野坂昭如、素九鬼子、秋吉久美子、映画劇『バージン ブルース』
メルリン・モンロウと野坂昭如
1953年11月、福岡市東中洲の那珂川の河畔に、30歳の江頭匡一(えがしら・きょういち、1923年3月25日~2005年4月13日)が、高級フランス料理店「ロイヤル中洲本店」を開業、有限会社ロイヤルを設立した。
1954年2月、新婚旅行で来日中の27歳のメルリン・モンロウ(Marilyn Monroe、1926年6月1日~1962年8月4日)と39歳のジョウ・ドゥマジオウ(Joe DiMaggio、1914年11月25日~1999年3月8日)が福岡市・中洲の国際ホテルに宿泊した。
夫妻は「ロイヤル中洲本店」で3晩夕食を採り、モンロウはオニオングラタンスープをとても気に入った。
1954年5月、アメリカ連合国のRCA Victorから、27歳のメルリン・モンロウ唄、38歳のライオネル・ニューマン(Lionel Newman、1916年1月4日~1989年2月3日)指揮の管絃楽団演奏「要求があります」I'm Gonna File My Claim、「後戻りできない川」The River Of No Returnのシングル盤(47-5745)が発売された。
1954年8月、ビクターレコードから、20世紀フォツクス・シネマスコープ映画主題歌、マリリン・モンロウとライオネル・ニューマン指揮の管絃團「帰らざる河」River of No Return、「わたしの要求」I'm Gonna File My ClaimのSP盤(S-118)が発売された。
1954年8月13日、東宝直営の有楽座で、36歳のロバートゥ・ミッチャム(Robert Mitchum、1917年8月6日~1997年7月1日)、27歳のメルリン・モンロウ主演の総天然色の映画劇『帰らざる河』River of No Return(91分。初公開:1954年4月30日)の47歳の清水俊二(1906年11月27日~1988年5月22日)訳の日本語字幕スーパー版が公開された。
1955年11月1日、銀座にテアトル東京が開場し、開場記念特別ロードショウとして、45歳のトム・イウル(Tom Ewell、1909年4月29日~1994年9月12日)、28歳のメルリン・モンロウ主演の映画劇『七年目の浮気』Seven Year Itch(105分。初公開:1955年6月3日)の48歳の清水俊二訳の日本語字幕スーパー版が公開された。
1955年末、早稲田大学文学部仏文科の25歳の野坂昭如(のさか・あきゆき、1930年10月10日~ 2015年12月9日)が40歳の三木鶏郎(みき・とりろう、1914年1月28日~1994年10月7日)の三木鶏郎音楽事務所の事務員になった。
1956年2月3日、日劇内の丸の内東宝劇場で、アメリカ連合国の映画劇『七年目の浮気』The Seven Year Itchの日本語字幕スーパー版が再公開された。
1956年4月2日、市ヶ谷に、42歳の三木鶏郎の主宰する放送作家集団、有限会社「冗談工房」が設立された。
4月2日にニッポン放送で放送が始まった三木のコント番組『トリローサンドイッチ』(1961年12月30日まで毎日放送された)ほかの企画制作プロダクションだった。
社長は23歳の永六輔(えい・ろくすけ、1933年4月10日~2016年7月7日)、専務は25歳の阿木由紀夫(野坂昭如、のさか・あきゆき)、常務は29歳の宇野誠一郎(1927年2月27日~2011年4月26日)だった。
1956年5月、33歳の江頭匡一がロイヤル株式会社を設立した。
1957年3月、26歳の野坂昭如は、授業料未納により、早稲田大学文学部仏文科を抹籍処分となった。
1959年10月10日、中央公論社が『週刊公論』を11月3日創刊号(20円)で創刊した。
1959年11月、ロイヤルが福岡新天町にファミリーレストランの1号店を出店した。
