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エッセイ 小説を書いてみた

病気になって、身体が思い通りに動かなくなってはじめて、思うことがある。
ああ、もっと表現していれば、よかった。

今日は見上げれば青空で、太陽は燦燦と輝いていて、やわらかな風が吹いていた。蛇口から水が出て、お風呂に入って、好きな服を着て、まずはコンビニへ行く。歩ける。しかし、人はそんなことで「生きている!しあわせ!」とは、なかなか思えないものだ。

そんなことは当たり前。っていうか料理も掃除も面倒くさい。仕事ができるのも当たり前、仕舞いには「お給料が安い」とか「同僚がどうの」とか、そんなことで、心を満タンにさせる始末。

何でもない日常からきらきら光る何かを見出し、
木下龍也さんのように
「コンビニの バックヤードでミサイルを 補充しているような感覚」なんて、短歌は思いつきもしないし、曽我部恵一さんのように「コンビニのコーヒーはうまいようでなんとなくさみしい」なんてメロディも浮かんだりもしない。

「人生は暇つぶし」なんて青臭すぎるけど、ホントそんな感じだったかもしれない。
「死ぬ時が来たら、その時はその時さ」なんて、刹那的あるいは希望観測的に、あらゆる大切な決断をした。老いることには見て見ぬふり、毎日をやり過ごす。ショッピング、ザッピング、レビュー、真夜中が来て、なかなか寝つけずにいる。人は同等に、いつか死ぬ。その実感なく、歳を重ねていく。そんな感じだった。

それにしても、お笑い芸人ってすごい。
大喜利に見るあの俊敏な日本語能力。訓練されたものでもあるのだろうが、「きっと脳の構造が違うのだろう」と、ただただひれ伏してしまう。
それも20代のうちから、「これをやっていく」と決めたことがすごい。生活ができないような状態から、恥ずかしがらず、腐らず、舞台に立ち続ける。日常のくすくすを集め続ける。

自分の生命を存分に発揮しているな!と思う。

でも、ほんとうは誰にでも出来るのだ。誰にでもゆるされているのだ。才能なんかなくても、わざわざ有名にならなくても、スーパーの店員でも、事務員でも、主婦でも。自分の生命を存分に発揮する、ということは。

こんなこと言うのも野暮だけど「才能」なんて、他者と比較した上での相対的なジャッジメントに過ぎない。自らに湧き上がる「やりたい!」「たのしい!」「やらずにはいられない!」は、もっともっと次元の違う、純粋な初期衝動。
それをね、自分が大切にしないとね、いけなかった。

そんなわけで、5月のゴールデンウィークに、私は初めて小説『穏やかな暮らしを求めて』を書いてみた。「書いてみた」と言うに相応しい、何の国語的な訓練もしていなければ、「てにをは」の意味もよくわかっていない、41歳の私が。

しかし、事実通りに書こうとすると、文章は蔦のように複雑に絡まっていくばかり。当時のことを思い返せば、感情までくっついて、ズブズブ暗い気持ちにのまれてしまう。その行為は元々は8Hで描かれていた薄い線を、8Bの鉛筆で何度も描きなぞっていくようなもの。反芻は健康にわるい。

そこで整理した。
私は、恨みつらみを書き連ねたいわけではない。
芙美恵さんにあたる人物を告発したいわけではない。
若い人に対しておせっかいに啓発したいわけでもない。

私は、フィクションとノンフィクションを織り交ぜることにした。
小説の、鹿子とはなさんは、自分を分裂させたような人物だし、実際にいる別人を組み合わせてもいる。実際のスタッフはもっと多かったし、芙美恵さんには10歳年下の副社長のパートナーもいた。芙美恵さんの台詞はほぼ事実、リトリートで40万失ったことは事実だけど、その後会社でリトリートは実際は開催していない。誰かと分かり合えた、お笑いの舞台に立ったというのもフィクションだ。

とにかく
「自分が、どうすれば病気にならなかったのか、を考えるのだ!」
と思いながら。

私の腕不足で、出来ていたのか分からないけれど、誰が、善い人、悪い人、という風にもしたくはなかった。真実なんてないのだ。起こったことの、グレーの色合いを見よう。
決して頑張りすぎずに。今、私は交感神経をブワっと優位にさせている場合ではないのだから。

書いて知ったことは、小説を書くというのは、話をノミでカンカンと削って、色調のコントラストを強くしていくみたいだ、と思った。
何度も挫けそうにもなった。それでも「何がなんでも書き終えてみよう」と思えたのは、ある3つのラジオを聴いていたからだった。
『ゲイと女の5点ラジオ』
『道端ドコカの迷い道』
『オダギリジョーのライフタイムブルース』だ。

