笑顔が幸せを連れてくるという法則を数年に渡り実践してみた結果

異性の好きな仕草の上位にいつも君臨しているのが「笑顔」だ。

いつも笑顔でいれば幸せを引き寄せることができる、というのはよく耳にするし目にする。

確かに、笑顔でいる事で周りの空気は和むし、スムーズに物事が運ぶこともあると思う。私にもそういう経験がある。

笑顔でいる事で相手をリラックスさせて良好な人間関係を築けるということは私にもよくわかる。

幼い頃から、笑顔でいれば親はかわいいねと言ってくれたし、怒ったり泣いたりすれば叱られたり可愛げが無いと言われた。

だから、出来る限り笑顔でいようと思った。笑顔でいれば、無条件に優しくされるということを覚えた。子供ながらにそういう処世術を知ってしまったのだった。

小さい頃の私は、引っ込み思案で赤面症のとてもシャイな性格で、親兄弟の中でも自己主張の少ない大人しい子供だった。特にこれといって特技があるわけでも無く、日がな読書に更けるような存在感の無い子供。そんな私が、笑顔を向けるだけで大人たちは褒めてくれる。これは美味しい。なんて素敵なライフハック。

それからは、何があっても笑顔がデフォだった。笑顔でいると友達が増えた。先生からの信頼も得られた。反抗期なんて無かった。その頃には、ナチュラルに笑顔を作れるようになっていた。誰も私が作り笑顔をしているということに気付かなかった。

そうしていつしか気付いた。

怒りも悲しみも笑顔で乗り切ることで、周りは私の本心には一切気付かないということに。

押し込められた感情は、常に爆発したがっていた。その爆弾も笑顔で無視をし続けていると、だんだんと色々な感情が麻痺してきて、どんどん心が空っぽになってゆく気がした。それでも顔の筋肉は笑顔を覚えていて無意識に笑顔でいられる自分に恐怖心を覚えた。

せめて感情というものが私からなくなってしまえば楽になれるのに。そう思い始めた私は「人形になりたい」と口にするようになった。

人間として人間と関わってゆくことに疲労と恐怖があった。笑顔でいないと受け入れられない世界に嫌気がさしていた。人形は笑顔でいなくても、そのままで受け入れられ、愛されるのだ。なにそれ羨ましい。

そうして、次に私がたどり着いたのは人形になろう!という、なんとも無理な願望だった。

ぱっつん前髪でロリータファッションに身を包み、ガラス玉のように何も捉えない目でただただ美しい物だけを愛し、空想の世界を漂う。そんな空っぽで許される存在。

形から入るタチが功を奏して周りから「ほんとにお人形さんみたい」と言われるまでに人形として成長した。

元来、フランス人形好きだった母はそんな私を連れて外出したりした。

でも、どんなに形を繕っても心を完全に失くすことは難しく、怖い話によくある“涙を流す人形”とかに対して「わかるわ〜」とか思ったりした。「いや絶対わかんないだろ!」と今の私はツッコミを入れたいのだが、当時の私は本気でわかった気になっていた。いやはや、思い込みってすごい。

「人形には人形の苦しみや悲しみがあるのね…」と悟った私は苦節8年、またもや人間に戻ることとなった。

これは別に人形になることが物理的に難しいと気付いた訳では無く、単にロリータファッションが似合わない顔面になったからだ。そう。老い。老化。

ほうれい線のある人形なんて私の美学に反する。人形は何年経っても内面も外見も少女性を保ち続けなければならない。

内面だけならまだしも、外見は無理。内面もいい年になったらだいぶ痛い。子供っぽい女性がもてはやされる日本では割りとそういう女性は多い気がするのだが、それって少女のような女性が好きな男性が日本は諸外国より多いというのが私見だ。合法ロリとか顕著な例。

そう。ここでまたぶち当たるのがこの異性問題ってやつ。

笑顔の女性が好まれるという、どこからともなく湧いたモテテクってやつ。

常に笑顔でいる事でモテる!みたいな風潮に私もまた惑わされた一人だ。

人形を諦めた私は、喜びだけでなく、怒りも悲しみも分かち合える存在を求めるようになった。

そのために、一度捨てた仮面の笑顔をもう一度着けることとなった。しばらくブランクがあった笑顔だったが、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったもので、笑顔が辛いという思いは数年の人形期間によってまんまと忘れ去られてしまっていた。

ここから、笑顔を取り戻した私のモテ期が始まった。すごいな、笑顔。異性だけでなく、同性からも、職場でも、お客さんからも、よくモテた。これは確実に笑顔効果だ。笑顔でいるとみんな安心してくれた。一緒にいると安らぐとか、会いたいと言われることが増えた。この時が内心一番調子に乗ってた。全て笑顔で隠していただけなんだけど。

そうして、仲良くなった相手とある程度付き合いが長くなってから、少しずつ不平不満を顔や口に出すように心がけた。

信頼し合えるからこそ、お互いの負の感情も共有出来る。そういう関係を私は求めていた。

するとどうだろう。

「前はそんなこと言わなかった」「キミは変わった」「前はもっと優しかったのに」そんな言葉を浴びる結果となった。

いわゆる、“優しい人ほど怒ると怖い”的なアレ。違う、そうじゃない。

「本音で話せるような関係になれると思ったわけで、むしろそんな関係になれたことを喜んで欲しい」という私の気持ちは無残に砕け散った。

結局、何でも笑顔で受け入れてくれて、落ち込んだ時も上手くいかずにイライラしている時も笑顔で励ましてくれる私が好きで、私の不平不満はお呼びではなかった。

みんな自分にとって都合の良い人がお好きなのだ。みんな気分良くさせてくれる人が欲しいのだ。

本音を出し始めると、決まってみんな「なんかあった?」と訝しんだ。

にこにこするのを控えた途端「なんか怒ってるんでしょ」「機嫌悪いね」とわかったような事を言う。

私だっていつも穏やかに笑顔でいるのは疲れるし、笑わない時くらいあってもいいじゃないか。

都合のいい相手が欲しいなら他をあたってくれ。

私はもう疲れたんだ。

笑顔は自分が楽しい、嬉しい、と思っていると伝える方法の一つでしか無い。

正直でない笑顔に何の価値があるのか。

もう無理して笑わなくていい。

私は、私のために笑おう。

一番大切なのは、自分に嘘をつかないこと。

それが数年間の検証で得られた答えだ。



モテたければ笑顔を使え。

だが用法用量には気をつけよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?