1960年春、新宿文化劇場で、29歳の野坂昭如と28歳の野末陳平(のずえ・ちんぺい、1932年1月2日~)が、「ワセダ中退」「ワセダ落第」の「ワセダ中退・落第」のコンビ名で漫才をおこなった。
1960年12月17日発売の『週刊コウロン』1960年1月2日号から、30歳の野坂昭如と28歳の野末陳平のコラム「ひっと・えんど・欄」の連載が始まった。
1961年7月29日、『週刊公論』が8月21日号で休刊した。
1962年8月5日、メルリン・モンロウが36歳で亡くなった。
1962年8月25日、『週刊公論』のコラム「ひっと・えんど・欄」をまとめた、31歳の野坂昭如著『現代野郎入門:これがプレイ・ボーイだ!』(久保書店、180円)が刊行された。
表紙絵・挿絵は30歳の柳原良平(1931年8月17日~2015年8月17日)だ。
1962年9月15日発行、31歳の野坂昭如編『プレイボーイ入門:スマートに遊ぶ男性のために』(荒地出版社、350円)が刊行された。
表紙帯に「あなたもプレイボーイになれる」「遊び方あの手この手の虎の巻!!」とある。
1962年11月、日本ビクターから、マリリン・モンロー唄、20世紀フォックス映画「帰らざる河」主題曲「帰らざる河」The River of No Return、20世紀フォックス映画「ショウほど素敵な商売はない」より「驚かないでね」You'd Be Surprisedのシングル盤(SS-1312、370円)が発売された。
1962年11月7日、日本テレビ、毎週水曜日23時~23時30分放送のトーク番組『春夏秋冬』に、32歳の野坂昭如がプレイボーイ代表、25歳のジャズシンガーのホキ徳田(1937年11月14日~)がプレイガール代表としてゲスト出演した。
レギュラー陣は、68歳の徳川夢声(とくがわ・むせい、1894年4月13日~1971年8月1日)、54歳の近藤日出造(こんどう・ひでぞう、1908年2月15日~1979年3月23日)、62歳の奥野信太郎(1899年11月11日~1968年1月15日)、59歳のサトウハチロー(1903年5月23日~1973年11月13日)だった。
野坂の服装は、和服の着流し鹿皮の小物入れを手にさげ、金口の長いパイプを口に、トレードマークの黒メガネだった。
1968年12月1日発行、29歳の植田康夫(1939年8月26日~2018年4月8日)著『現代マスコミ・スター: 時代に挑戦する6人の男:草柳大蔵、梶山季之、いずみたく、永六輔、五木寛之、野坂昭如』(文研出版、450円)、「野坂昭如:活字文化への転身」(198頁)によると、野坂は「昔、ギリシア人は演説のとき、〝人類諸君および女類諸君〟と呼びかけたそうです。女は男のアバラ骨一本からできあがったもので、男より一級下のものです。それをおだてるなんてどうかと思います」「女は人類ではない」の発言によって一躍時の人となった。
1962年12月11日、32歳の野坂昭如が宝塚雪組にいた21歳の藍葉子(1941年10月3日~)と結婚した。
1963年4月18日、アメリカ連合国で、メルリン・モンロウの総天然色の記録映画『メルリン』Marilyn(83分)が公開された。
解説は37歳のロック・ハドゥスン(Rock Hudson、1925年11月17日~1985年10月2日)だ。
1963年9月27日、有楽座で、記録映画『マリリン・モンローの世界』Marilynの日本語字幕スーパー版が公開された。
同時上映はプロ・ゴルファー、サム・スニードゥ(Sam Snead、1912年5月27日~2002年5月23日)出演の総天然色の短編映画『ゴルフ王サム・スニード』Golfing with Sam Snead(9分)だった。
1963年9月21日発売の『小説中央公論』(中央公論社)11月号と10月21日発売の12月号に33歳の野坂昭如の小説『エロ事師たち』が掲載されが、『小説中央公論』が12月号で休刊となったため、いったんこれで完結した。