『ゲイと女の5点ラジオ』は、ヴァジャさんと、しょうちゃんがパーソナリティのポッドキャスト番組。『道端ドコカの迷い道』はこの派生で生まれた番組だ。
ヴァジャさんは、過去に占いの霊感商法にハマった経験があり、相方のしょうちゃんは自己啓発セミナーにハマった経験がある。道端ドコカさんは、宗教二世として生まれ育った。そして彼らは、じめじめっと語ってしまいがちなこれらの話題を、明るく楽しくポッドキャストというひとつのアートにした。(おすすめのエピソードは、ヴァジャさんのしくじり回、有料だけどしょうちゃんのしくじり回道端さんの催眠出産回
「あの時の私ヤバかったよね…」と笑って話せる友だちがいるだけでも、心からいいなぁ、と思う。

残念ながら、私にはそんな風に話せる友だちがいない。話下手なので、ポッドキャストで、面白く話せる気もしない。じゃあ、小説上で「友だちを作るしかないよね」となった。(そしてのちに小説にしたことを、ヴァジャさんのラジオ『VAJA JAPON』へ投稿すると、ラジオ内の25でも取り上げてくださいました)

また『ライフタイムブルース』は、一般の方から送られた実際にあった物語から成り立つ番組で、先日、友人の書いた文章が番組で読み上げられる、という出来事があった。オダギリジョーの渋声に文章を読まれる。非常にうらやましい。
そんなこともあって、私も、あったことを文章にしてみようと思った。
小説を書いている間じゅう、この3つのラジオを聴いていたので、小説にもずいぶん影響されている。

因みに私は「リトリート詐欺に遭ってスピ溶けした」と、やや被害者意識満載で、自虐ネタのように語ってはいるものの、今でもスピリチュアルも全て否定しているわけではない。ホ・オポノポノは、考え方として染みついているし、霊気や瞑想など、高かったけれど、学んでよかったこともある。小説に書いた、はなさんがハマったセラピーには、私はほぼ行っている。まぁ、他人にぶら下がってばかりで、ボロボロになるまで散財し、他人のせいにし、「何考えてたんだ」とは思うけれど。

小説を書いてみてよかったことは、記憶の捏造がされるということ。小説を書いている間、考えることといえば『小説上の澪の町のこと』であり、書き終わった後でも、「あの場面はこう変えた方が面白いかもしれない」と、記憶にフィルターがかかるようになった。

小説を書くまで、芙美恵さんを思い出すだけで胸がギュッとなっていた。毎晩のように思い出しては、むかついていた。
「うぐぐぐ……!」それが「あれはむかついたな〜、あはは」くらいにはなった。記憶に紐づいた感情までも書き変えられるようだ。そうしてやっと、事実は古いアルバム行きとなった。
ちがうフィールドに行けたような気がした。

反芻して、病気になって、小説にして、3年がかり、
わざわざこんな遠回りしなくてもいい、と思うけれど
そういう手もあったのね。
きっとこの先も小説を書くことないが、(あまりにも大変、こんなに労力のかかること! でもやっぱり、それもやってみないと分からないことだった)
それでも、何とかかんとか、曲がりなりにも形にしてみてよかった、と思えた。

冒頭の話に戻ると、私は自分の生命にとことん傲慢だった。
緩慢な日常にふにゃふにゃになっていた。
なんという勿体無い話だよ。
そして、わかった。私は、自分の体力に見合わないこと、自分の能力に見合わないものを追い求めていた。
芙美恵さんにあこがれ、芙美恵さんの会社に行ったことも含めて、自分の能力に見合わぬこと、上とか下とかではなくジャンル違いなことを、自分に強いていた。そして元より体力がないのにも関わらず「もっと頑張ればできるはず」と、自分に強制労働させていたようなものだった。

何かでっかいことがしたい、りっぱな何者かになりたかったが全然出来なかった私に言いたいのは、別に、小説家、お笑い芸人、有名なデザイナーなんかになれなくても、表現はしていけばいい。なんで他者評価で落ち込んだりしていたんだろ、生きているうちしか表現ってできないんだよ!ってこと。
そして表現より、毎日を楽しく生きることが先決だ、ということ。
それは病気になって、小説を書いてみて、はじめて気がついたことだった。

小説を書いている間、自分を鼓舞するために、
スマホのメモに書いてあった。

私という人間が
生きているうち
できる限り表現をする
正しさから生きるな
無邪気さで生きろ!

良かったら読んでやってください。

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