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エッセイ/中秋の名月まで ② 出家遁世

家出(いえで)したい、と思ったことはありますか? 幼少期の家出願望とは不思議なもので「本当に家を出たい」というより、「構ってほしい」「分かってほしい」という気持ちの現れのような気もします。武器として、交渉道具としての家出。もしくは「何もかもイヤになったのは家のせいだ」といった、スケープゴートを捧げる儀礼としての家出。

(もちろん、本当に家族がヤバい人たちで、自分の身を守るための真の家出というものがあることを否定はしません)

そもそも「家」という概念はなかなか複雑なものだと思います。建物があれば、生活の場であれば、家族がいれば、イコール家、というわけではなさそうです。生きる上の土台を象徴するもの、なのかもしれません。あくまで一つの在り方として。そして、生きることがうまくいかなくなった時、家を生贄にして恨んだりすることもあります。

生きる上での土台の象徴は、世界とも言い換えられるでしょう。そういう意味で家はひとつの世界です。そして、その家よりも広い土台からすら逃げたくなるとき「家出」は「出家」へと名前を変えます。逃げたい世界は、家ではなく俗世です。

こうして書くと俗世が家を包括する概念のように捉えそうですが、それは少し違うようです。家は大好きだけど俗世は無理、といった社会不安障害のような例だったり、俗世は好きだけど家は無理、といった根無し草の例はいくらでもあります。

前回、西行法師について触れました。今日はその続きを少しばかり……

西行法師、俗名は佐藤義清。出家したのは23歳の時とされています。仕えていた鳥羽院に向けて出家の意を表明した歌がこちらです。

惜しむとて惜しまれぬべき此の世かは
身を捨てゝこそ身をも助けめ

この世とは果たして惜しむほど価値のあるものだろうか。この身を捨ててこそ、身を助けることができるのでしょう(著者拙訳)

西行法師が何かに苦しんでおり、この世とこの身を捨てようとしたことがよく分かる歌です。しかしいったい彼は何に苦しんでいたのでしょうか。友人の死に無常を感じたため、道ならぬ恋心を断ち切るため、など様々な説があるようですが真相は誰も知りません。本当に俗世を捨てようと思ったら、おそらく俗世にいる人にその理由を告げたりしないでしょう。

西行は裕福な武家の出身で、昇進も順調、若くして(出家前から)歌の才に恵まれていました。こういった周囲から見たら恵まれた環境にいて羨ましいこと限りなしの人物が、世を儚んで俗世を捨てるケースは古今東西に溢れています。もっとも有名な人は釈迦牟尼仏陀でしょう。

釈迦牟尼仏陀は王子として何不自由のない生活を送っていながら、城の東西南北に老いた者、病に侵された者、死んだ者を見かけたことで世を儚んで出家の道を選びました。人間存在の不条理を「間接的に」悟ってしまったのです。そしてその不条理の原因と対処を究明するために家を出た。

仏教的な出家の形をとらずとも、遁世が文学の題材となることは多く、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』や中島敦の『山月記』などはその例と言えるかもしれません。ただこれらの物語の背景には明確な「個人の挫折」があり、主人公の境遇も決して恵まれたものとは言い難い。通じるところはあると思いますが、やはり少し違います。

僕は、仏陀も西行もあくまで究道のために家を捨てたのだと思います。仏陀は哲学の、西行は和歌の。物事を深く深く考えるためには、世俗はあまりに雑音が多すぎる。そこで自らの意志でシャットアウトする道を選んだ。個人の不幸からではなく、個人の興味関心に身を捧げるために。

さて、西行法師は説話の中で、出家を引き止めようとする娘を縁側に蹴落として家を出て行ったというエピソードが書かれています。本当だとしたらひどい話です。
仏陀もまた、妻と小さい息子を置いて家を飛び出します(妊娠中の妻、という説があります)。そればかりか、仏陀の出家・究道の妨げとなったため、その息子はラーフラ(サンスクリット語で障碍を意味する)と名付けられたといった解釈もあり、いくらなんでも可哀想だろうと同情してしまいます。

しかしその時の彼らにとっては、家族の存在がどうしても邪魔だったのだろうと想像します。家や家族は生きる土台でありながら、生きていく力を損ねる障碍にもなってしまう、そんな両義的な存在なのかもしれません。哲学者の神谷美恵子さんも『生きがいについて』の中で、「愛情の鎖もまた生きがいを損ねる要因になりうる」のように述べておられました。

大事な家族を蹴落とし、啖呵を切って出家した西行ですが、出家後も一向に心は定まらなかったそうです。随筆家の白洲正子さんが、西行の出家後の不定を示唆するいくつか和歌をあげています。そのうちのひとつ

捨てたれど隠れて住まぬ人になれば
猶世にあるに似たる成けり

気持ちがそぞろ歩きしていて、なんとも人間臭い歌。このような実直な歌は、共感できるかできないかが全てだと思うのですが、正直僕は好きです。しかし、もしこの歌のような西行の姿を家族が見たら、きっと悲しくなるに違いありません。私たちを捨てたのにこの体たらくか……なんてきっと思うことでしょう。

仏陀や西行の生き方、また遁世文学が教えてくれるのは、人間には逃走の欲があるのかもしれない、ということ。しかしそれは俗世から見て逃走のベクトルであるということに過ぎず、当の本人は何を目指しているかは全く分かりません。仏陀や西行はなし得たものがあったために伝承が残されていますが、多くの人の場合は何も為さず残さず、誰にも語られずに生涯を終えていったのでしょう。では彼らの逃走が失敗だったかと言ったら、それもまた違う。逃走の是非は価値で決まるものではない。逃走はあくまで逃走なのだから。

仏陀の息子ラーフラの語源には「障碍」の他に「月」「月食を起こす神」などがあるようです。そのためか月食の日に産まれた、というエピソードを紹介する仏典もあります。通俗的語源解釈といって言わばシャレとこじつけが仏教文学には盛り込まれています。

今回は月からラーフラを連想し、仏陀と西行の出家エピソードについて思うところをつらつらと書いてみました。あまり月の話はできませんでしたが、次回こそは西行法師の月の歌を紹介したいと思います。それではまた次回。

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