1964年3月、日本ビクターの20世紀フォックス・レコードから、20世紀フォックス映画「帰らざる河」サウンド・トラックより、マリリン・モンロー唄「帰らざる河」River of No Return、「一つの銀貨」One Silver Dollarのシングル盤(JET-1353、330円)が発売された。
1964年9月5日、上野東急、新宿東急、渋谷東急、浅草東映パラスで、『帰らざる河』River of No Returnの日本語字幕スーパー版が再公開された。
1966年3月10日発行、長篇化した、35歳の野坂昭如『エロ事師たち』(講談社、270円)が刊行された。
装幀は山内暲だ。
表紙帯に41歳の三島由紀夫(1925年1月14日~1970年11月25日)「人間通の文学」が掲載された。
帯裏表紙に、41歳の吉行淳之介(1924年4月13日~1994年7月26日)「後世に残る傑作」が掲載された。
1966年3月12日、野坂昭如原作、39歳の今村昌平(1926年9月15日~2006年5月30日)、沼田幸二脚本、今村昌平監督、36歳の小沢昭一(1929年4月6日~2012年12月10日)、29歳の坂本スミ子(1936年11月25日~2021年1月23日)、今村プロダクション制作の映画劇『「エロ事師たち」より 人類学入門』(128分)が公開された。
1966年3月、ソノレコードから、日活映画「人類学入門」主題歌、坂本スミ子、小沢昭一歌「エロ事師の唄」、日活映画「エロ事師たち 人類学入門」名セリフ集(サウンド・トラック盤より)のシングル盤(HR-301、330円)が発売された。
「エロ事師の唄」の作詞は今村昌平、小沢昭一、作曲は37歳の黛敏郎(1929年2月20日~1997年4月10日)だ。
「名セリフ集」の出演は、小沢昭一、坂本スミ子、佐川啓子だ。
1967年1月発売の『婦人公論』(中央公論社)1967年3月号に36歳の野坂昭如「プレイボーイの子守唄」が掲載された。
1967年7月発売の『別冊文藝春秋』(文藝春秋)9月号に、36歳の野坂昭如「アメリカひじき」が掲載された。
1967年8月22日、『小説新潮』(新潮社)10月特大号(160円)が発売された。36歳の野坂昭如『好色の魂:ある春本作家の一生』第1回(200枚)が掲載された。
「好色出版の帝王」貝原北辰のモデルは梅原北明(1901年1月15日~1946年4月5日)だ。
『好色の魂』第二回(100枚)は『小説新潮』11月号に、完結篇は『小説新潮』12月号に掲載された。
1967年8月23日、『オール讀物』(文藝春秋)10月特別号(160円)が発売された。36歳の野坂昭如、31歳の村上豊(1936年6月14日~)画「火垂るの墓」が掲載された。
1968年1月22日、第58回直木賞(1967年下半期)が発表され、37歳の野坂昭如「アメリカひじき」「火垂るの墓」が受賞した。
1968年3月25日、野坂昭如著『アメリカひじき・火垂るの墓』(文藝春秋、400円)が刊行された。
帯表紙に「直木賞受賞作!」「空襲下の防空壕 焼け跡の闇市――かつての日々 愚かしくも根強くそこにうごめいていた日本人 その姿に寄せるウズキに満ちた愛情を独特の文体に凝縮した傑作!」とある。
1968年10月4日、37歳の野坂昭如の短篇小説集『軍歌 猥歌』(講談社、390円)が刊行された。
装幀は水田力だ。
「軍歌 猥歌」、「あゝ日本大疥癬」、「あゝ水中大回天」、「よい、はっけよい」、「心中弁天島」が収められた。
帯表紙に「歌といえば、軍歌しかなかった青春、猥歌に興味を抱いた頃には、飢えに飢えていた青春――ありし日の哀しい青春の詩が、そくそくと胸に迫ってくる。」とある。
1969年10月22日、『小説現代』12月号(170円)が発売された。
38歳の野坂昭如は「フォト自叙伝」で「空襲で家族を失い」と書き、戦災孤児を自称したが、56歳の時、単行本化にあたって大幅に加筆した、1987年11月25日発行、『赫奕(かくやく)たる逆光:私説・三島由紀夫』(文藝春秋、950円)で「ぼくは、空襲で、家族すべてを、一時に失った如く、これまで書いてきたが、実は、養母とことは、しばらく生きていた」とそれまでの年譜上の嘘を明らかにした。
