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20 恋敵! 野蛮人! 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

20 恋敵! 野蛮人!


 〈あの夜〉から幾ばくかの日を置いて、アシュディンは昼間の材木運びの仕事を始めた。それはあまりにあっけなく決まった。声を掛けたら「じゃあ、それ運んで」と言われたくらいだ。午前中に三時間、昼休憩を挟んで午後に三時間。宿に帰れば疲労困憊で布団に倒れ込んだ。
 ハーヴィドはそれに賛成も反対もせず、自身は夜毎、北東の酒場〈魅惑を放つケレシュメ〉に足を運び、楽師として舞台に立った。ダルワナールの専属楽師として指名された彼だったが、他の踊り娘も他の楽師も、観客たちも彼を放っておかなかった。

 昼と夜とですれ違い、次第に口数の少なくなっていったふたり。それでも穏やかな日常が続くと思われていた矢先、アシュディンがふと発した言葉が楽師を困惑させた。
「今晩〈葡萄の冠グレイプ・クラウン〉に行ってくる、少しだけ」
「……いったい何をしに?」
「店に帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールの舞踏衣を置き忘れてきたから」
 青年の目には生気がなく、何としても服を取り戻したいような雰囲気ではなかった。
「俺も一緒に行くか?」
 アシュディンはその提案に、間を置かず首を横に振った。
「……けじめか?」
 その質問にも横に振った。
「あれは、大事なものだから」
 俯いて言うアシュディンの瞳は前髪で隠されていた。
「そうだな、それがいい。また変なのに絡まれぬよう、充分気を付けろよ」

 夜が来た。アシュディンが〈葡萄の冠グレイプ・クラウン〉の扉を開けると、すぐさま酒場の瘴気しょうきが彼を取り巻いた。不思議と気分は落ち着いていた。あんな事があった場所なのに恐怖に駆られることもなかった。彼はまるで幻想世界にでもいるような感覚で、カウンターへと足を進めていった。
「ああ、あんたか。良かったよ、また来てくれて」マスターがアシュディンに気付いて声を掛けてきた。カウンターの下をごそごそと漁って、差し出してきたのは例の舞踏衣だ。
「これ、あんたのだろう?」
 受け取りをためらっている舞師に、マスターは話を続けた。
「由緒正しき舞踏団の衣裳だろう。俺だって見たことくらいはあるさ。でもな、こんな小汚い酒場に置いておける代物じゃないんだよ」
 迷惑そうに胸に押し付けられて、アシュディンは黙ってそれを受け取った。
「おい、カースィム! お前も何か言うことあるんじゃないのか?」
 マスターがカウンターの端に向けて声を荒げた。そこには例の快楽主義者の男が背を丸めて座っていた。アシュディンは一瞬だけ警戒したが、どうも様子が違っていた。
 手元のグラスには葡萄酒ではなく水。以前会った時より顔色は良かったが、どことなくおどおどしているように見えた。
「あいつ酒が入ると人が変わっちまうんだよ。〈しらふ〉だとそんな悪い奴じゃないだけどな。それでもあいつがあんたにやった事は最低なことだ」
 カースィムと呼ばれた快楽主義者は、おもむろに立ち上がってアシュディンの横まで来ると、前屈をするように頭を下げた。
「……すいませんでした」
「ったく、酒を抜くのにも骨が折れたぜ。許してくれとは言わねえ。ただ酒場の性分として、寂しい奴を放ってはおけねえんだ。悪かったな」
 マスターも揃って頭を垂れた。アシュディンは居たたまれなくなって「大丈夫です、じゃあこれで」と言い残して踵を返した。
「あ、あのっ、仕事っ」
 カースィムが慌ててアシュディンを呼び止めた。
「仕事、紹介できます。その、踊りの……」
 舞師は反射的にガバッと振り返った。

 元・快楽主義者の男は猫背のまま、とぼとぼと前を歩いた。ずっと押し黙りながら。アシュディンはたびたび警戒の目を光らせたが、彼はずっと街灯と人通りのある道ばかりを選んで進んでいく。やがて貴族街に入ると、大豪邸の前まで来て立ち止まった。
《ここで仕事を紹介してもらえるのか?》
 アシュディンが面を食らっていると、カースィムは呼び鈴を鳴らすこともなく、勝手に門を開けて、ずかずかと足を進めた。
「お、おい、ちょっと、まずいんじゃ」
 アシュディンは慌てて後を追いかけたが、男は家の扉も開けてさらに奥へと進んだ。
《不法侵入? やっぱりこいつヤバい奴だったか?》アシュディンが口車に乗せられたことを後悔しはじめた頃、エントランスから続く大広間に見慣れた人影があるのに気づいた。あの長身といかり肩は……
「あ、れ? ハーヴィド?」
「アシュディン!?」
 そこにいたのは日頃の生活を共にし、今朝も宿で別れたばかりのハーヴィドだった。
「なんでお前がここにいるんだ?」
「俺はマホガニーの卸売商社を紹介してもらえると聞いて……」
 ふたりが顔を見合わせて当惑していると、隣りでギャーギャーと言い争いが始まっていた。ひとりは聞き覚えのある女の声だった。
「あんたねぇ、あたしの恋敵にうちの敷居を跨がせるなんていい根性してるじゃない!」
「姉さんこそ、暴力主義の野蛮人をうちに招き入れるなんて、頭イカれてるんじゃないの〜?」

