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火の揺らめきが届く範囲で生きたい【エッセイ】

ひと昔前のことだが、アロマセラピーにハマった時期がある。お気に入りのオイルはベルガモットとローズマリーだった。自分にとってはこの2つがまさに双璧で、作用なんかを調べては他のオイルを格上げしてみようと画策してみたのだが、体は正直なもので長続きしない。「理屈じゃねぇんだよ」と左大臣、「大人しく我らに従え」と右大臣。香りほど論理の通じない五感はないと思う。

アロマオイルの名はそっくりそのまま詩的言語になりうる。名が香りを表す。その香りは思い出を引き連れてくる。思い出は名の中に埋まっているのだ。拙著第一詩集の中では16編中3編で香りをモティーフにしている。ラベンダー、ミント、ヴァーベナ。それぞれの名が持つイマージュの泉がある。僕に限らず、多くの人がそこに思い出を埋葬してきた。詩の読者はその泉から各々のイマージュを取り出す。僕が流したものとは違う香りで。しかし若かりし僕は、ラベンダーと言って「トイレの芳香剤」をイメージする人がいることを想定していなかった。商品名は控えるが「香るアイマスク」なんかも念頭に置いてなかった。

わたしのなかで
咲いていた
ラベンダーのようなものは
みんなあなたにさしあげました
だからもう薫るものはなにひとつない

茨木のり子さんの詩「泉」の一節。薫るものはなにひとつないと彼女は言う。しかし詩の奥に、過去を振り返る彼女の奥に見つける妙齢の女性はラベンダーの香りに包まれているではないか。老齢の彼女は若い頃に拵えたポプリを身につけている、その痩せ衰えた肉体の、確固たる一部として。だから、なにひとつない……ではない……と望む気持ちが詩の香りとして漂う。詩の香気は重層的だ。

さて、アロマにハマっていたとき、もっぱらセラミック製のキャンドルホルダーを利用していた。キャンドルを収めるドームの上に皿が乗っかっていて、そこにオイルを垂らして使うものだ。キャンドルの炎が皿を温めて揮発したオイルの香りを楽しむようになっている。一般家庭でアロマを楽しむには、このほかに水面にオイルを垂らして超音波で拡散させるディフューザーや、木や紙に染み込ませたものをペンダントとして身につける、などの方法がある。しかし僕はキャンドル式のものを最も好んで使っていた。火は火事の原因となりうるし、スタンドの手入れも若干面倒なのだが、火にはどうしても火にしか醸すことのできない魅力がある。火の揺らめきを見ることで癒しを得ようとするキャンドルセラピーがあるが、キャンドル式のアロマセラピーだと一石二鳥になるというわけだ。

火の歴史。食物を焼く・燻る、粘土を焼いて器にする、金属を熱して打つ、古代からさまざまな用途で用いられてきた。その一方で信仰の対象としての火というものがある。拝火教という言葉を聞いたことがある人もいると思う。イラン発祥のゾロアスター教の別名で、信徒らが神殿内の炎に向かって礼拝をすることからこのように呼ばれている。その炎は最高神ザラスシュトラが灯したものとされ、今日まで絶えることなく燃え続けているという。

古代イラン人同じルーツを持つ民族がインド人である。アーリア人の中で西に行った者たちがイラン・アーリアン、東に行った者がインド・アーリアンだ。両者の文字史料を比較すると、火に対して共通する明確なイメージがある。そのため、火の崇拝はゾロアスター教よりもさらに遡って、インド・イラン時代から存在していたと考えられている。

イランでは太陽信仰と相俟って火の永遠性が拝まれたわけだが、古代インド人は火から立ち昇る煙が、人間が捧げた供物を天界の神々へと届けてくれると考えた(まるでアロマテラピー) 火は人間と神々の世界を媒介するものとして尊ばれ、その結果として神の恩恵による浄化作用や、魔類を焚砕する力を得ることが期待された。サンスクリット語で火を表すagni(アグニ)はそのまま神格の名として用いられ、『リグ・ヴェーダ』には火神アグニを讃える数多くの讃歌が盛り込まれている。

実用と宗教、物質と精神、永遠と刹那、恩恵と暴力、破壊と再生……火という概念が網羅する範囲はかなり広い。この神格化されるべくしてされた神アグニは、残念ながら後に力を失うことになる。紀元前ヴェーダの宗教ではインドラに次いで二番手のポジションにいたものが、紀元後のヒンドゥー教においては主神の座を譲り、一介の守護神へと落ちる。ヴィシュヌ、シヴァや女神たちとは違い単独で崇拝されることは少なくなる。素朴な自然崇拝から、より抽象的・観念的な力への崇拝へと変わっていったとも言えるし、自然が崇拝されるべき力を相対的に失った(人間が統治する世に変わった)とも考えられる*。

火を見て癒される、というのは、人の手によって整備された社会を抜けて、自然に帰ろうとする欲求を満たしてくれるものなのだと思う。火の持つ照射力、浄化力で事足りていた時代への憧憬だ。それは今の世にしてみれば、あまりに短い時間、狭い空間に限られた不便なものなのだろうが、案外それくらいがヒトの動物的感覚にフィットするのかもしれない。

本当は火の信仰についての詩を掲載するつもりだったのだが、長くなってしまったので今日はこの辺で。久々にキャンドルでも買いに行こうかな。


*アグニが相対的に力を失ったとはいえ、その祭祀は今日まで残り実践されている。agnihotra(アグニホートラ)はヴェーダにおけるアグニの信仰が、ヒンドゥー教やアーユルヴェーダに引き継がれたものだろう。また日本の護摩業のルーツもここにあり、火の崇拝は形を変えて残り続けている。


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