1969年11月、CBSソニーから、39歳の野坂昭如「ポー・ボーイ」Poor Boy、「松浦(まつら)の子守唄」Lullaby of Matsuraのシングル盤(SONA-86063、370円)が発売された。
黒人霊歌「ポー・ボーイ」の訳詩は風見鶏介、編曲は25歳の小室等(1943年11月23日~)、「松浦の子守歌」の作詩は野坂昭如、作曲は山路進一(1932年~2000年10月22日)、編曲は小室等だ。
ジャケットのデザインは33歳の横尾忠則(1936年6月27日~)だ。
1969年12月15日発行、39歳の野坂昭如の雑文集『野坂昭如の本』(KKベストセラーズ、580円)が刊行された。
1970年3月15日~9月13日、大阪の千里丘陵で開催された「日本万国博覧会」のアメリカゾーンに外国店扱いで、ロイヤルがステーキハウス、カフェテリアレストランなど4店舗を出店した。
1970年4月、経営難に陥り自前で映画を配給できなくなった大映と日活が共同配給のため「ダイニチ映配株式会社」を設立した。
1970年8月22日、ダイニチ映配の配給で、柴田成人「傷だらけの16歳」原作、伊藤昌洋(1941年~)脚本、38歳の帯盛迪彦(おびもり・みちひこ、1932年5月3日~2013年1月18日)監督、15歳の関根恵子(1955年1月22日~)主演の大映のカラー映画劇『高校生ブルース』(83分)が公開された。
関根が演じる16歳の美子はクラスメイトの子供を妊娠し、中絶費用を工面するため家族に内緒でバイトを始める。
同時上映は、37歳の臼坂礼次郎(1932年8月17日~)監督、19歳の渥美マリ(1950年11月20日~)主演の大映の軟体動物シリーズ五作目のカラー映画劇『でんきくらげ 可愛い悪魔』(83分)だった。
1970年11月7日、8日、合歓の郷ヤマハ・ミュージックキャンプで、作曲家に作品を発表する機会を与え、日本のポピュラー音楽の質の向上と反映をはかるという目的で、ヤマハ音楽振興会、日本楽器製造主催「合歓ポピュラーフェスティバル'70」が開催された。
会場は7日が屋内ホール、8日が屋外ホールだった。
11月8日、能吉利人作詞、桜井順(1934年~ 2021年9月25日)作曲「マリリン・モンロー ノー・リターン」を39歳の野坂昭如が歌った。
イエスキリストをもじった「ノーキリヒト」の意味の能吉利人は桜井順の筆名だった。
野坂昭如「黒の舟唄」
1971年2月10日、日本コロムビアから、40歳の野坂昭如「マリリン・モンロー・ノー・リターン」、「黒の舟唄」のシングル盤(SAS-1492、400円)が発売された。
「黒の舟唄」は、能吉利人作詞、桜井順作曲だ。
『別冊小説新潮』(新潮社)4月号に、野坂昭如「マリリン・モンロー・ノー・リターン」が掲載された。
1971年8月25日、ダイニチ映配の配給で、23歳の峰尾基三(1947年11月5日~)、34歳の大和屋竺(やまとや・あつし、1937年6月19日~1993年1月16日)、39歳の藤田敏八(1932年1月16日~1997年8月29日)脚本、藤田敏八監督の日活のカラー映画劇『八月の濡れた砂』(91分)が公開された。
音楽は36歳のむつひろし(1935年2月3日~2005年8月31日)、ザ・ハプニングス・フォーの「ぺぺ」(1942年2月24日 - 2009年12月13日)だ。
主題歌は18歳の石川セリ(1952年12月27日~)「八月の濡れた砂」だ。作詞は37歳の吉岡治(1934年2月19日~2010年5月17日)、作曲はむつひろしだ・
「不思議な夢」の演奏はザ・ハーフブリード(The Half Breed)だ。
