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18. 女将と劇作家【花の矢をくれたひと/連載小説】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。
↓過去話の振り返りはコチラより↓

【登場人物】

アビルーパ(愛神カーマ、悪魔マーラ)
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛神カーマの化身の1つ。ウッジャイニーに住む司祭バラモンの子息。

ダルドゥラカ
商人ヴァイシャ家系の子息で、諜報活動員スパイとしてアビルーパの父の僧団に潜入していた。

【前話までのあらすじ】

シヴァを射るための3本の矢を捜しているアビルーパ、それに協力するヴァサンタとダルドゥラカ。3人は首都パータリプトラで2本目の矢を得た。しばし観光を楽しんだ後、ダルドゥラカは幼馴染に会いたいがために花街へ行こうと誘った。嫌がるヴァサンタを置いて、アビルーパとダルドゥラカは2人で遊女館へと向かったのだった。

18. 女将と劇作家


 遊女の館の前まで来た2人。ダルドゥラカが扉を引くとキィと小さな音が鳴った。アビルーパはこの瞬間、虚構と現実が繋がったかのような奇妙な感覚を覚えた。
 足を踏み入れた先はすぐ待合室で、白亜の壁の内にはほのかな白檀の香りが漂う。ローズウッドのたくがまばらに置かれ、それぞれにむしろが添えられていた。配置はでたらめのようで、客同士が目を合わせないようによく考えられていた。華美な装飾や調度品はいっさいなく、アビルーパが想像していたよりもずっと質素な内装だった。
 奥へと続く廊下の手前に中年の女性が座っており、2人の来訪に気付いて立ち上がった。

「いらっしゃ……なんだ、アンタかい、ずいぶんと久しぶりだね」女性はダルドゥラカの顔を見て、途中から声色を変えた。その変容にダルドゥラカの表情も和らいだ。
「よぉ女将、1年ぶりくらいか。元気してたか?」
「アンタが聞いているのは幼馴染のあの子のことかい? それとも私のことを気にかけてくれてるのかねぇ?」女将と呼ばれた女性は試すような目つきで歩み寄ってきた。
「両方だよ。あいつも、もちろん女将もな」
「なんだい、相変わらずつまらない男だね。世辞のひとつも言えないようじゃ……おや、今日は連れがいるのかい。いらっしゃい」女将はダルドゥラカの巨体に隠れているアビルーパを見つけて声をかけた。アビルーパは思わずどぎまぎした。
「は、はじめまして」口に出た言葉はひどくたどたどしいものだった。
「はぁ、若い若い。こんなところではじめましてなんて言うもんじゃないよ。そもそも一期一会の世界なんだからね」女将は興醒めしたような顔をしたが、アビルーパのことを見据える瞳にはちゃんと親しみがこめられていた。そして振り返った先の卓上を見やった。そこには枡目ますめを引かれた盤があり、枡の内には大きさの揃った石がいくつも置かれていた。枡は部屋、石は客、館内の遊女たちの状況を確認するための道具だった。
「アンタらは運がいいね。あの子は丁度空いているし、今ならそっちのお兄ちゃんにもいい娘を紹介できるよ」
「お、そいつはありがてぇ。俺とこいつの分、これで頼むよ」ダルドゥラカは貨幣袋を取り出してそのまま女将に手渡した。女将は受け取ると、臆面もなく金をテーブルに広げて勘定しはじめた。

 慣れた態度のダルドゥラカに感心しつつ、アビルーパは徐々に自分が置かれている状況を理解していった。《一体どんな女性と会うのだろうか?》理想の女性を思い浮かべようとしたが、試みはうまくいかなかった。僧団には当然のように男しかいなかったし、地元で付き合いのある女性は中年か幼年ばかりだった。
 パータリプトラに来て初めて、年頃の美しい女性たちが陽気に振る舞う姿を目の当たりにした。その瞬間、たしかに自身の内に昂揚こうようするものを感じたのだが、一方で、彼女たちに対してはどこか現実離れした、自分とは縁が遠いような空気を感じ取っていた。だから遊女と対面した時に自分がどんな感情になるのか予想がつかず、どうも落ち着かなかった。

 ふと、アビルーパは待合室の片隅に佇む壮年の男を見つけた。頭頂で結ったまげから黒髪を肩まで落とし、窪んだ眼窩に、ややけた頬。細身で筋肉質な体。薄手の衣をゆるやかにまとい、筵の上に半跏趺坐の姿勢でいた。男は俯いていたが、アビルーパの視線に気付くとふと顔を上げて真っ直ぐ見返してきた。数秒の間、ふたりは見つめ合う。なぜか互いに目を逸らさずにいた。
《何だろう、この人、こんな目は見たことがない》アビルーパはその特異な視線に戸惑った。
「はい、いいよ! 遊んでおいで」勘定を終えた女将の上げた声にアビルーパは我に返った。ダルドゥラカは幼馴染の居場所を聞くと、アビルーパを置いてさっさと彼女の待つ部屋へと向かっていった。
 女将は遊女の部屋まで案内すると言いアビルーパを導こうとした。待合室を出て廊下に入る間際、アビルーパはいちど男の方を振り返った。彼はもうこちらを見ておらず、テーブルの上に紙を広げて黙々と何かを書き付けているようだった。

「あ、あの、女将さん」廊下を渡りながら、アビルーパは前を歩く女将に声をかけた。
「ん、なんだい?」
「さっきの部屋にいた男の人って……」アビルーパの言葉を遮るように、女将は深くため息をつき「まったく、詮索なんてよしとくれよ」と言って呆れた顔をして見せた。
「ですよね」とアビルーパは誤魔化そうとしたが、女将の方が思い直して会話を続けた。
「まあ、あの人はお客さんじゃないから別に良いけどさ。劇作家なんだって。あたしは劇なんて観ないから知らないけど、結構有名らしいよ」
 アビルーパはそれ以上は聞かなかった。客ではない、劇作家が待合室で何かを書いている。遊女館を舞台にした劇とかだろうか。それにしても、先ほど向けられた視線はいったい……いくつもの疑問が脳裏をよぎったが、どれにも答えを見いだせぬまま、2人は遊女の部屋の前までたどり着いた。
「この部屋だよ。まだうぶな娘だからね、お兄ちゃんにはきっとお似合いさ。あんまり変なことするんじゃないよ」女将は冗談めかしく言ってアビルーパの胸を指でつつくと、踵を返して待合室の方へと帰っていった。
「し、し、し、しませんよ!」アビルーパは慌てて言い返して女将を見送る。その後ろ姿が見えなくなったのを確認し、扉の方へと向き直った。
 花街に来る前にダルドゥラカが言っていた台詞を思い返す。「綺麗なお姉さんとお酒を飲むだけ、綺麗なお姉さんとお酒を飲むだけ……」自分に言い聞かせるように反芻し、意を決して扉に手をかけた。
「どうぞ……」室内の灯りが扉の隙間を通って廊下へと広がっていくその時、中から小さく声がした。艶のある落ち着いた声だった。


── to be continued──

引用・参考文献)
・藤山覚一郎・横地優子訳『遊女の足蹴』春秋社
・岩本裕訳『完訳カーマ・スートラ』平凡社東洋文庫

【ご注意】
本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。また時代背景や史実とは異なる点も多々あり、あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。

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