わざわざ

去年の11月、約1年ぶりに友人達とご飯に行った。
毎年1回はみんなで集まっていて、近況報告をしていた。
けれど、去年はコロナの影響もあり「今年は集まれないか。」と思っていたけれど、1人が声を掛けてくれて、感染対策をしっかりして、みんなで集まることに。

当日、みんなでランチを食べて、その後本屋へ。
皆それぞれに買い物をして、残り1人を待っていると、それはそれは重そうなビニール袋を持って登場。
A「欲しい漫画があって、買っちゃった!」
B「何も近所の本屋で買えばいいのに(笑)」
A「いやー、ねぇ、欲しかったからさ!」
その子(以下、Aとする)は都内に住んでいて、私達に会うために実家に戻って来ていた。

Aが都内の家に帰るのに、荷物が重くなる事は分かっている。
だが、そんな後の苦労は感じないほどに、楽しみやワクワクの気持ちが上回る時がある。
これは、皆、一度は経験がある事だと思う。

子供が大きなおもちゃを買ってもらい、引きずりながらも自分で持ちたいと思ったとき、旅行先で出会った、その土地ならではのお土産。家に帰ったら使わなくなるのは分かっているけど、なぜか買ってしまう。

その時、出会うときめき。

「荷物が重くなるから、後で買おう。」と考え、判断する事は出来る。
けれど、心が反応してしまう時がある。
これは無視出来ないのだ。

その、心のときめきに素直に従って物を買うAを、私は嫌いではない。
むしろ、自分の心のときめきをいつまでも忘れずにいる友人を大切にしようと思った。

そして、他の友人達もそれぞれに個性があり、会うたびに顔の筋肉が筋肉痛になるくらい笑わせてくれる。

コロナ禍で人に会うことが出来なくて、1人でもなんとか楽しもうと思っていたが、やはり人と会う事は楽しい。改めて感じた。

私は、自分のときめきや感情にいつも蓋をしてしまい、偽りの自分で人に接している。完璧な自分でいないと人に好かれないと思うから。
だから、素直に生きているAが羨ましく感じた。
もっと自分の心の声を聞いてあげよう、自分を大事にしようと思った。そして、いつか私は自分を好きになれる日が来るのかと思い、少し寂しい気持ちになった。

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