1971年8月の湘南海岸で不良学生に暴行される少女・三原早苗を14歳のテレサ野田(1957年1月4日~)、早苗を助ける西本清を25歳の広瀬昌助(1946年1月7日~1999年3月7日)、清の友人・野上健一郎を26歳の村野武範(1945年4月19日~)、早苗の姉・真紀を25歳の藤田みどり(1946年5月9日~)が演じた。
同時上映は、39歳の長谷部安春(はせべ・やすはる、1932年4月4日~ 2009年6月14日)脚本、36歳の蔵原惟二(くらはら・これつぐ、1935年7月15日~)監督、22歳の夏純子(1949年3月21日~)主演の日活カラー映画劇『不良少女魔子』(83分)だった。
1971年9月4日、ダイニチ映配の配給で、野坂昭如「心中弁天島」原作、46歳の増村保造(ますむら・やすぞう、1924年8月25日~1986年11月23日)監督、16歳の関根恵子、22歳の大門正明(1949年3月10日~)主演の大映のカラー映画劇『遊び』(90分)が公開された。
同時上映は、46歳の長谷川公之(1925年6月25日~2003年6月15日)脚本、39歳の帯盛迪彦(おびもり・みちひこ、1932年5月3日~2013年1月18日)監督、19歳の松坂慶子(1952年7月20日~)、28歳の峰岸隆之介(峰岸徹、1943年7月17日~2008年10月11日)主演の大映のカラー映画劇『夜の診察室』(85分)だった。
ロイヤルホスト1号店、素九鬼子、秋吉久美子
1971年12月、ロイヤルが、北九州市の黒崎に、郊外型ファミリーレストランの「ロイヤルホスト」1号店を出店した。
1971年12月5日、1972年1月5日発行、月刊誌『月刊面白半分』(面白半分)が1月号(創刊号)(150円)で創刊された。
半年ごとに人気作家が持ち回りで責任編集するという趣向の雑誌で、創刊号から第6号までの編集は吉行淳之介だった。
1972年4月5日、野坂昭如の短篇小説集『マリリン・モンロー・ノー・リターン』(文藝春秋、580円)が刊行された。
「マリリン・モンロー・ノー・リターン」、「水の縁し」、「旅の終り」、「トテチテタ!」、「万婦如夜叉」、「不能の姦」が収められた。
装幀は35歳の横尾忠則だ。
1972年4月30日、35歳の素九鬼子(もと・くきこ、1937年1月28日~2020年4月5日)著『旅の重さ』(筑摩書房、500円)が刊行された。
装幀は49歳の朝倉摂(1922年7月16日~2014年3月27日)だ。
帯表紙に「親も捨てた、学校も捨てた、さあ放浪だ!」「「ああ、ママ、旅にでてはや三日になるわ。ああどんなに楽しいことでしょう、蒲団の上に寝ないで、草の上に寝るということは………」 母親との生活に疲れ、四国遍路の旅に出た十六歳の少女の数奇な体験と冒険を詩情豊かにつづった現代版放浪記。」とある。
『月刊面白半分』第7号から第12号までの編集は野坂昭如だった。
1972年6月上旬に発売された同誌7号(7月号)に、永井荷風(1879年12月3日~1959年4月30日)の作とされる金阜山人戯作「四畳半襖の下張」が掲載された。
1972年6月、ロイヤル中洲本店が「レストラン花の木」に改称した。
1972年6月22日、「四畳半襖の下張」の出版は、刑法175条のわいせつ文書販売の罪に当たるとされ、『面白半分』7月号は全国の書店から証拠品として押収された。
1972年8月21日、野坂昭如、佐藤嘉尚、発行人に名を連ねた城南洋紙店の社長・青沼繁汎の三名は、猥褻文書頒布および同目的所持の容疑で、東京地方検察庁に書類送検された。
1972年10月28日、素九鬼子原作、41歳の石森史郎(1931年7月31日~)脚本、43歳の斎藤耕一(1929年2月3日~2009年11月28日)監督、19歳の高橋洋子(1953年5月11日~)主演の松竹映画『旅の重さ』(90分)が公開された。
主役オーディションで2位だった18歳の小野寺久美子(秋吉久美子、1954年7月29日~)も自殺する少女・加代の役で出演した。
撮影は四国で8月10日から9月下旬までおこなわれた。
