ゔぃくたー
レモンが好きであると、前回書いた。 あれから更に、レモンにある種の親近感を覚えるようになった。俺のアイデンティティを表す語としてレモンは秀逸である、という旨を書き留めておきたい。 英語の”lemon”という語には、スラングとして「欠陥品」や「困難」という意味があるそうだ。例えば、”He is a lemon.”と言えば、「彼はダメな奴だ」という程度の意味になる。美味しそうな見た目と酸っぱさのギャップがもたらす不快感がその所以らしい。 なるほど、俺は欠陥品だ。 右耳と左目と
7月11日は、姉の誕生日だ。次に時計の針がてっぺんを超えたら、18トリソミーという染色体異常を抱えて生まれ、生後3ヶ月でこの世を去った姉は、19回目の誕生日を迎える。 だから何だというのだろう。変にむず痒くて、どうしようもなく胸の奥が淋しくなる。誕生日は「特別な日」じゃない。「特別にするべき日」だ。何も聞かず、ただ一緒にお祝いしてくれる人が欲しい。誰でもいい。姉の生きた夏に自分だけがいなかった負い目も手伝って、家族とは気詰まりなんだ。 それでも祝いたいんだ。大事にしたいんだ。
今日、生物の授業で視覚の仕組みを学んだ。網膜が受け取った情報が、どのように神経を通り、脳に至るのかを学んだあと、ある箇所の神経が傷ついた場合、視野はどのように欠けるのかを考察する授業だった。 視野欠損。 僕が密かに向き合ってきたハンディキャップの一つだ。後頭葉の一部が壊死している僕は、左側の視野が大きく欠けている。スポーツなどの場面でしばしば悩まされてきた。しかし、生物の先生はそんなことは知る由もない。 先生は、視野欠損、と大きな字で黒板に書いた。なんとも名状し難い気持ち
僕の障がいや、姉さんのことを話したくなってしまうモード。 姉さんの誕生日が近いからだろうか。この前までひどく気持ちが病んでいたことも関係しているかもしれない。 知ってほしい、気付いてほしい。俺は優秀なようで、飄々と、楽しく生きているようで、自分や姉が「透明人間」―――いなかったことにされないように、戦っているのだと。 毎日を楽しんでいることも嘘ではないけども、周囲が思うより、ずっといろいろなことを考えて、その上で道化であることを選んでいる。 それが僕の戦い方。 けれど、それな
僕の部活仲間の話。 クラスメイトでもある部長と僕は、とことん性格が合わない。詳しく言えば、僕のパーソナルスペースの狭いところや、軽くて幼いところが、時々ひどく彼女の癇に障るらしい。 別に特段仲が悪いというわけではないし、仲間としてはうまく付き合ってきたと思う。しかし、機嫌が良くないとき、彼女はひどく残酷になる。僕のことが嫌いだと、態度に如実に表れる。そしてはっきりと、笑顔で口にする。「多分根本的に合わないんだよね」「今に始まったことじゃないでしょ」と。 合わないこと自体はいい
某所にラーメンを食べに行ってきた。 昨日まで押しつぶされそうだった気持ちが嘘のように楽しかった。しかし、この気持ちが長続きしないこともよく解っている。明日には新しい憂鬱が僕を襲うに違いない。 あぁ、ただ美味しいもの、美しいもののことだけを考えていればよかった、あの時間にもっと浸っていたかった。現実に在るのは、小さな無数の刃物のついた日常。それでしょうがないのだった。
今日は、僕のヒーローの誕生日だった。 誕生日って、ただ存在している、そのことに感謝する日だ。彼女に救われてから4ヶ月が経とうとしている。彼女は、彼女のくれた言葉は、確かに僕の中に息づいていて、それだけで強くいられる気がする。 ありがとう、あなたがあなたでいてくれたこと。あの日、僕を見つけてくれたこと。灯火をくれたこと。本当に、ありがとう。 誕生日、おめでとうございます。 最近性別関連で色々あって気分がおちこんでいたことも、昨日久々にnoteを開いて、あの日の記事を読み返した
前回投稿してからかなり長い時間が経ってしまって、プライドマンスも終わってしまう。びっくり。 ここ二週間くらい、色々あってメンタルが限界だった。 夜は眠る気になれず、朝は起きられない(これはいつも通り)。やる気が起こらず勉強が手につかない。受験生なのに。 原因は複合的で、対処の仕様がわからなかった。おまけに唯一心から信頼する担任の先生が急にお休みしたりとあって、なかなか気分が上がっていかなかった。 しかし、今日セクシュアリティを通して仲良くなった友人たちと出かけて、新しい服を
「大丈夫?」と問われたときの答え方に法則性があることに気づいた。 日本人は、「大丈夫?」と聞かれて、本当に大丈夫かどうかにかかわらず「大丈夫」と反射的に答えてしまう人が多い気がしている。僕はといえば、案外それには当てはまらない。 「大丈夫に見えるか?」と冗談半分に聞き返したり、「大丈夫じゃないですよ~」と笑い飛ばしてみたり。もちろんつい「大丈夫」と答えてしまうこともある。 とは言ったものの、ちゃんと「大丈夫じゃない」と言い切れたことはないような気もする。それはなんでだろう。
毎日投稿がついに止まった…。 まぁいいか。また何度でも始めればいいし、最近ネタ切れ気味で小休止が欲しかったところだ。 さて、可愛い弟分が僕のブログを見たいと言うので、見せられないようなものがないか整理していた。「恥ずかしい」という理由だけでは消さないように留意。あまりにも今の考え方と離れている昔の記事だけそっと非公開に。 見せる自分を選ぶことは、あまり好ましくないと思っている。相手が自分を好いてくれる人なら尚更。だからこそ、弱い部分、暗い部分も積極的に残していこうと思う。
LGBTQ+への理解って結局どういうことなんだろう?というちょっと真面目な話。 まず大前提だけれど、相手のセクシュアリティに関係なく、人を傷つけても良いなんて思っている人はまず殆ど居ないと思う。居たとして、もし本当に人を傷つける行動に出たら間違いなく糾弾される。 だからつまり、マイノリティを傷つけるのは、悪意のない、人を傷つけたいなんて思ってもいないマジョリティなのだ。難しく言えば、「マイクロアグレッション」というやつ。 「LGBTQ+を理解する」とは、「傷つけたくない人を
歌っていて欲しい 踊っていて欲しい 笑っていて欲しい 輝いていて欲しい 誇っていて欲しい 生きていて欲しい 知っていて欲しい あなたの優しさと強さの価値は計り知れないということ 解っていて欲しい そんなあなたの姿を心の栞にして生きる僕がいること
アンチヒーロー、おもろいな 明墨の、目的のためなら手段を選ばない感じ大好き
耳鼻科に行ったんだが、耳掃除がちょっと痛かった 看護師さんが優しくしてくれてキュンとした そういうときに、不意に向けられる優しさにものすごく弱いかもしれない
忘れたくない。 忘れようがない、そのはずなのに、 そううまくもいかないものだなと思い知らされる。 あの日から二ヶ月。
HGのワークショップから2ヶ月がたった。 あまりにもあっという間で、正直実感がない。 きっと、毎日昨日のことのように思い出すからだ。 小学生のお子さんがいる英語の先生に、HGのことを布教してみた。先生のお子さんはかなり引っ込み思案らしく、堂々と歌ったり踊ったりできるタイプではないとのこと。しかし、そういう子にこそ体験してほしい!自分の全てを肯定してもらえるあの時間を。 先生は、「もし(子供が)歌えずに端っこで固まってたりしたらどうなるの?」と僕に聞いた。 その瞬間、僕の全