 呆然として立ち尽くすアシュディンとハーヴィド。男女はいがみ合いを休戦してふたりに向き直った。顔のあちこちに作り笑顔が貼り付いている。
「紹介するわね。こちら貴族うちの崖っぷち次男坊、カースィム・エルジヤド。ラウダナ国でも有数のマホガニー卸商の社長よ。でもその実はただのアル中。美形なら男だろうが女だろうが見境なくはりつけ標本コレクションにするのが趣味の変態SM愛好家マニアなの」
「紹介するよ。この人は貴族うちの堕落しきった長女、ダルワナール・エルジヤド。ラウダナ国人気ナンバーワンのダンサーだよ。でもその実はただのビッチ。イケメン外国人の子種を求めて年甲斐もなく夜な夜な股を開く淫乱ババアなんだ」
 踊り娘と快楽主義者は(字数もほとんど揃えて)雄弁に互いを罵り合った。
「じゃ、じゃあ、二人って──」
「弟よ」「姉さんだ」
 どっと笑いが起こった。
「ひーっひーっ、そっくり!!」アシュディンは腹を抱えてのたうち回った。「くっくっくっ」ハーヴィドはマントで口元を覆って顔を背けた。
 姉弟は互いに顔を突き合わせて、あからさまに舌を出した。ついさっきまでしおらしくしていたはずのカースィムは、姉に触発されてすっかり毒気を取り戻している。
「で、姉さんはもうこの野蛮人を食っちゃったの? 僕もういいかげん異国の義兄が増えるの嫌なんだけど。まあ甥っ子たちは可愛いんだけどさ」
 ダルワナールはアシュディンをちらっと見た。
「ふんっ。どうやらこの男はどっかの国の若くて綺麗な舞師に〈ぞっこん〉らしいわよ。あたしすっかり冷めちゃったわよ」
 彼女いわく、どうやらそういうことらしい。この時のアシュディンの気持ちは到底言い表せるようなものではなかった。
「ふ〜ん、姉さんにも落とせない男がいるだなんてねぇ。この国の未来はまだ明るいな〜」
〈あっかるっいな〜〉という軽快な言い回しが大広間にこだますると、
「うるっさいわね!」とダルワナールが息巻く声がそれを掻き消した。

 エルジヤド家の混沌を目の当たりにしていると「客人か? こんな遅くに」突然、声が降ってきた。見上げると吹き抜けの二階の廊下にひとりの壮年男性の姿が。男は緩やかな螺旋階段をカツカツと靴音を立てて降りてきた。すっと伸びた背筋。貴族らしい出で立ち。鼻には小さい丸眼鏡を乗せて(おそらく輸入品だろう)髪はひとつの乱れもないオールバックで整えていた。
 フロアに降り立つと男は「うちの者が何か失礼を?」と感情の読み取りにくい抑揚で言った。
 アシュディンは男のあまりに洗練された雰囲気に尻込みして「あ、い、いえ」と口籠った。
「何か失礼を?」ぐいと顔を寄せてくる男。眼鏡の向こうで切長の眼が光った。
「い、いや〜、別に」アシュディンがなんとか誤魔化そうとしていると、男はフンッと鼻を鳴らした。そしてダルワナールとカースィムをきっと睨みつけた。まるで地を這う屍鬼ゾンビでも見るかのように。
「こいつらが人様に迷惑をかけないはずがない。さぞかし無礼を働いたのでしょう。家を代表して謝らせて頂きたい」男はそう言って深々と頭を下げた。きっちり90度のお辞儀だ。
 1、2、3、4、5…………12、13、
「いや、どうか頭を上げてください」と恐縮するハーヴィド。
 見かねたダルワナールが口を開いた。
「この人はエルジヤド家の長男で現当主、ユスリー・エルジヤドよ。ラウダナ国都の都議と、幾つかの会社代表を兼任しているわ」
「うちで唯一しっかり者のお兄さんなんだよ〜」とカースィム。
 アシュディンは俄に信じられず、
「えっと……血は?」と訊ねた。
「あは、よく言われるけど、ちゃんと繋がってるよ〜」にへらと笑うカースィムの顔は快楽主義者の顔とは程遠い、甘えん坊の弟そのものだった。
 ユスリーが手を叩いて召使を呼びつけた。
「この者たちを夕食の席に招待して差し上げなさい。決して粗相のないように。料理をどんどん用意して、あと葡萄酒も忘れずにな」
 アシュディンとハーヴィドは揃って《やっぱり血は争えないな》と思った。

 ふたりはエルジヤド家の真摯な謝罪と熱烈な歓迎を受けた。なんとアシュディンにはきちんと舞踊の仕事が紹介された。〈魅惑を放つケレシュメ〉で週に二日、〈葡萄の冠グレイプ・クラウン〉で週に二日(女装)、そしてユスリーの口利きにより公的な葬儀屋でもダアル専門の葬舞師としても採用してもらえることになった。世俗の老舞師が腰を痛めて引退を申し出ているところだったそうだ。昼間の肉体労働を始めたばかりのアシュディンにとっては嬉しい悲鳴だった。
 そしてハーヴィドは、後日カースィムの経営するマホガニー卸商の倉庫に招かれることになった。


── to be continued──

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