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37 継がれた魂の邂逅 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

37 継がれた魂の邂逅


 ハーヴィドの入団、アシュディンの帰還から数日後、ジールカイン老師長がふたりを宮廷庭園に呼びつけた。
「ハーヴィドどの、エル・ハーヴィドさまの日記をお貸しくださりありがとうございます」
 ジールカインは丁寧に言って、書をハーヴィドに返した。エル・ハーヴィドの経緯、そしてアシュディンたちの帰還の目的を知るために、老師長は夜通し日記を読み込んでいた。失われた舞楽ダアルはことさら興味深いものだった。毎年、毎月、毎週、同じように繰り返される宮廷行事の日々の退屈に、大きな刺激を与えてくれた。
「老師長、何もこんなところで返さなくても。舞踏団の棟で良かったじゃん」
 アシュディンがもっとらしく言うと、ジールカインはにやりと笑ってふたりに背を向けた。
「調査をしに行くんじゃ。エル・ハーヴィドさまの業績をな」
 帝国暦98年に何が起きたのか。正史通り〈コメルト族の侵入〉か、それともエル・ハーヴィドの占断〈隕石襲来メテオ・ストライク 〉が的中していたのか。老師長が向いた先は学者棟に併設された図書館が構えており、赤煉瓦に風格を漂わせて3人を待ち受けていた。

「こういうのは正攻法が一番。正史を調べるには各年代に発刊された年表と年報を辿っていくんじゃ」
 つまり毎年製本される分厚い書を2冊、およそ170年分だと340冊の書を調査すべきだと、老師長は言っていた。
 棚一面に敷き詰められた書を見てアシュディンは目眩を覚えた。
「俺、こういうの無理。あとはよろし──」
「逃げるな」
 アシュディンの行動を先読みしていたハーヴィドは、首根っこを掴むのも早かった。
「しかし老師長殿、なにもこれら全てを調査せずとも〈星天陣の舞〉が執り行われた97年の前後数年を調べれば良いのでは?」
「ぬっ、お主はそんな手抜きをするのか? 歴史とは浪漫なんじゃ。こうして先達たちと書の手垢を共有しないと分からないこともあるんじゃよ!」
 ジールカインは豪語すると、指をペロッと舐めて年報の頁をめくった。
「老師長、お願いだから指ペロはやめて」
 アシュディンは切に訴えた。

 調査は、最初こそ慣れない書に苦労させられたが、構造とコツが掴めてくるとサクサク進み出した。アシュディンは各年代の年表で帝国暦97年の前後に何が起こったかを探った。ハーヴィドは年報を遡っていき、災害、民族の動向や帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールに関する記載を拾っていった。
「んーあー、ダメだ! どの年表にも97年の〈星天陣の舞〉のことは書かれてないし、98年に起こったのはどれも〈コメルト族の侵入〉だ。ずーっとこればっかり。隕石の〈い〉の字も出てこない」舞師は早々に飽き飽きしていた。
「こっちも同じようだな。そしてやはりどの年報にもコメルト族などという部族の詳細は記されていない。全滅したのか、それとも……」
 書棚から出された本が床に積み重ねられていった。そのうちにあれだけびっしり詰まっていた書棚の本の方が少なくなっていった。
「うーん、すべてエル・ハーヴィドさまの妄想だったのかの?」
 老師長はハーヴィドを前にして臆面もなく言い捨てた。楽師は聞こえないふりをして黙々と調査を続けた。

「ん、アシュディン、それ取り忘れているぞ?」
 ふと、ハーヴィドが棚に取り残された1冊の年表を指差した。
「ああ、それ? 帝国暦100年の記念号なんだけど、同じのが2冊あるんだよ。ほら!」
 アシュディンは足元に置かれた方の記念号を持ち上げて見せた。
「中身はちゃんと確認したのか?」
「え? そこまでしてないよ。記念号で大事だったから2冊残ってるんじゃないの?」
「……」
 ハーヴィドはつと立ち上がって書を手に取った。パラパラと頁をめくっていくと、
「これはっ!?」その手は不意にある所で止まった。

