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14 隣りには快楽主義者 (*LR18) 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

【注意】本話には性的表現が含まれます。ネット小説レーティング同盟の定義に賛同しており、本話はLR18(具体的な性描写があるも心理描写を重視している)に相当します。


14 隣りには快楽主義者


 マスターと思しき男がバーカウンターの中で腕組みしていた。「お〜、来た来た」と言って、まるでアシュディンを待ち受けていたかの様子だ。のしのしとカウンターに近付いていくアシュディン。この晩、幾度となく口にしてきた売り込み文句を放とうとした矢先、マスターの方から話を切り出してきた。
「君さ、もうすっかり歓楽街の噂になってるよ。綺麗な顔をした男のダンサーがあちこちの店で〈道場破り〉してるって」
「道場破りって……」あまりに実もない喩えに面を食らってしまった。
「この街に男の踊り手はいないんだ。店としては商売の場で気をてらうような真似はしたくないのさ。それに客にとってはアイドルみたいな踊り娘もいる中に、あんたみたいな美形の男が混じり込んでいたら、みんな冷めちまうだろ?」
 アシュディンは《やっぱりここもダメか》と肩を落とした。

「君、若いんだから今から職人の修行だってできるし、飲食業はどこも人手不足だ。金を稼ぎたいならそんな踊りにこだわらなくても──」
「俺には舞しかないんだ」
 ありがたい助言は無下に遮られ、マスターは〈困ったガキだな〉と言わんばかりの、憐れむような優しいような面差しを青年に向けた。
「そうかい。あんまり目をつけられないようにな。今日はこれでも呑んで帰ってくれ、サービスしておくから」と言って、見慣れない赤紫色の液体の入ったグラスをカウンターに置いた。
 正直アシュディンにこれ以上店に留まる理由はなかったが、二、三往復も会話を続け、酒まで出してくれたマスターに失礼がないように、そそくさと腰を下ろした。マスターは何食わぬ顔で自身の業務に戻っている。

 ひと口。その瞬間、これまで味わったことのない酸味と渋味が舌に広がり、アシュディンは軽く咽せ込んだ。ひとりでに涙目になる。
《なんだ、この酒は?》とグラスを傾けて訝しんでいると、不意に横から声が飛んできた。
「あれ〜、驚いた顔してる〜」
 アシュディンが振り返ると、ふたつ空いた席の先に座っている男と目が合った。男はカウンターに突っ伏した顔をこちらに向けており、目と手元のグラスが同じ高さにあった。
「もしかしてはじめて? 葡萄酒。この店でしか飲めない輸入品だよ」
 男はわずかに顔を持ち上げて葡萄酒をあおった。まるで病床に臥す患者が薬を飲むみたいに。そう見えたのは、彼の纏う雰囲気に病的なものを感じたからかもしれない。無造作に伸びた黒髪を真ん中分けにして、酔ってるというのに血色の悪い顔をしている。眼はくぼみ、顔は骨肉がはっきりと分かるくらい痩せこけていた。

 ふたたび目が合った。
「あれ〜君、すごくきれいな顔してるね。異国の人? この葡萄酒とおんなじだね」
 男はそう言って席をひとつ詰めてくると、ビンの酒をとくとくと自身のグラスに注ぎ足した。
「あ、ありがとう。でも俺、男だし、綺麗なだけじゃなんにもならないし」
 アシュディンは〈きれい〉と言われてはにかみつつ、男の放つ異様な空気に気圧されていた。
「そう? きれいなだけで良くない? 僕はきれいな顔が好きだよ。男と女で何か違うの? 何にもならないって、君はいったい何がしたいの?」
 矢継ぎ早に浴びせられた質問はどれもが答えにくく、アシュディンは誤魔化すよう、ぐいと酒を呷った。カウンターに叩きつけるようにグラスを置くと、ひとつだけふっと浮かんできた〈答え〉をそのまま口にした。
「ダンサーになるって意気込んでこの国に来たけど、どこも門前払いだった」

「……ふ〜ん、みんな見る目ないね」
 男は、俯くアシュディンの顔を見据えながら擦り寄るように席を詰めてきて、とうとうふたりは横並びになった。
「でもさ〜、人に見てもらおうなんて魂胆がそもそも馬鹿げてるんじゃない?」
「え?」
 にわかにふたりの視線の向きが逆転した。アシュディンは、グラスに揺れる酒を見つめる男の顔を見据えた。間近で見るとなかなか端正な顔立ちをしているのに、振る舞いのせいですべてが台無しだった。
「みんなね〈自分が〉気持ちいいことしかしたくないんだよ。ここでは女の胸や尻が揺れるのを見て卑猥な言葉でもて囃すのが気持ちいい。女はそんな馬鹿な男たちをステージ上から見下ろすのが気持ちいい」
 男は店の片隅にある小さなステージをちょいと指差した。そこではしたり顔で踊るセクシーな女が男たちの卑しい視線に囲まれていた。たしかに。踊りじゃなきゃならない理由はそこに凝縮されていた。

「君だって実は自分が気持ちいいから踊ってるんじゃないの? すでに気持ちいいことをしてるのに、お金もらっても〜っと気持ちよくなりたい」
 アシュディンは《違う!》と反射的に否定したが、すぐさま《違わないかも》といったじわじわと滲み出てくる不安に取り巻かれた。
「全部一緒だよ、酒もセックスも踊りも、ぜ〜んぶ、ただ気持ちいいから皆やってるだけ。そんで人を気持ちよくするものがお金を生んで、お金がまた人を気持ちよくして、あ〜、人生つまんな」
 男は支離滅裂なことを言いながら、ついにビンごと葡萄酒を飲み出した。口角から溢れ出た赤い液体が、よく仕立てられたシャツに半島のような染みを作った。
「んあ〜、死にたいな〜〜、あはっ、まともに受け取らないでね。死にたいって言ってるのも、その方が気持ちいいからだよ。本気で思ってるわけじゃないからさ」
 話している内容にそぐわない純朴な笑み。その不気味さにアシュディンはいよいよ耐えきれなくなった。

