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30 微睡の言葉はショートする(BL) 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

30 微睡まどろみの言葉は短絡ショートする


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【エル・ハーヴィドの日記】

帝国暦100年7月6日
 親愛なるディ・シュアン。いまラウダナのずっと東にある村落にいる。あの盗賊もまだ一緒にいるぞ。予想は大外れだったな。
 そして俺の〈旅の楽団〉はもう8人の大所帯になっている。みんなどこかに傷を抱えた奴ばかりだ。体の一部がない奴もいる。知恵の足りない奴もいる。みな虐められたり、のけ者にされたり、外の世界に〈差別〉というものがあることを俺は知らなかった。
 だがな、あいつらにばちを握らせると、とにかく楽しいんだ。怒りとか哀しみとか喜びとか、すべて剥き出しで叩くんだ。律動リズムというのは内側にあるものなんだな。
 帝国伝統舞楽団ダアル・ファーマールの精鋭楽師50人の頂点に立っていた男が、今やこの有り様だ。君は笑うかい? そうだとしても俺は、今の俺を君に見てもらいたい。君が目を覚ましてくれていたら嬉しい。

帝国暦103年5月25日
 聞いてくれ、ディ・シュアン。荒くれの盗賊、いや元・盗賊が父親になった! 子どもが産まれたんだ。父子揃ってわんわん泣いててさ、俺まで泣けてきちまったよ。それにしてもあいつ、いつの間に楽団の踊り娘とデキてやがったんだよ? 俺はまったく気付いてなかった。
 少し羨ましいなって思ったよ。少しだけだ。あと相棒を女に取られたみたいで少し寂しかった。少しだけだ。
 いや、俺の相棒はやっぱり君だけだよな。悪かった。君が元気でいてくれればそれでいいんだ。

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 ふたたびオアシスを訪れたアシュディンとハーヴィド。管理者の男はふたりの顔をしっかりと覚えていた。そしてなんの〈よしみ〉か、管理小屋の夜番をふたりに押しつけて、カナートの井戸伝いに近くの村落へと行ってしまった。「利用料は要らないからさ!」と言い残して消えた彼には、のっぴきならない事情があったのだろうか。アシュディンは「絶対コレだよ」と言って、小指を立ててニヤついた。

 その夜はかなり冷え込んだため、ふたりは夜通し小屋の中で過ごした。
 楽師は練習曲をひと通り復習さらい終え、ヴィシラを横の壁に立てかけた。アシュディンは今がチャンス!と思い、それまで楽器に占領されていたハーヴィドの太腿にサッと腰を下ろした。「へへっ」と屈託のない笑顔を向けながら。
「そういえばさ、ふたりで初めてダアルをやったのってここだったよな」
「三日月の儀だったな」
 アシュディンの突然の接近にハーヴィドはもはや驚かない。青年の細いウェストを腕で囲うようにしながら、自身の掌を入念に揉みほぐしていた。そこまでが楽器練習の日課だった。
 アシュディンはいつからか、斜め下からハーヴィドの顎のラインを見上げるのが好きになった。雄々しさと鋭さを兼ね備えたその線は、自分にはない憧れのものでもあった。
「いま思い出したんだけど、舞の後半で足が攣って倒れそうになったのを、お前の出す音に助けられたんだった。急に体が軽くなって。もしかしてあれも舞楽ダアルの秘儀のひとつだったのかな?」
 アシュディンが楽師の鎖骨を枕にするように頭預けると、ハーヴィドは髪が擦れ合うすれすれのところで首を横に振った。
「あれは秘儀でも何でもない。お前の体が望んでいる律動リズムに合わせて弾いてみただけだ」
「は? 俺あの時、お前のテンポが遅すぎて〈速くしろ、速くしろ〉って必死に訴えてたんだけど」
 不本意だ!と抗議するアシュディン。楽師はむきになる青年を穏やかな顔であしらいつつ、後ろからぎゅっと抱きしめた。胸と背中が密着し、ハーヴィドの口元が耳のすぐ傍に来た。

