でも差し込まないかと、祈るように書に目を落とした。日記の後半部分を確認しながら、ひとつ気がかりな事があったのだ。
「……なあ。ただの俺の勘というか、希望なんだけど」
 アシュディンはそう言うと、書を裏表紙側からめくった。
「ここ、最後の頁が裏表紙に貼り付いてるんだよ。大事なものだけど、何も書いてないかもしれないけど、開けてみてもいいかな?」
 そこはエル・ハーヴィドの日記でも最後の告白があった場所だ。
 ハーヴィドの顔もジールカインの顔も反対していなかった。アシュディンが角からそーっと剥がしていくと、劣化した糊がパリっと音を立てて解放を許した。
 そこにはディ・シュアンの字がびっしりと敷き詰められていた。
「あった! やっぱりあったよ!!」

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【ディ・シュアンの日記〈最後の頁〉】

 どうしても、あの世には持ち込みたくない情念がある。もちろん〈星天陣の舞〉の占断についてだ。今ここで初めて告白をする。自らの手で伝統から棄て去った敬称〈ディ〉の名の下に。
 我が相棒、第5代正統楽占師エル・ハーヴィドは半年後の〈隕石襲来メテオ・ストライク〉を予見した。それは確かに私にも見えていた。しかしなぜか私だけが、その先にある更に恐ろしい未来を見てしまった。168年後に待ち受ける〈隕石群襲来メテオーズ・ストライク〉だ。
 帝都は全壊し、生存者はひとりとしていない。あんな物を見て発狂せずにいる者があるだろうか。誰が信じてくれるというのだ。子孫が死に絶えるなどという占断を、喜んで受け入れる者がどこにあろうか。
 人は今を懸命に生きるしかない。未来を見ることになんの意味も益もない。舞楽ダアルを封印したことは間違っていなかった。この悍ましい伝統が二度と蘇ることのないよう、冥府より祈り続けることにする。

 この日記と小瓶を壁の裏に隠しておく。私が本当に残したかったのは、舞楽ダアルの伝統などではなく、こっちの小瓶の方だ。お前への情と償いの念を掻き立てる、甘美な香りだ。ハーヴィド、素敵な思い出をありがとう。

シュアン

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 アシュディンは日記に添えられていた小瓶を手に取った。酸化して黒ずんだ油が栓にこびりついて開きそうにない。しかし、おそらくは2人で作った香油だろう。
「ほら! やっぱりディ・シュアンさまもエル・ハーヴィドのことをちゃんと想っていたんだよ。ふたりの愛は本物だったんだ!」
 アシュディンは浮かれ立って、日記と小瓶をふたりの目の前に差し出してみせた。

「……アシュディン」
「……そこじゃないだろう」

 ふたりとのテンションの違いに、青年は「へ?」と呆気にとられた。
「〈星天陣の舞〉から168年後とは今年のことじゃ。つまりディ・シュアンさまの予言に拠れば、今年中に、帝国を半壊させた隕石襲来メテオ・ストライクを超える天変地異が帝都に襲いかかるということじゃ!」
「──へ!?」


── to be continued──

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