「あの、俺そろそろ──」と立ちあがろうとした矢先、男はアシュディンの腕をすっと掴んだ。
「僕なら、君に踊りの仕事を紹介してあげられるかもよ」
「え、本当に──っ!?」
 アシュディンが振り返った先に、唇と唇が触れる感触が用意されていた。すえた果実の香りが華やぎ、アルコール臭が鼻をつく。目の前にある顔は近すぎて焦点が合わない。戸惑うよりも先に、唇の合わせ目から舌が侵入してくる兆しを感じて、アシュディンは思わず顔を振ってのがれた。
 男は葡萄酒を呑んだ後と同じ様な舌なめずりをして「でも、もうちょっと僕を気持ちよくしてくれたらね」と無邪気に微笑んでみせた。
 狼狽ろうばいして立ち去る青年の背中に、ふたたび男の声が飛んだ。
「困ったときや寂しいときはいつでもここにおいで〜、まあ、僕の店じゃないけど」

 アシュディンは外に出てすぐさま、店の扉に背をもたれた。いったい何の時間だったのだろうか。妙な酔っ払いに絡まれただけで、ここでもまた仕事は得られなかった。眼下に立て掛けられた〈葡萄の冠グレイプ・クラウン〉と書かれた看板に「どんな意味だよ?」と独りごちた。
 来た時と同様に、頭と体を切り離して働かせればそれで良かった。脚は淡々と彼を宿へと運んでいった。歓楽街はすでに人通りが少なくなっている。みな明日の仕事に備えて帰るのだろう。そして俺は、いったい何に備えて帰っているのだろうか。
 宿に戻ると、またハーヴィドの姿はなかった。楽器ヴィシラもない。夕方に部屋を出た時にはあったはずだから、いちど取りに戻ってきたのだろう。限界に近いと言われている楽器ヴィシラ、その修繕のために奔走しているハーヴィド。あいつがマホガニーを手に入れるのが先か、俺が仕事を得るのが先か。そんな焦燥に駆られながらも、がらんとしたこの部屋に妙な安堵感を得ていた。
《あいつがいなくて良かった……》アシュディンは汚れてもいない唇を二度三度擦った。

「ハッ──」右脚一本で体重を支えながら、腰を落としていく。腕は大地から天まで伸ばして垂直に保ち、ゆっくりと上体を反らしていく。
「ヤッ──」軸足が入れ替わった。修練はなおも続けられる。が、わずかに重心がずれて《あっ》とバランスを崩し、後ろにひっくり返った。
 夕暮れ前、市民街の小さな広場。人気ひとけはほとんどなく、散歩途中の楽隠居の老人がひとり座って休憩しているくらいだった。石畳に仰向けになるアシュディンの顔を、ザインが覗き込んで嬉しそうに拍手をした。
「……ってこれ、第3話と全く同じじゃんか! 俺ぜんぜん成長してないじゃーん!」アシュディンは冗談めかしく嘆いた。もちろん空元気からげんきだ。ラウダナに到着してから数日が経過したが、まだ踊りの職には就けていない。
 そこに楽器ヴィシラを背負ったハーヴィドが現れ「ちょっと付き合え」と強引に誘ってきた。アシュディンが頭にはてなを浮かべていると、ハーヴィドは「今宵は満月だ。北東の酒場に行く」と告げて、ひとり歩き出した。慌てて追いかけるアシュディン。ザインがその後ろを付いて行こうとしたが「今日はお前はダメー、おうちに帰んな!」と言われて、不服そうな顔をしながらも引き下がった。

 ふたりが向かっているのは市民街北東の酒場。以前助けてくれた貴族の娘、ダルワナールに礼をするつもりなのだ。
「しかしお前って義理堅いところあるんだよな。なんか意外だわ」道すがら、アシュディンは頭の後ろで手を組みながら、あっけらかんとして言った。
「意外?」
「だって移動民族ロマって社会の〈しがらみ〉を嫌ってあちこちを放浪してるんだろ?」
 ハーヴィドの眉がぴくりと動いた。
「助けてもらった礼とかさ、ましてや貴族の娘なんて〈しがらみ〉の固まりみたいなものじゃん」
 アシュディンの口から、悪態にも近い言葉がすらすらと滑り落ちていく。ハーヴィドはじっと押し黙っていた。
「もしかしてお前……」
 勝手に動いてしまう口をつぐもうとしたが、あと一歩遅かった。《俺、言うなよ──》
「あの女に惚れちまったの?」
 斜め上からハーヴィドの腕が飛んできた。胸ぐらを掴まれかたと思うと、秒で地面に投げ倒されていた。
「分かった風な口をきくな!」
 石畳に頬と胸を付きながら聞こえてきた声は、ひどく震えていた。アシュディンは身を立て直して起き上がり、おそるおそるハーヴィドの顔を見やった。当然、怒っているかと思った。しかし彼はただ表情を翳らせるばかりで、その瞳はどこかにある幽玄の世界でも見つめているかのようだった。アシュディンには彼がどんな感情を押し殺しているのか俄には窺い知れなかった。
「……すまん、やりすぎた」
「……いや、俺が言いすぎたから」
 ふたりの歯車は微妙に狂い始めていた。


── to be continued──

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