主題歌は、1971年7月21日に発売された、25歳のよしだたくろう(1946年4月5日~)「今日までそして明日から」だ。
同時上映は40歳の山田洋次(1931年9月13日~)監督、35歳の井川比佐志(いがわ・ひさし、1936年11月17日~)、31歳の倍賞千恵子(ばいしょう・ちえこ、1941年6月29日~)主演の松竹のカラー映画劇『故郷』(96分)だった。
併映は総理府企画、日本シネセル制作の1972年9月25日から29日までの中国での54歳の田中角栄(1918年5月4日~1993年12月16日)、78歳の毛沢東(1893年12月26日~1976年9月9日)、74歳の周恩来(1898年3月5日~1976年1月8日)の記録映画『田中首相訪中の記録:大いなる旅』だった。
1973年2月22日、野坂昭如、佐藤嘉尚は正式に起訴され、青沼繁汎は起訴猶予にとどまった。
1973年6月15日、42歳の野坂昭如が企画・編集に参加した、隔月刊の「破滅学会」機関誌『終末から』が第1号(380円)で創刊された。
創刊号の巻頭特集は野坂昭如・編集部構成「破滅学入門」だった。
38歳の井上ひさし(1934年11月16日 - 2010年4月9日)の長篇小説、26歳の佐々木マキ(1946年10月18日~)絵『吉里吉里人(きりきりじん)』の連載も始まった。
1973年夏、1945年8月7日のアメリカ軍による愛知県豊川市の空襲による豊川海軍工廠女子挺身隊員の慰霊のため、豊川市が出資し、42歳の山田正弘(1931年2月26日~ 2005年8月10日)、41歳の松本俊夫(1932年3月25日~2017年4月12日)脚本、松本俊夫監督、25歳の下田逸郎(1948年5月12日~)、19歳の秋吉久美子主演のサンオフィス制作の映画『十六歳の戦争』が撮影された。
1973年8月31日、43歳の内田栄一(1930年7月31日~1994年3月27日)著『聖・混乱出血鬼』(烏書房、900円)が刊行された。
題字は26歳の外奈美山文明(とばやま・ぶんめい、1947年1月11日~)、装幀は西田敬一(1943年~)だ。
1973年9月10日、東京・霞が関の東京地裁で「四畳半襖の下張」事件の初公判がおこなわれた。
1973年9月27日、日比谷公会堂で、午後5時30分から、訴訟費用を集める爲の、面白半分175グループ主催「野坂昭如猥褻リサイタル」が催された。
本番1,000円、W700円、S500円だった。
42歳の野坂昭如、47歳のいいだもも(1926年1月10日~2011年3月31日)、77歳の金子光晴(1895年12月25日~1975年6月30日)、27歳の五味正彦(1946年7月23日~2013年)、小谷野三郎、29歳の佐藤嘉尚、38歳のソンコ・マージュ(1935年2月20日~)、22歳の田中真理(1951年8月1日~)、24歳の中川五郎(1949年7月25日~)、37歳の中村巌(1934年7月30日~1997年12月15日)、38歳の美輪明宏(1935年5月15日~)、35歳の山口清一郎(1938年3月10日~2007年11月10日)らが出演した。
1973年12月、エレックから、「野坂昭如猥褻リサイタル」を収録したアルバム『不浄理の唄』のLP盤(KV-104、1,900円)が発売された。
1973年12月、日本コロムビアから、株式会社サンオフィス・制作/ヘラルド映画・配給「16才の戦争」主題歌、青木ますみ(八月真澄(はづき・ますみ、1948年8月8日~)「16才の悲しみ」、「ひとりぼっちの裸の子供」のシングル盤(P-325、500円)が発売された。
盤のレーベルの歌手の表記はキャンディー浅田だ。
作詞は谷川俊太郎(1931年12月15日~)、作曲は湯浅譲二(1929年8月12日~)、編曲は菅野光亮(1939年7月10日~1983年8月15日)だ。
1974年1月、三陽商会のサンヨーレインコートの広告ポスター、テレビCMに43歳の野坂昭如が起用された。
