11 もう舞ってるんだ! 【越境の章・最終回/葬舞師と星の声を聴く楽師】
連載小説『葬舞師と星の声を聴く楽師』です。
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11 もう舞ってるんだ!
象牙色の帯が床にとぐろを巻いている。マントを細く切り裂いて作ったそれは、アシュディンとザインの合作だった。
アシュディンは帯を手にハーヴィドの後ろで膝立ちすると、右、左、右、左、と両脇を往復しながら、胴に丹念に巻いていった。
意識を取り戻したハーヴィドは翌朝にもすぐ、不用意に起き上がろうとした。しかしアシュディンは再び出血することを恐れて、彼を寝床に押しとどめた。ザインにも言いつけて交代交代で、四六時中、目を光らせた。その甲斐あってか丸二日経過してなお、ハーヴィドは再び血を吐くことも、呼吸に苦しむこともなかった。
こうして満を持して体を起こしたハーヴィドは、意外にも痛みが少なかったことで、ふたりへの感謝の念を新たにした。そしてこの時も、巻かれるごとに締め上げられていく胸郭の内に、安心が満ちていくのを感じていた。
「お前、西の国の砲兵たちにいったい何をしたんだよ?」
アシュディンが淡々と手を動かしながら訊ねた。ハーヴィドの角度からは彼の表情を窺えなかった。記憶の底に押し込んでいたあの日の光景を思い起こす。
西の国の砲兵たちに歩み寄って行ったハーヴィドは、隙をついて彼らの横をうまくすり抜けた。そして──
「大砲の台座を破壊した」
移動用の両輪と大筒を支える台は、木製のものだった。ハーヴィドはそれを引きずり倒して、蹴りで粉砕したのだった。
「はぁ、また絶妙に嫌なことしたな」アシュディンはため息を交えて言った。
「そうか?」
「お前にしたら集団暴行までされる筋合いはないだろうけど、奴らにとっては、玉座や偶像を破壊されたようなものだったかもしれないぞ」
ハーヴィドはアシュディンがどんな顔で話しているのか気になり出した。しかし見えるのは左右の脇から出たり引っ込んだりする手ばかりだ。
「悔しいが、一理あるな。それでもあの瞬間はどうしても自分を抑えきれなかった」
ハーヴィドは最初に車輪を掴んだ右の手のひらを見やった。その時の感触が嫌というほど染みついている。砲兵たちの顔は全く覚えていないというのに。
「まあ、俺がお前を批難するとしたら、俺とザインを置いて行ったことだけだ」
アシュディンは巻き終えると、ハーヴィドの前側に回って全体を見た。帯がしっかり張っているのを確認して、その一端を胸の中央に差し込んだ。
「……すまなかった」
首を垂れるハーヴィドの胸を、アシュディンは虫が止まるくらいの強さで小突いた。
「少し外に出ようぜ、ほら」
普段と寸分も違わぬ表情を浮かべるアシュディン。その手に引かれてハーヴィドはゆっくりと立ち上がった。
ハーヴィドはテント脇の木の幹に背を預け、アシュディンはその横に立った。南東の方角を向くと、おのずと午前の太陽と向き合う形になった。爽やかな風に髪を揺らされ、ふたりは揃って、次の地に歓迎されているような心持ちになった。
「足止めを食っちまったけど、ラウダナの都まであと少しだ。ようやく、ザインを送り届けられるな」アシュディンは満願に向けて意気込んだ。
ハーヴィドは、決して短くもないこの旅の内でアシュディンが一度も口にしてこなかったことを、ここで切り出した。
「お前はラウダナへ行ってどうするつもりだ?」
問われたアシュディンは、これ見よがしに木陰から日向へと駆け出した。そして振り返って言った。
「ラウダナに行って、ダンサーになる。伝統舞踊じゃなく、お堅い儀礼のための舞じゃなく、もっと普通の、人を楽しませたり驚かせたりする踊りをさ」
宣言の終わらぬうちに腰を落とすと、高く跳び上がって見事な空中回転を決めてみせた。舞にはない躍動感だ。
「たくさんの民族や文化が集う国だ。世界中の舞踊をこの目で見て、ぜんぶ〈俺のもの〉にしてやるんだ!」と、野心に溢れた笑顔を見せた。
