約束
毎年私は病室からしか花火を見ることができなかった。
小さい頃から、体が弱くて、高校に入学してもほとんど学校に行ってない。
「瑞穂、お母さんから頼まれた着替え持ってきたぞ」
「ありがとう、そこに置いといて」
テレビが置いてある台を指差すと、良太は着替えが入ったカバンを置いた。
良太は「あちー」と言いながら服をパタパタさせている。
暇な入院生活での話し相手になってくれるのは、いつもお見舞いに来てくれる良太しかいない。
お母さんもたまに来てくれるが、母子家庭ということもあって仕事が忙しそうだった。
もう、一週間もお母さんの顔を見てない。
良太は幼稚園の時から一緒で、家が近かったこともあり、よく二人で遊んでいた。
高校に入り、入院生活が長くなった私に、授業が終わると毎日お見舞いにきてくれて、学校であった面白いことを話してくれたり、お母さんに頼まれて着替えなどを持ってきてくれる。
いつもは照れ臭くて言えないが、良太には本当に感謝している。
もし、良太がいなかったら、私はこの長い入院生活に心が折れていただろう。
「てか、今日って夏祭りなんだな。」
「うん」
窓からは浴衣を着た女の子たちが楽しそうに歩いているのが見えた。
「良太は夏祭り行かなくていいの?」
「ああ、俺は行かなくていいよ。あんまり人多いの好きじゃないし」
良太はそう言ったが、多分私に気を使ってここにいてくれるのだろう。
みんなが楽しんでいる夜に、一人だけ病室にいるっていうのは、孤独感に押しつぶされそうになる。
「私も浴衣着て、花火見に行きたいな」
私がボソッというと
「来年、行けばいいじゃん」
良太はテレビを見ながら、こちらに顔を向けずに言った。
テレビの中では、今、旬のお笑い芸人たちが集まって、好きな漫画を語り合うトークバラエティをやっている。
「でも、お医者さんが日常生活を送れるようになるのは高校を卒業する時までは難しいかもしれないって言ってた。」
「そんなの医者が勝手に言ってることだろ。俺の方が瑞穂と長い付き合いなんだから、俺の方が瑞穂のことわかるよ。俺が治るって言ったら、治る」
良太は顔をこちらに向け、真剣な眼差しで言った。
「なにその、理屈」
意味わかんないと思いながら、少しふふっと笑っちゃう。
「じゃあ、私一緒に夏祭りいく人いないから、良太も一緒に来てよね」
「ああ、いいよ」
「約束だよ」
「うん」
それから一年後、本当に良太の言った通り、私の病気は良くなっていった。
「これは、すごいことだよ」
お医者さんもびっくりしていて、これなら退院できるでしょうと言ってくれた。
一ヶ月後には夏祭りが待っている。
私は今まで病室からしか見ることが出来なかった花火を良太と、他の女の子たちみたいに浴衣を着ながら見れると思うと、楽しみでしょうがなかった。
良太が飲酒運転の車にはねられた
三年ぶりに家に帰ってきた私を迎えた言葉は、おかえりでも、退院おめでとうでもなく、幼馴染の悲報だった。
体の中に氷を入れられたように、体温が一瞬で下がるのが分かった。
呼吸が浅くなる。
私はすぐ良太が運ばれたという病院に行ったが、病院に着いたときにはもう、良太は帰らぬ人となっていた。
私はあの時にもう一生分の涙を使い果たしただろう。
「本当に夏祭り行くの?」
お母さんが後ろから、心配そうに聞く。
「うん」
私は浴衣の帯を締めてもらいながら、頷いた。
夏祭りがやっている公園に近づくたびに、浴衣を着た人たちがだんだん増えてきた。
友達、カップル、家族で来ているたちがほとんどでみんな楽しそうにしている。
私の隣に良太はいない。
公園に着くと浴衣を着た人たちで溢れかえっていた。
ただでさえ暑いのに、人が密集していることで気温がぐっと上がった気がする。
金魚すくい、焼きそば、サメ釣り、わたあめ、チョコバナナ
病室の中であれほど楽しみにしていた、出店たちが並んでいる。
私は、白いタオルを頭に巻いたおじさんにお金を渡し、チョコバナナを1つ買った。
一口食べると、チョコの甘ったるさが、喉を乾かせるだけで、全然美味しくなかった。
もう帰ろうかな。
ボーッとしながら歩いていると、いつしかあまり人がいない方へ来てしまった。
周りには、木が立ち並び、屋台もないせいで薄暗くなっている。
元の場所に戻ろう。
そう思った瞬間、手を誰かにぐっと掴まれた。
