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17. 花街へ行こう【花の矢をくれたひと/連載小説】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。
↓過去話の振り返りはコチラより↓

【登場人物】

アビルーパ(愛神カーマ、悪魔マーラ)
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛神カーマの化身の1つ。ウッジャイニーに住む司祭バラモンの子息。

ヴァサンタ
春の神ヴァサンタの化身で武士クシャトリヤの子息。アビルーパには友情以上の好意を抱いている。

ダルドゥラカ
商人ヴァイシャ家系の子息で、諜報活動員スパイとしてアビルーパの父の僧団に潜入していた。

【前話までのあらすじ】

シヴァを射るための3本の矢を捜しているアビルーパ、それに協力するヴァサンタとダルドゥラカ。3人はスパイの情報網を頼りに首都パータリプトラの地下宝庫への潜入した。第二の矢である「猜疑の矢」を得て、見事地上に逃げおおせたのだった。

17. 花街へ行こう


 その朝、首都パートリプトラの上空は一面、灰白色の雲に覆われていた。雲は東西南北に途切れることなく続き、インド亜大陸北東部にあまねく雨を降り注いでいた。
 アビルーパは目を覚ますと、すぐ雨音に気付いて窓の外を見やった。柔らかい音、霧のように細かい雨。スコールが多いその地では珍しい光景だった。
「お、アビルーパ、起きたか」行商人の寄宿舎の一室、壁に寄りかかった姿勢のままダルドゥラカが声をかけた。
「おはよう」アビルーパは大きく背伸びをしながら言った。ふと、ダルドゥラカとは反対の隅にヴァサンタの姿を見つけた。彼はきのう露店街で購入した装飾品を眼下に並べ、嬉しそうにしていた。「おはよう、ヴァサンタ」親友の背中にそっと囁いた。 

 首都の地下宝物庫に潜入してから3日が経ったが、3人はまだパータリプトラに滞在していた。衛兵たちに顔を見られた可能性があり、一刻も早くそこを離れるべきだと頭では分かっていた。しかしアビルーパとヴァサンタは首都を訪れるのが初めてだったし、ダルドゥラカにも久々の故郷を楽しみたい気持ちがあった。
 中心街の華やかで煌びやかな空気は3人をすっかり魅了した。行商人らの声が飛び交う目抜き通り。女性たちはめいめいに鮮やかな衣の裾をはためかせ、通り過ぎるたびに鈴や手首飾りの金属音が鳴る。竪琴を奏でながら歌う吟遊詩人、路の端で熱く議論する学者と僧侶。地元では出会うことのない人々に、アビルーパとヴァサンタは心踊らせた。ダルドゥラカは賭博屋や競鶏場で遊び、禁欲的生活と諜報活動で乾ききっていた心を潤した。

 水場で顔を洗って部屋に戻ってきたアビルーパに、ダルドゥラカが声をかけた。
「なあ、今日は花街へ行こうぜ!」それを聞いたヴァサンタの背中がピクっと震えた。アビルーパは一瞬何のことか分からず、にやついたダルドゥラカの顔をじっと見つめた。
「実はな、幼馴染が花街で働いていてさ。久しぶりに会いに行ってやりた……」
「ダメーーーーーッ!!」突然、ヴァサンタが大声で割り込んできた。
「花街って……花街って……そんないかがわしい場所にアビルーパを連れて行かないでよ。独りで行けばいいじゃん!」ヴァサンタは食って掛かった。ダルドゥラカはその勢いに一瞬たじろいだが、すぐに立ち直って言った。
「そんないかがわしい場所じゃねえよ。綺麗なねーちゃんと話して酒を飲むだけさ。何ならお前も行くか?」実年齢も見た目も幼いヴァサンタは元々勘定に入っていないようだった。ヴァサンタは不安と嫉妬に満ちた顔をしてアビルーパににじり寄った。
「ねえ、アビルーパ。行かないよね? 花街になんて興味ないよね?」ヴァサンタが問うと、少しばかり沈黙が流れた。
「うーん、興味は……ある……かな」アビルーパが申し訳なさそうに笑うと、ダルドゥラカは勝ち誇ったような顔をして見せた。その時、ヴァサンタの脳内で何かがキレた。
「あ、あ、ア……アビルーパの……
 バカァーーーーーーーーー!!!」
 寄宿舎中に大声を轟かせ、ヴァサンタは部屋を飛び出してしまった。寄宿している行商人の何人かが、何事かと部屋の外を確認したが、廊下にはもう誰の姿も見当たらなかった。

「あっちゃー、怒らせちまったな。あいつ大丈夫かぁ?」ダルドゥラカは後頭部を掻きながら言った。
「ははは、ヴァサンタは大丈夫。しっかりちゃっかりしてるから」アビルーパは心配するような素振りをいっさい見せずに言った。
「……お前って、意外と冷たいんだな」ダルドゥラカは自分の行いを棚に上げて、兄貴ぶった窘めるような表情を作った。しかしアビルーパはすっとぼけた顔で、
「え、どうして? ヴァサンタはずっと親友だから大丈夫と思っているんだけど」と返すだけだった。
「…………お前さ……」ダルドゥラカは思い直して口を噤んだ。ヴァサンタがなぜあんなに怒ったかをアビルーパはまるで理解していないように見えた。厄介事に首を突っ込むのはやめよう。そう小さく誓ったのだった。
「でも俺、金持ってないよ。花街って金が要るんだろ?」
「ああ、それなら大丈夫だ。昨日、博打でしっかり儲けておいたからよ」ダルドゥラカは貨幣の入った袋を顔の横でじゃらつかせた。2人は貨幣袋以外は何も持たず、小雨降りしきる中いそいそと花街へと向かった。

 道すがら、ダルドゥラカは幼馴染のことを話した。同じ商人ヴァイシャの家系の四女として生まれ、ダルドゥラカのひとつ年上でよく一緒に遊んで過ごした。しかし彼女は14歳の時に遊女館に売られてしまった。愛情深い両親がそのような苦渋の決断をしたのには2つの理由があった。四女では嫁ぎ先を用意するのが難しいこと、そして嫁入りの際の持参金を到底用意できないこと。ダルドゥラカはすでに彼女に惚れていたため、遊女館に行くと聞いたときには激しく憤った。しかしそれを回避するための力も金も彼は持ち合わせていなかった。
 ダルドゥラカはそこまで話した後「しかし女ってのは強いよな」と付け加えた。館の女将が良心的であったことが唯一の救いで、幼馴染も今では良い客をしっかりと囲い、嫌な客はあしらいながら、そこそこ楽しく生きているらしい。身請けも難しくはないだろうと。それはダルドゥラカにとっては面白くない話ではあったが、彼は自分の恋心よりも彼女の幸福の方を願わざるを得なかった。世知辛い風習に翻弄されるのは、大人も子どもも一緒だった。

 いつの間にか花街通りの中心を歩いていた。2人は話に夢中で、道ゆく遊女たちにも伊達男たちにも目をくれなかった。
「さあ着いたぞ!」ダルドゥラカの言葉に立ち止まると、石段の先の小高い平地に石造の館が眠るように佇んでいた。


── to be continued──

引用・参考文献)
・藤山覚一郎・横地優子訳『遊女の足蹴』春秋社
・岩本裕訳『完訳カーマ・スートラ』平凡社東洋文庫

【ご注意】
本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。また時代背景や史実とは異なる点も多々あり、あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。

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