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31 占師でも歴史家でもない 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】
連載小説『葬舞師と星の声を聴く楽師』です。
前話の振り返り、あらすじ、登場人物紹介、用語解説、などは 【読書ガイド】でご覧ください↓
31 占師でも歴史家でもない
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【エル・ハーヴィドの日記】
帝国暦113年2月1日
愛するディ・シュアン。トルシカはもう14歳だ。去年あたりからぐんぐん手足が伸びて、だいぶ生意気になってきやがったよ。
どれ親の威厳とやらでも見せてやろうかと思って、ヴィシラを弾いて聴かせている。それで触らせてみると、あいつなかなか筋がいいんだ。さすが俺の子だろう?
帝国暦114年11月12日
親愛なるディ・シュアン。トルシカのヴィシラの成長が目覚ましい。想像以上だ。
欠かさず日々の研鑽を積めばきっと立派な楽師になるだろう。それこそ帝国伝統舞楽団の楽師たちにも引けを取らないかもしれない。いや、それはさすがに親馬鹿かな。忘れてくれ。
帝国暦115年10月2日
愛するディ・シュアン。俺には今、悩んでいることがある。
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「アシュディンさんにハーヴィドさん! ご無事で何より。また足を運んで下さって光栄です」
村役の男がふたりを出迎えた。アシュディンとハーヴィドが出逢った村落、ファーマール帝国の入り口まで帰ってきた。
男はふたりを家に上げると、いつかと同じようにお茶を振る舞って歓迎した。
「ザインの叔父からも手紙が来てましたよ。あの子を無事に送り届けてくれたみたいで。そればかりか国都でもだいぶ良くして頂いたとか」
テーブルに茶器を置くと男は深々と頭を下げた。ふたりは男に、旅中のザインのエピソードやラウダナ国都での生活などを聞かせ、卓上にはしばし和やかな時間が流れた。
会話の最中、村役の男はアシュディンの顔と襟元にちらちらと視線を向けてきた。青年は顔に何か付いているのかと思い触れてみたが、特におかしなところはない。
ふと男が気まずそうに口を開いた。
「あの、アシュディンさん、帝国伝統舞踏団で何かあったんですか?」
「え? は? いや、その……」
アシュディンはひどく狼狽えた。ほんの数日関わっただけの村人の口から団の名が出るとは思いもよらなかった。
「あなたが由緒正しき団の正統継承者と聞いて、粗相がなかったかと後からビクビクしていましたよ」男に悪意はなさそうだった。
「そ、そんなこと、いったい誰に聞いたんだよ?」
「実はアシュディンさんたちが去った後から、帝国伝統舞踏団の舞師を名乗る男たちが続々とこの村落を訪れるようになりまして。もちろんここは東と南の国への通過点ですから、みなすぐ旅立って行きましたけど」
「続々と?」ハーヴィドの眉がピクリと動いた。
「ええ。ざっと20名ほどは。時期を空けて何人かずつ。それで妙だと思って帳簿を見せて聞いてみたんですよ。この〈アシュディン〉って青年を知らないか?って。そうしたら、みな口を揃えて〈俺のいた団の正統だ〉って言うから、おったまげちまいましたよ〜」
男は言葉尻をすこし戯けさせた。場の雰囲気が暗くなっているのを気にしてのことだったが、その甲斐もなくアシュディンはがくっと肩を落とした。
「……俺は正統じゃないよ。正統は俺の姉に決まったはずだ」
「……そうですか? 彼らはそんな風には言っていませんでしたけどね」男はその時に感じたことを率直に述べた。
「アシュディン、妙だと思わないか? もしかしたら彼らもお前と同様、団を追放されたのでは?」ハーヴィドの推測はもっともらしかった。
「ああ、舞師は基本、宮仕だ。団に所属したまま旅に出るなんてありえない。なあ、おじさん。その帳簿を俺にも見せてくれないか?」
「いいですよ、ちょっと待っててください」
村役の男は立ち上がると、棚から帳簿を持ってきて開いて置いた。そこには男が世話をした旅人たちの名が漏れなく記されていた。
〈帝国暦265年3月6日、ハーヴィド、アシュディン〉4ヶ月前にふたりが到着した日だ。アシュディンはそこから下へと順に名前を辿っていった。
「なんだよこれ! 全員うちの舞師だよ。エギルにフィッシャー、立場のある奴も実力者も、長く仕えている奴も!」
アシュディンは声を上げてからも二度見、三度見して確かめた。しかし何度見ても同じことだった。
「やっぱり真実だったのですね」村役の男にとっては、疑問が晴れた瞬間だった。しかしアシュディンたちにとっては謎が深まるばかりだ。
「でもおかしいぞ。なあ、この日に村に来たオルバンとハムバって、奥さんは一緒じゃなかったか? 奥さんも団の一員のはずだ」
アシュディンはそこにあるはずの名前がないことを訝って男に訊ねた。
