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初手最高デートから掟破りまで【エッセイ】

文学作品に触れる際、悪いところは目を瞑る、良いところは拡大鏡で見る、という姿勢を貫いてきた。それは僕が著者として完全なアマチュアであり、また読者としても一般読者の枠を超えず、批評家でもなんでもないからだ。
アマチュアや一般読者にとって、そのモチベーションは「楽しさ」以外にない。指摘や批評なんてもっての外、そんなものは「茶々」でしかない。

とはいえ、自分を高く見積もったり、枠を見誤ることもある。他者の作品について色々と思うところを頭に巡らせる。もっとああすればいいのに、もっとこうしてほしかった。そういう時は、ひたすら黙って時が過ぎるのを待つ。臭いものには蓋精神。この際、臭いのは作品ではなく自身の烏滸おこがましさ。

前置きを書いている間に、自分の臭さが和らぐかもしれないと期待していたが、どうもそうではないらしい。僕は臭いままだ。このまま臭いのもしんどいので、一度だけ禁忌を破ろうと思う。

数年前、とあるレーベルが主宰する新人賞で、優秀賞に輝いた作品がある。審査員の高い評価に加えて、一般読者の圧倒的支持がそれを後押ししたそうだ。
件のデビュー作を僕も正座拝読したのだが、もう語彙を失うくらい素晴らしくって。このような芸術体験は人生で片手数えるほどしかないし、まさかそれが大衆向け(ティーン寄り)の娯楽小説で経験できるとは夢にも思っていなかった。1年間で5回は読んだ。多いと思うか少ないと思うかは人それぞれだが、フツウは娯楽小説をこれだけ読みはしないと思う。

鳴り物入りでデビューしたその方は、年に1作の出版ペースでプロの道を順調に歩んでおられる。僕はもはや恋の奴隷。目をハートにしながら2作目、3作目にも飛びついたのだ。

……

……

4作目にして、あれだけ脳内お花畑にしていた自分から臭い匂いがするのに気付いた。

もしかして……いまいち???

気付きたくなくなかった。ずっと夢を見ていたかった。せっかく恒久的に追いかけたい作家に出会えたと思っていたのに。ひとりで盛り上がっていた自分が恥ずかしい! 恥ずかしいわ、私ったら!!

一縷の望みが色んな思索を手繰り寄せた。
たとえば僕自身の感性が磨耗して死んでしまった説。1作目から4作目の間はそう長い期間ではなかったが、忙しくしていたし総読書量は激減していた。感性が死ぬこともあり得なくはない話だ。
次に、レーベルの想定する読者に僕が含まれていない説。先ほど述べたようにティーン向けのレーベルなので、僕みたいなオッサンが感動できないのは当たり前だ。

考えれば考えるほど、悲しくなって、虚しくなって、僕は自分に課した掟を破り、1作目を「批評的な目で」もって開いた。

すると、やはり途方もなく面白かったのだ。
流麗な文章、緊密に絡み合う詩的言語。冒頭から目まぐるしく繰り広げられる緊張と緩和。小説内時間と因果関係が結ぶ線が、ダイヤモンドのカットように見えた。情緒と官能に満ち満ちた内容の中で、ティーンの愛が眩しいほど稚拙に輝く。

それに比して4作目はなんとも間の抜けた叙述一辺倒。お世辞にも佳作と言えないばかりか、小説に定義できるかどうかすら怪しい。

こんなことは言いたくないが、数年の間にその作家は確かにつまらなくなってしまったのだ。感性の摩耗や対象読者の問題だけでは説明がつかない。
これが作家人生、出版業界の厳しさなのだろう。デビュー作が華々しいからといってその先が保証されるわけではない。1作で消えていく作家が大多数。常人には想像もつかないほどの並々ならぬ努力が一瞬で散りと化す。
なんとも世知辛い。。。

とはいえ、惚れた弱みではないが、応援はし続けようと思っている。初手最高のデートをしてくれた恋人に、、、と言い出したが、これって釣った魚に餌はいらない系クズ男のパターンそのままなので、誤った喩えは引っ込めよう(引っ込めてない)

吐き出して気分はスッキリした。多少は臭さも消えただろうか。いや、これからもきっとモヤモヤを抱えては、蓋を閉めたり時々開け放ったりしながら過ごしていくのだろう。

またデビュー作を再読することとしよう。受賞や出版が過去だとしても、小説時間は常に今なのだから。

書き殴っただけの乱文にて失礼しました。
#エッセイ #日記 #小説 #文学

ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!