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おじいちゃん、有難う。

わたしは、おじいちゃんがすきだ。

小さいとき、いつも行くと遊んでもらったりいちごスペシャルという菓子パンを買ってくれたり、ピアノを教えてくれたりやさしかった。

もう80歳を越えたおじいちゃんは、いま介護施設にいて、ベッドで過ごしていると母からきいている。コロナだから、なかなか容易には会えない。

目も見えにくいから、お手紙を書いてもわからないんじゃない?と家族から言われてしまって結局まだなにも書けていないけれど、このままでいいのかな…

最後に会ったのは、多分2、3年前のあのときだ。みんなで秋祭りやったっけ。たしかあの時、囲碁がすきって言ってたな…

昔からおじいちゃんちには囲碁の碁盤と碁石があり、いまも変わらず囲碁がすきだった。

学生の時から勉強のできる、エリートで高学歴なおじいちゃんだったらしい。どのくらい凄いのかまではわからないのだけれど…



わたしにとって、おじいちゃんとの記憶は

穏やかでやさしい時間を過ごした記憶だった。

おじいちゃんおばあちゃんちへ行くと、だいすきなおばあちゃんと居られて、おじいちゃんもたまに遊んでくれる。とても守られた安全な場所だったからすごく色濃く残っている。

やっぱり、やさしい記憶しかなかった。



でも

後から母やおばあちゃんからきく「おじいちゃんの話し」は、困った内容ばかりで正直いうとわたしのおじいちゃん像とは全然リンクしなかったから、全然ピンと来なかった。

なんだか、お金の話しとかギャンブルとか宗教とかそういう単語があったような気がする。


ちょっと信じがたい…

やっぱり色々あって本当らしいけど


おじいちゃんはどんな気持ちだったんだろう。

ふと、そんなことをおもった。わたしの知らないおじいちゃん、おじいちゃんは寂しかったのかな。それとも、話し相手がほしかったの?

家のなかに居場所はあったのかな…

こたえは全然わからないけど、もしかしたら、寂しかったんじゃないかな。となんとなくだけどそんな風におもった。

昔の時代なのか、歴史なのか

男性にきびしいとか、こどものころ親がきびしかったとかそういう社会背景だったのかもしれない。甘えられなかったんじゃないかな。

おじいちゃんは、やさしかった。少なくともわたしの記憶では5歳かそこらのわたしに、なにかひどいことを言ったり、したりするような人ではなかった。

笑った顔しか覚えてないよ。


つらいこととかあっただろうけれど、やさしくしてくれて、本当に有難う。わたしにとっての真実はそれだけでいい。

有難う、おじいちゃん。



先日おじいちゃんは、もう長くないかもしれない。とおじいちゃんに会った家族からきいた。

ふと何かのときにあごが外れてしまうらしい。

もうひょっとしたら、お話できないのかな。おじいちゃんは悲しんでいないだろうか。そんな姿をみられたくないと思うだろうか…

会いに行ってもいいのかな。わからない。

会ったとして、手を握ることも触れることもできない距離でクリアシートの先のおじいちゃんになんて声をかけてあげられるだろう。

どうしたらいいんだろう、

未だにこたえはわからない。でも

ただ、わたしは思いをもちつづけることはできると思う。むしろ、それしかできないんじゃないか。それ以上する必要があるのかが決定的にならなかった。わたしは、わたしの中のおじいちゃんがくれたやさしい気持ちを大切にしたいから、その気持ちを次のバトンにつなぐことをしたい。

それだけでいい気がした。

なんか人間って、不思議だ。なにを真実にするのかは自分で決められるからね。


わたしは会うことで失うこともきっとあるだろうから、かえって会わないことの方がいいと思っている。その方がわたしにとって得るものやイメージできるものが、余白がある気がして

なぜか、そっちのほうがいい気がした。

それでもいいような気がしたんだ。

でも、本当はちゃんと会って「またね」って言えたらいい。きっと言ったほうがいいんだろうね。でもね、それは無理にする必要はきっとないから…

おじいちゃんに

届くかどうかはわからないけれど、言いたい。わたしのおじいちゃんは優しいんだよ。誰がなんと言おうとそれでいいじゃない。今までしてくれたことは嘘じゃないもの。…

わたしはそう、思ってるよ。

おじいちゃん。


おじいちゃんが安らかなこころで

居られますように。




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