1974年3月25日発行、37歳の素九鬼子著『パーマネントブルー』(筑摩書房、750円)が刊行された。表紙版画は素九鬼子だ。
帯表紙に「瀬戸内海に面した四国の港町の夏、けんか好きの不良少年と逃亡中の過激派の女子学生との間に愛が芽生える。夏草と潮風の匂いに育くまれた二人の愛が、いつか壊れることを予感しつつ、少年は稚いひたむきな愛を女に寄せる……。「旅の重さ」の作者の待望の第二作。」とある。
1974年5月20日、日本クラウンから、かぐや姫の「妹」、「夏この頃」のシングル盤(ZP-2、600円)が発売された。
1974年7月7日、第10回参議院議員通常選挙に東京地方区から43歳の野坂昭如が無所属で出馬したが次点で落選し、日本共産党の47歳の上田耕一郎(1927年3月9日~2008年10月30日)が当選した。
「昭和49年6月 一人の男が鎌倉より失踪し 或る女が東京へ向った」
1974年8月14日、43歳の内田栄一脚本、41歳の藤田敏八監督、20歳の秋吉久美子、30歳の林隆三(1943年9月29日~2014年6月4日)主演の日活のカラー映画劇『妹』(92分)が公開された。
主題歌は、かぐや姫「妹」だ。
小島ねり(秋吉久美子)が失踪した夫・耕三の兄・和田研二(村野武範)と待ち合わせる、表参道の天井から鎖で吊るしたブランコ椅子のある喫茶店の場面に、18歳の荒井由美(1954年1月19日~)「曇り空」が流れる。1973年11月20日、東芝EMIから発売されたファースト・アルバム『ひこうき雲』(ETP-9083、2,000円)収録曲だ。
ねりの兄・小島秋夫(林隆三)が、ねりの夫・耕三の妹・和田いづみ(吉田由貴子)を公衆便所の個室で犯したあとの鎌倉の海の場面の最後には、1973年、積水ハウスの宣伝活動を目的として西ドイツのWDL社(WDL Luftschiffgesellschaft)から輸入され、岡本太郎(1911年2月26日~1996年1月7日)がデザインした全長56mの飛行船「レインボー号」が登場する。
同時上映は『八月の濡れた砂』、39歳の蔵原惟二監督、21歳の池玲子(1953年5月25日~)主演『黒い牝豹M』(74分)だった。
1974年9月、日産のチェリーF-IIが発売された。
1974年10月、『終末から』が第9号(終刊号)(1974年10月号)(特別定価500円)で終刊した。
1974年11月22日、44歳の内田栄一脚本、42歳の藤田敏八監督、20歳の秋吉久美子、40歳の長門裕之(ながと・ひろゆき、1934年1月10日~2011年5月21日)主演の日活のカラー映画劇『バージンブルース』(99分)が公開された。
撮影は1974年10月7日から11月9日までおこなわれた。
昭和31年(1956年)生まれ、高度成長期に育った18歳の畑まみを秋吉が、昭和6年(1931年)生まれ、43歳の貧しい思春期を送りバージンに強い憧れを持ち続ける43歳の平田洋一郎を長門が演じた。
同時上映は、40歳の神波史男(こうなみ・ふみお、1934年1月10日~2012年3月4日)脚本、41歳の澤田幸弘(1933年1月15日~2022年9月21日)監督、25歳の松田優作(1949年9月21日~1989年11月6日)主演の日活のカラー映画劇『あばよダチ公』(93分)だった。
1974年11月23日、「ラブ・モンロー」第一弾として、銀座東急、東急レックス、上野東急で、劇映画『帰らざる河』、記録映画『マリリン・モンローの世界』Marilyn第一部「春のビーナス」が再公開された。
日本でマリリン・モンロウが全国的な興行価値をもちえたのはこの頃までだろう。
1974年11月30日、37歳の素九鬼子著『大地の子守歌』(筑摩書房、950円)が刊行された。
装幀は加藤光太郎だ。
帯表紙に「沖の船をめざして嵐の海を漕ぎ進むおちょろ舟、稚い娼婦を訪れる海の男たち、青葉の光る四国の野山に響く少女遍路の鈴の音……。瀬戸内海に浮ぶ女郎の島に売られた少女おりんの無垢と野性をみずみずしい筆致で描く、「旅の重さ」の作者・素九鬼子の待望の第三作。」とある。