ビクッとして後ろを振り返ると、知らない男が立っていた。
40代くらいだろうか、髪は薄くなっていて、無精髭を生やし、白かったであろうTシャツはひどく黄ばんでいて、不潔さが前面に滲み出している。
「君可愛いね。いっしょに遊ばない?」
男は気持ち悪い笑みを浮かべながら言った。
酒臭い息が顔に吹きかかる。
ゾワっと鳥肌が立ち、体の上を虫に這い回られるような気持ち悪さがした。
「離してください」
男をにらみながらそういうと、
「はあ?」
男は急に不機嫌になり、握っている手に力を込めた。
「いたっ」
手に痛みが走る。
怖い
そう思った瞬間、後ろから石が飛んできて、男の顔に直撃した。
「ああっ」
男はうめき声をあげ、顔を抑えるとつかんでいた手を離した。
私は何が起こったかわからず呆然としていると、後ろから誰かに手を引っ張られ、屋台が出ているところまで走っていた。
私は上がる息を抑えながら、顔を上げると、そこには天狗のお面をかぶった、私と同い年くらいの少年が立っていた。紺色の作務衣を着ていて、素足にサンダルを履いている。
一瞬、天狗のお面にギョッとしたが、出店にお面が売ってるとこもあったのでそこで買ったのだろう。
「あ、すいません。助けてくれてありがとうございました」
この少年がさっき石を投げて私を助けてくれたのだろう。
少年は何も言わずコクリと頷く。
喋れないのだろうか。
初対面のはずなのに、不思議とこの子には心を許してもいいような気がした。
「あの、私今日お祭り一人できてるんですけど、良かったら一緒に回りませんか?助けてもらったお礼もしたいし」
やはりその少年は何も言わなかったが、私が歩き出すと、一緒にトコトコと着いてきた。
「ラムネを2本ください」
私は冷えたラムネを2本買うと、一本を少年に渡した。
キンキンに冷えたラムネは氷のように冷たい。
少年はペコっと少し頭を下げると、また一緒に歩き出した。
天狗のお面をかぶっているので、どういう気持ちなのか表情が読めない。
ビー玉をぽこっと落とすと、シュワシュワシュワと水色の容器の中で炭酸が上がってきた。
一口飲むと炭酸が喉で弾けて、熱くなった体の中を冷たいものが流れていく。
少年は顔を見られるのが嫌なのか、お面を少しだけずらして飲んでいる。
いろんなお店を見た。
金魚すくい、サメ釣り、射的、焼きそば、りんご飴
夏祭りってこんなに楽しいんだ。
少年は相変わらず一言も喋らなかったが、私の言葉には頷いてくれるので、コミュニケーションを取るのには問題なかった。
「ドン」
突然頭上で爆音が鳴り、周りではうぉーと歓声が上がる
上を見上げると真っ黒な空の中で綺麗な花火が上がっていた。
私たちは、花火が見やすい場所に移動し、二人並んで腰を下ろした。
赤、白、緑などのカラフルな花火が次々に上がり、咲いては散っていくのを繰り返している。
二人で見た花火は、病室で見た花火と比べ物にならないほど綺麗だった。
夏祭りは終わりに近づき、多くの人が家に帰るようにぞろぞろと歩いている。
私たちは何も言葉を交わすことなく、二人並んで帰り道を歩いていた。
「ごめんな、約束守ってやれなくて」
天狗のお面をかぶった少年はぽつっとつぶやいた。
鼻の奥がツンとして、我慢してないと涙が出そうになる。
本当はわかっていた。
顔や声がわからなくても、良太のことがわからないはずない。
何年も一緒に居たんだ。
「なんで、良太は約束守ってくれたじゃん!あの時した約束のために今日は来てくれたんだよね。」
あの時一生分泣いたと思った涙がまた溢れてくる。
「本当は生きてるうちに瑞穂とお祭り行きたかったんだけどな。」
「また、会える?」
「ごめん、もうあっちの世界に行かなきゃいけないんだ」
「私もいくよ」
「ダメだよ、お前は俺の分まで生きるんだよ」
「良太がいない世界で、私は生きていたくないよ」
お面で表情は見えなかったが、良太が困ったような表情をしているのがわかった。
「わかった、じゃあ、来年の夏祭りにまた来るから、お前は生きろ」
「ほんとに来年の夏祭りでまた会える?」
「ああ、約束だ。」
顔を上げると、天狗のお面をかぶった少年は消えていた。
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