当事者アンテナと理解者。

LGBTQ+への理解って結局どういうことなんだろう?というちょっと真面目な話。
まず大前提だけれど、相手のセクシュアリティに関係なく、人を傷つけても良いなんて思っている人はまず殆ど居ないと思う。居たとして、もし本当に人を傷つける行動に出たら間違いなく糾弾される。
だからつまり、マイノリティを傷つけるのは、悪意のない、人を傷つけたいなんて思ってもいないマジョリティなのだ。難しく言えば、「マイクロアグレッション」というやつ。

「LGBTQ+を理解する」とは、「傷つけたくない人を傷つけずに済むように学ぶ」ことだと思う。
当事者であれば、目の前の人が自分と同じ当事者かも?という可能性が常に頭にあって、だからこそ当事者同士は互いに察したりできるわけだ。俗に言う「当事者アンテナ」。あるいは、アンテナに引っかかっていなくても、可能性を排除せず、むやみに相手の性別や恋愛対象を限るような言葉を使わない。
マジョリティの人たちだって同じように、目の前の人が当事者である可能性を認識できるはずだ。それだけで、傷つけたくもない人を傷つけずに済むなら、実はとってもお得なんじゃない?

むやみに人を傷つけない、そこから一歩進むと、「誰かの痛みに気づく」。
一人ぼっちで苦しむ人の、痛みの理由に気づけたら、手を差し伸べることができるようになる。これは、性的マイノリティに限った話ではない。
イジメも、発達障害も、身体障害も、母子家庭・父子家庭も、虐待も、知識があって初めて差し伸べられる手がある。

人をむやみに傷つけることなく、痛みに気づいて寄り添える。それがマイノリティを知る何よりの意義だと、僕は思うのだ。
そうしたいと、一人ひとりが心から思える社会であって欲しいのだ。


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