〈帝国暦98年3月24日 隕石襲来メテオ・ストライク
 帝都半壊、死者1700人、負傷者9100人 〉

「おい、あったぞ! 隕石襲来の記載だ!」
「マジ!? 見せて!」
 アシュディンは傍にある同じ装丁の年表と見比べた。
「見てよ、こっちでは〈隕石襲来〉のところが〈コメルト族の侵入〉に置き換わっているだけだ! 日付も死傷者数も完全に一致している」
 ジールカインも2冊の書を覗き込んで思わず声を上げた。
「ついに見つけたか、正史改竄の証拠じゃな」
 しかしアシュディンにはどうも腑に落ちないところがあった。
「なんで100年の記念号だけ2つの記載が? 99年の年表も98年の年表も〈コメルト族の侵入〉になっているから、既に改竄されていたはずの歴史が100年だけまた正しく書き直されたってことか?」
 そんなことあり得るのだろうかと首を捻った。ハーヴィドもこの問いを満足させられるような答えが浮かばなかった。
「簡単なことじゃよ、ほれ、貸してみぃ」
 ジールカイン老師長がハーヴィドの手から帝国暦100年記念号を受け取ると、表紙の裏側を開いてみせた。そこには〈寄贈〉の意を表す印鑑が押されている。
「この書はいちど市中に出たものが後になって戻ってきたんじゃよ。改竄されたのは100年以降、その時に図書館にある〈隕石襲来〉と書かれた年表は全て差し替えられた。しかし改竄が忘れ去られた頃になって、この書を誰かが寄贈したんじゃ。ちょうどアシュディンが中身を確認しなかったように、職員がお気楽に受け取ったんじゃろ」
 老師長の深い洞察が若いふたりを唸らせた。
 エル・ハーヴィドの占断の通りに〈隕石襲来〉は起きていた。しかしいったい誰に不都合だったのか、その歴史は書き換えられていた。


「はー、楽しかったの」
 図書館からの帰り道、たいそう満足げな老師長を横目に、アシュディンは《どこが?》と苦笑いを浮かべた。
「お前たちが帰ってきてから退屈しないわい。特にハーヴィド殿には礼をせねばな」
 ハーヴィドは唐突な名指しに首を傾げた。ジールカインは楽師の顔を見据えて、片側の瞳をキラリと光らせた。
「ディ・シュアンさまに会ってみたいじゃろう?」
 老師長はふたりをある場所へと連れていった。舞踏団棟の入り口と神殿の間にある前室。その奥の方にもうひとつ扉があった。老師団の衣装のポケットから鍵を取り出すと、解錠してその扉を押し開いた。

 幅の広い廊下のような部屋が奥まで続いていた。左の壁の高いところに曇りガラスの窓が設けられており、陽の光がわずかに漏れ入っていた。右側は神殿と接していて、ふたつの部屋が共有する何本かの石柱が半円状に迫り出していた。荘厳さの立ち込める部屋の3面の壁には、ぐるりと絵が飾られていた。
「これが帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールの歴代正統たちの肖像画じゃ」
 ハーヴィドはふと宗教的感情と妙な懐かしさに駆られて、一歩ニ歩と足を踏み入れていった。
「左手前から時計回りの順じゃ」
 ジールカインは初代正統の肖像画の前に立ち、人差し指で部屋を一周、楽師の視線を促した。
 肖像画は左側の壁に5枚、突き当たりの壁に1枚、右側の壁に5枚飾られている。ハーヴィドは歩いて一人一人の顔を拝みながら、左の一番奥にある絵の前で立ち止まった。
「と、いうことはこの方が?」
 楽師の問いかけにジールカインはしてやったりといった顔を浮かべた。
「その御方は6代目じゃよ。5代目正統舞師ディ・シュアンさまはその右隣、入口と向かい合って飾られてるこの御方じゃ。シュアンさまだけは永遠にこの位置なんじゃ。なんせ伝説の舞師じゃからの」

 華やかな顔立ちの美青年だ。長い睫毛とあどけない口元がアシュディンとよく似ている。〈正統〉などといういかめしい肩書きに相応しくない、明るく爽やかな面差しをしていた。
 ハーヴィドはディ・シュアンとまっすぐに対面した。祖先エル・ハーヴィドが半生をかけて愛した人。エル本人じゃなくても、血の繋がりがなくても、魂の継承を経て168年ぶりの再会を果たしたことになるだろうか。ハーヴィド自身にとっても、日記を読みながら憧れと好奇心を募らせていた相手だった。しかし彼は──
「アシュディンの顔の方が良いな」
 と予告なく惚気のろけた。このところハーヴィドの天然っぷりが甚だしく、その度にアシュディンは赤面させられる。空気のように扱われた老人は俄に高笑いを上げた。
「はっはっはっ、それでいいんじゃよ。安心したわい」と言ってなぜかアシュディンの背中をバシバシと叩いた。