「いえ、ここに来たのは父と子どものふたりだけでしたよ。そのハムバって子がずっと浮かない顔をしてたのでよく覚えています。それこそ、あの時のザインのような……」
アシュディンは思った。あのオルバンが奥さんをひとり置き去りにして旅に出たりするか? しかもまだ幼い子どもを連れて。離縁……いやそれは有り得ない。あれほど仲睦まじい夫婦だったんだから。
「いったい帝国伝統舞踏団で何が起きているのか?」腕を組んで考え込むハーヴィド。
「俺にもまったく想像がつかないよ。でも異常事態にあることだけは確かだ」
「その発端が、いや、口火として〈切られた〉のがお前だったのか」
〈切られた〉アシュディンにはこの言葉ほどしっくりくるものはなかった。
「こんなこと、いったい誰が……」
アシュディンの脳裏に次々と3人の顔が浮かんだ。姉と、老師団と、恋人。アシュディンの追放に関わった可能性が高い面々だ。団員を追放できる権限があるとしたら、姉か、老師長か。
「急ぐぞ、アシュディン。こうしている間にも、伝統がどんどんおかしな方向に向かっている気がする」ハーヴィドは言いながら立ち上がると、そそくさと荷物を担ぎ始めた。
アシュディンもそれに続いて立ち上がったが「ああ……でもさハーヴィド、あそこにはちゃんと立ち寄ろうぜ」と言って、逸る楽師を制止した。何のことやらと首を傾げるハーヴィド。
「ほら、きちんと報告しないとだろ?」
アシュディンはそう言って楽師の顔をひたと見据えた。青年の瞳の奥にある哀しげな色を見て、ハーヴィドは真意を理解した。そして己の浅はかさを悔いた。
ザインの母親の墓はよく手入れがされており、旅立った時にはなかった花が添えられていた。季節の移ろいが慰みの色を連れてきたようだった。
ふたりはザインをラウダナ国都へと無事に送り届けたことを墓前に報告した。アシュディンは《あいつ元気だよ、強い子だよ》と、ハーヴィドは《いずれ腕の良い職人になるかもしれない、どうか見守ってやってくれ》と、それぞれ胸の内で告げて、顔も知らない故人の冥福を祈った。
「ハーヴィド、待たせて悪いんだけど、ちょっとひと仕事させてくれよな」
アシュディンは立ち上がると、墓に背を向けて歩み出した。
「俺は正統なんかじゃない。占師でもなければ謎を追う歴史家でもない。ただひたすらに故人の冥福を祈る、一介の葬舞師なんだ!」
舞師はあの日と同じように、上衣を勢いよく脱ぎ捨てて、赤土の墓地の中央へ向かった。その背中は以前よりもずっと大きく感じられた。
《まさかお前に教え諭される日が来ようとは、出逢った頃には思いもよらなかったな》楽師は墓標とアシュディンの間を空けて坐し、自らもヴィシラを取り出して構えた。
葬舞。亡者の魂を救う舞。過去現在未来にまで至る鎮魂の舞。アシュディンはかつてこの場所で手向けたものと同じ舞を始めた。
地を這う大蛇のように弧を描き、空を翔ける禽鳥のように回旋する、荘厳であり悠々とした舞だ。楽師の詩的情緒あふれる調べに乗って、アシュディンはますます精彩を放った。
ふたりの中でザインへの想い、少年の母への想いが溢れ、祈りが高まっていく。アシュディンは自在に舞いながら、楽師の奏でる音に心を爪弾かれた。ハーヴィドは自在に奏でながら舞師の美しい所作に心を鷲掴みにされた。互いが互いを昂らせ、ふたりでひとつの舞楽を完成させ──足を踏み入れた。光の照るその先へ。
舞台中央に倒れ込むアシュディン。俯いたまま微動だにしないハーヴィド。葬送の舞楽を終えたふたりは時間をかけながら立ち上がり、汗を垂らしながら歩み寄った。それぞれ自身と相方に何が起きたのかよく分かっていた。
「なあ、まさか、見えたか?……」
「ああ、信じられないが……」
ふたりはすーっと息を吸うタイミングを合わせて、小さく口を開いた。
「「雨が降る」」
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帝国暦116年2月19日
ディ・シュアンよ。俺は迷っている。
帝国暦116年4月25日
親愛なるディ・シュアン。俺の心の声を聴いてくれるか? 息子のことだ。俺は迷っている。トルシカは俺の予想を遥かに超える早さでヴィシラの技術を会得している。もはや教えることはないくらいだ。
しかし今の楽団がやっている音楽と舞楽の音楽はまったく別物だ。どちらが優れているかではない、ただ別物なんだ。あのヴィシラの天才をこのまま俺たちの元に置いておいていいものだろうか? 独りにして芸道に邁進させるのがいいのではないか。俺は悩んでいる。
帝国暦117年8月3日
ディ・シュアン。やはり楽しさを求める音楽と伝統の音楽の両立なんてできるわけないよな。トルシカの音に戸惑いの色が見え始めた。君ならどうする? 俺はどうしたらいい?
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── to be continued──
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