ハーヴィドはその熱い想いを目の当たりにしても微動だにせず「伝統舞踊を棄てるつもりか?」と静かに問うた。
「俺は……舞が好きだ、でも……」一転して表情を曇らせるアシュディン。
「俺の方が棄てられたんだよ。団を除名されたんだ、あまりに唐突に。帝国伝統舞踏団の老師たちと、同じ団にいた恋人と、姉に」
大事に想っていた人々の結託と、突然の裏切り。アシュディンはそんなニュアンスを伝えたつもりだった。
しかし当のハーヴィドは恍けたをして「お前、恋人がいたのか」と驚きの声をこぼした。アシュディンは「そこかよ?」と不服そうな顔で返す。
「……だとしたら、あの晩は悪いことをしたな」
ばつが悪そうに言うハーヴィド。つとアシュディンの脳裏に、寄り添って寝た一夜が思い返された。
「べ、別に、俺はなんも気にしちゃいねえよ。それに、どうせ恋人の中ではもう終わってるんだ」
──沈黙を破ったのはハーヴィドだった。
「真意を確かめなくていいのか?」
「舞踏団のことか? それとも恋人──」
「どっちもだ」食い気味に、咎めるようにハーヴィドは言い放った。アシュディンは久々に彼らしさを感じられて悪い気はしなかった。
「はは、相変わらずお前は手厳しいな。宮廷を飛び出した時は、もう団のことなんてどうでもいいって、二度と舞に関わるものかって思ってた。ザインとお前に出逢うまでは。まさか外の世界で舞を必要とされるなんて考えもしなかったし、精一杯やってあんなにダメ出しされたこともなかった」
アシュディンの頼りなさげな顔が、話が進むにつれて次第に強さを帯びていく。
「今回のことも堪えたさ。否が応でも〈生き死に〉について考えさせられた。あの晩、本物の死を目前にしてどうしようもなく無力だった。俺がやってきた葬舞って一体何だったんだ?って……」
話が途切れたところでハーヴィドが「良い経験をしたな」と合いの手を入れた。
「お前が言うなよ、代償がでかすぎる」と苦笑いを浮かべるアシュディン。
ハーヴィドは彼の顔をひたと見据えて言った。
「ラウダナ国都にもスファーディ教の信徒は大勢いる。お前自身が異端だとしても、ダアルは伝統舞踊だ。役に立つこともあるだろう」
そして木の根元に置かれた楽器を手に取り、アシュディンの眼下に差し出しながら声高らかに続けた。
「お前さえ良ければ付き合ってやる。舞を続けようが、辞めようが構わない。次の道が見つかるまで」
アシュディンはしばし呆気に取られたが、心がすっと軽くなっていくのを感じた。ハーヴィドに見透かされているような気がして、無意識にはにかんだ。うまい返しが思い浮かばず「……心強いな」と独りごちた。《俺は舞を辞められない》
〈舞、舞〉言っているうちに、アシュディンはふと記憶の中に引っかかる部分を見つけて掬い取った。
「そういえばお前、死にそうだった時に妙なことを言ってなかったか? 〈帝国伝統舞踏団と俺たち〉とか〈使命を果たすとき〉とか」
それはうわ言かと思われていた文句だった。
「さあな、覚えていない」
楽師はすっかり、元通りの〈だんまり〉だ。
アシュディンは急に全身の血が滾るのを覚えて、草原の舞台に躍り出た。昇りゆく太陽を仰いで、その恵みを限りなく敬うように、哀しいことも恐ろしいこともあったこの一帯を慈しむように、ゆっくりと舞い始めた。
「なぁ! 病み上がりで悪いんだけど、ちょっと音くれるか? お前の看病ばかりですっかり体が鈍っちまったよ」
その完璧な舞に見入りながらも、ハーヴィドは声を張って返した。
「不甲斐ない舞をしようものなら、容赦なく音で喝を入れるが、良いのか?」
「良いも悪いも、俺はもう舞ってるんだ!」
アシュディンの歓喜の声が大草原に響いた。楽師は小さく微笑んで、ヴィシラの覆い布をざっと剥いだ。
越境の章・了
── to be continued──
次回よりラウダナ国都に突入!
狂逸奇抜な人達が待ち受けています
どうぞお楽しみに!!
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