 まだ肖像画に見入っている楽師をよそに、ジールカイン老師長は申し訳なさそうにアシュディンに話しかけた。
「もう分かっていると思うが、正統を決めるための演舞会を提案したのはラファーニさまじゃ」
「やっぱりそうだったのか」
「それまで老師団は女性が正統になるなど露ほども考えてもおらんかった。じゃがな、あの慎み深いラファーニさまが必死に嘆願してきた。その心意気を捨て置くことには、誰ひとり賛成しなかったのだよ」
「一応聞くけど、どうして?」
「お前は、姉がずっとここで祈りを捧げているのを知っていたか?」
「姉さんが!? いや、まったく」
 老師長はハーヴィドの横で、肖像画に向いて跪いた。
「週に一度、深夜になると彼女はここに来る。こんな風にシュアンさまに跪いて熱心に何かを祈っておる。もう何年もじゃ。最近はもう少し頻度が多かったか。そのラファーニさまが伝統をないがしろにするとは到底思えなくての、せめて話を聞いたという形だけでも整えてあげたいと思ったんじゃ」
 老師長はおもむろに立ち上がり、穏やかに膝を払ってアシュディンの方を振り返った。
「しかし蓋を空けてみたらなんじゃ、アシュディン! あの日の舞! あのざまは!!」
 急に飛んできた叱責にアシュディンは身を縮こませた。演舞会ではひどく動揺していたとはいえ、今となっては慚愧に堪えない思いだ。
「老師団は誰もがアシュディンが負けるなどとは思っておらんかったぞ。ただあの日のラファーニの舞は、気迫というか執念が凄まじかったの。こんなこと言いたくないが才覚も技術もお前の方がよほど恵まれておる。しかし団と伝統への想い、舞への気概、そして運、すべてを総合した結果、ラファーニさまという初めての女正統が誕生したんじゃ」
 アシュディンは、姉と老師団がぐるだと思い込んでいたことを心底後悔した。そしてなぜ姉は突然変貌したのか、なぜ横暴に団員たちを除名し続けているのか、その原因を突き止める必要に駆られた。

 ディ・シュアンとの邂逅を済ませ、肖像画の部屋を立ち去ろうとしたその時、ハーヴィドはふいに違和感を覚えて立ち止まった。
「老師長……ここは修練場の真下にあたる部屋ですか?」
「ん? そうじゃが、それがどうした?」
 ハーヴィドは踵を返すと、大股歩きで再びディ・シュアンの方へと向かっていった。と思いきや、振り返ってまた入り口の方へと戻ってきた。
 楽師は考え込んで部屋を一望した。違和感の正体を突き止めるために、あらゆる場所に焦点を合わせて具に観察した。
 ハーヴィドはひとつの結論に辿り着き、そこからある仮説を導き出した。
「……アシュディン、老師長。悪いが、俺は今から〈野蛮人〉になる。説教はあとにしてくれ」
 そう言って、鋭い眼差しでディ・シュアンの肖像画に眺め入った。
「は? お前、何言ってんだよ?」
 アシュディンの問いかけを無視して、ハーヴィドはディ・シュアンへと駆け寄っていった。金色の額縁に手が掛けられる。
「ハーヴィド殿、いったい何を?」
 狼狽えるジールカイン老師長。絵はお構いなしに外されて、床から右側の壁へと立て掛けられた。
「ハーヴィド! さすがに──」
 アシュディンが伝説の正統への非礼を咎めようとするや否や、ハーヴィドは絵のあった場所に強烈な肘打ちを食らわせた。ビィンと震えた壁をますますじっと睨みつける。
「なんじゃ!? やめんか」
 ジールカインとアシュディンが制止しようと駆け寄った。ふたりが辿り着く前に2発目の肘打ちが炸裂する。
 荒々しい打撃の数々。とりわけ頑強なハーヴィドに優男や老人が敵うとも思えず、ふたりはオロオロしながら彼の奇行を見届けていた。
 次第に壁がミシッと音を立て始めた。木板のひしゃげる音だ。壁が打ち破られようとしている。
「ハーヴィド、いい加減にしろ!!」
 アシュディンの怒声が飛んだと同時に、メリメリっと音を立てて肘が壁にめり込んだ。そこに両手を差し込んで闇雲に木板を剥がしていく楽師。間もなくディ・シュアンの肖像画のあった場所には、ぽっかりと穴が空いてしまった。
「──!? やはり」
 ハーヴィドは穴の先を見て呟いた。暴力的な振る舞いが止んで、アシュディンたちは恐る恐るその方へ近づいた。
「これは!?」
 壁の先には数十センチ程度の空間があり、空いた穴からひとつの木箱とひとつの小瓶が覗いていた。ハーヴィドはそれらを手に取って木箱の裏を見やった。自分の引き継いだ木箱と同様に、片隅に文字が記されていた。
 ポケットから出した鍵で鍵穴をカチャカチャといじり始める。すぐには開かないが、楽師は手応えを感じていた。差し入れを繰り返し、角度や力のかけ具合を微調整していると……
〈カチャッ〉解錠の音が鳴った。ハーヴィドの手によって2つ目の木箱が開かれていく。
「これはもしかして?」
 ジールカイン老師長の問いに、ハーヴィドはほぼ確実と思われる答えを用意していた。
「ディ・シュアンの日記だ」


── to be continued──

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