名は体を表すか?
結論から言えば、現さないだろう。人格というのはそこまでシンプルじゃない。
しかし、自分について考えるきっかけくらいにはなるのではないかと思っている。
僕の身の回りには、よく似合う、素敵な名前を持つ人がたくさんいる。全世界に発信してしまうインターネットの仕様上、ご紹介できないのは残念だ。優しさとか穏やかさ、美しさや温かさ、強さや幸福、愛や自信。様々なものを託された、人の名前。それを眺めて、じっくり考えたりするのが、僕は案外好きだったりする。
初対面の人で、まず初めに褒めたくなるのが名前だ。
ニックネームをつけるのも好きで、その人に似合う音、語調をじっくり味わうのが楽しいと感じる。
それでも、僕は僕の名前だけは、どうやっても嫌いだ。
本名をどうしても、アイデンティティとして受け入れられない。理由は他の記事にも書いているので割愛。
しかし、名前の漢字に込められた意味について、最近深く考える機会があり、その漢字自体は嫌いじゃないのだと気付いた。
以前から継続して記事の中で触れている、ワークショップで出会った僕のヒーロー、Mさん。彼女とは名前の漢字が一文字被りだった。その被っていた字というのは個人情報保護の観点から伏せるが、噛み砕くと、「道標」というような意味を持つ字であった。
彼女によく似合う字だ。まさに名が体を表す例だ。Mさんは僕にとって、まさしく「道標」であった。そして、僕にもそのような人間になるべき道が、「名前」という形で示されていたのだった。
この名前を完全に捨ててしまう前に、彼女に出会えてよかった。こんな偶然の繋がりが、僕の勇気を燃やし続ける燃料になるのだ。
ヒーローになりたい、と。
人の痛みに気付き、迷いなく手を差し伸べられる、彼女のようなヒーローになりたい、と願う。
その優しさと強さはきっと、いつか誰かの道標になるから。
ちょうどMさんが、僕にとってそうであるように。
名前を変えたとしてもこの志は、Mさんがくれた「道標」は、僕の真ん中にあり続けるだろう。
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