「脳や筋肉はそうだったかもな」
 低い声が鼓膜と背骨の両方から響いてきて、内臓までもが震わされるようだった。
「ただ〈体〉とは意識的に動かせるものばかりではないだろう。心臓や肺や消化管や、意思を差し置いて勝手に運動する〈体〉もある。それらは脳の働きよりも、ずっとゆっくりと働いているはずだ。人間にはそういった思い通りにならない律動リズムがある」
 楽師は懇々と言って聞かせた。まるで思い通りにならないものを散々味わってきたかのような口ぶりだ。
 腕が滑る感触がして、ハーヴィドの大きな掌がアシュディンの左胸をそっと覆った。
「お前の急き立てるような舞も嫌いではないが、あの時のお前の中には思考と運動とに置き去りにされている〈体〉があった。俺はそいつをほんの少し、くすぐってみただけだ。お前の体が無意識に望むことを──」

「ちょっと待て!!」
 アシュディンが突然そっぽ向いて声を張り上げた。耳たぶが真っ赤に染まっている。
「な、なんか……エロい……やめろよ」
 自らここに飛び込んできたくせに急に恥ずかしがっている青年のことが、楽師には愛おしく思えてきた。《……かわいい、からかってやろうか》
「すこし、心臓が速くなったか?」
「バ、バカ。お前、なんかキャラ変わってねぇ?」
 まごまごするアシュディン、ハーヴィドは逃がすまいとして腕に力を込めた。そして恥じらう少女のような耳を通り過ぎて、こめかみにそっと口づけをした。
「俺はいつだって大真面目だ」
 アシュディンはその言葉にすっかり逆上せてしまった。やがてふつふつと湧いてきた〈年上の余裕〉への苛立ち。青年はどう抗議したらよいか分からず、不機嫌に口を尖らすばかり。
 ハーヴィドはそこにも謝罪のキスを落とした。恥じらいがふたりをそっぽ向かせ、可笑しさがまた顔を突き合わせ、何度か唇を重ねるうちにアシュディンの機嫌はすっかり直った。
 ふと、ハーヴィドはこくりこくりと寝入り始めた。何に満足したのか、何に安心したのか。アシュディンは寂しさを覚えつつ、そこはかとなく安堵した。昂る想いを情欲に換える以外の、穏やかな愛情表現を模索している頃合いだった。
《そういえば、こいつの寝入りばなってほとんど見たことなかったな》アシュディンはハーヴィドの顎が落ちたり浮かんだりするのを眺めながら、しばし時を過ごした。
 ハーヴィドがすっかり眠ったことを察すると、背を壁にもたれさせて腕の中から抜け出した。そして、無防備な寝姿にしばし見入った。

 アシュディンは胸を絞り上げるように願った。
《お前とずっとこのままがいい。ディ・シュアンとエル・ハーヴィドみたいに引き裂かれるのは嫌だ》

 しかし想いが頭の中で言葉に置き換えられた瞬間、まさか別の男の顔が浮かんできてしまった。
 ディ・シュアンたちがそうしたように、アシュディンにも団内で愛を育んだ相手がいた。その男とは数年来〈恋人〉の関係にあったが、公の肩書きはそれとは違った。

〈正統の教育係なんて影の存在で終わるよりも──〉

 未だに信じたくない声が反響してきた。
《姉さん、なんであんなこと言ったんだよ? 姉さんは俺たちのこと知っていたはずだろう?》
 アシュディンは横臥してハーヴィドの腿に頭を預けると、うつらうつらしたまま朝陽が差すのを待った。

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帝国暦108年11月24日
 親愛なるディ・シュアン。今日は初めて俺の意思で団に新しいメンバーを迎え入れた。トルシカという名の、今年9歳になる男の子だ。困窮している孤児院から引き取ったんだ。
 盗賊と踊り娘の間に子が生まれてから、親子の成長を横で見ていて、ふと俺も子どもが欲しくなっちまってさ。時折、思い立っては行く先々の町で女を口説いてみようとしたが、てんで駄目だった。君の顔がちらついて、ひとつも言葉が出なかったよ。今思えば失礼な話だよな。何から何まで情けない男だろう?
 でもこれで俺も晴れて父親だ。〈もどき〉だけどな。祝福してくれるかい? ディ・シュアン。

帝国暦110年3月30日
 親愛なるディ・シュアン。子どもとはいいものだな。可能性に満ち満ちている。

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── to be continued──

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