1975年12月13日に酒税増税法案が成立し、1976年1月10日に同法が施行された。1級ウイスキーが増税となった。従来の720mlだと従価税、900mlならば重量税が課せられることになった。
1976年4月22日、ニッカウヰスキーが、全国で一斉に、標準の720ミリリットル入りより25%も多い、900ミリリットル入りのウイスキー1級「ひげのL(エル)びん」(1,500円)を発売した。
テレビ広告には、東映所属の大部屋俳優を中心に、映画劇・テレビ劇で斬られ役、殺られ役、悪役、敵役を演じた「ピラニア軍団」の38歳の室田日出男(むろた・ひでお、1937年10月7日~2002年6月15日)と34歳の川谷拓三(かわたに・たくぞう、1941年7月21日~1995年12月22日)が起用された。
1976年4月27日、東京地裁で、野坂昭如が罰金10万円、佐藤嘉尚が罰金15万円の有罪判決が出された。
1976年6月10日、早稲田大学大隈講堂で、早稲田キャンパス新聞の主催で映画劇『十六歳の戦争』の学内特別有料試写会が催された。
1日3回、延べ4千人の観客を動員した。
1976年6月12日、素九鬼子原作、45歳の白坂依志夫(しらさか・よしお、1932年9月1日~2015年1月2日)、51歳の増村保造脚本、増村保造監督、17歳の原田美枝子(1958年12月26日~)主演の松竹のカラー映画劇『大地の子守歌』(111分)が公開された。
同時上映は、50歳の瀬川昌治(1925年10月26日~2016年6月20日)、永井素夫、41歳の前田陽一(1934年12月14日~1998年5月3日)脚本、前田陽一監督、26歳の森田健作(1949年12月16日~)、55歳のミヤコ蝶々(1920年7月6日~2000年10月12日)主演の松竹のカラー映画劇『喜劇大誘拐』(90分)だった。
1976年7月20日、サントリーが、900ミリリットル入りのウイスキー1級「ゴールド900」(1,500円)を発売した。
56歳の佐治敬三(さじ・けいぞう、1919年11月1日~1999年11月3日)社長は「ゴールド900」の広告に45歳の野坂昭如を起用した。
テレビ広告「ソクラテス編」のコピーライターの28歳の仲畑貴志(1947年8月20日~)作詞、桜井順作曲、野坂昭如歌のCMソングは大流行した。
1976年8月19日、渋谷公会堂で、難解という理由で公開が見送られていた映画『十六歳の戦争』(94分)が公開された。
1976年9月23日、素九鬼子原作、45歳の石森史郎、41歳のジェームス三木(1935年6月10日~)脚本、40歳の山根成之(やまね・しげゆき、1936年6月14日~1991年12月27日)監督、22歳の秋吉久美子主演の松竹のカラー映画劇『パーマネント・ブルー 真夏の恋』(89分)が公開された。
同時公開は、梶原一騎(かじわら・いっき、1936年9月4日~1987年1月21日)原作の劇画に基づく、山根成之、30歳の長尾啓司(1946年5月30日~)、36歳の南部英夫(1939年9月7日~)脚本、南部英夫監督、20歳の加納竜(1956年3月26日~)、17歳の早乙女愛(1958年12月29日~2010年7月20日)主演の松竹のカラー映画劇『愛と誠 完結篇』(90分)だった。
1977年2月11日、渋谷公会堂で、6時開場、マルス企画主催、46歳の野坂昭如の「野坂昭如歌手引退リサイタル」が開かれた。
ゲストは、64歳の葦原邦子(1912年12月16日~ 1997年3月13日)、37歳の内藤国雄(1939年11月15日~)、浜紅之介、タカラジェンヌ、31歳の吉永小百合(1945年3月13日~)、辻村昭一とケイローズだった。
1978年12月、『面白半分』1月号臨時増刊号『決定版、野坂昭如。』(面白半分、840円)が刊行された。
表4の「サンヨーレインコート」のモデルは47歳の野坂昭如だった。コピーは「俺のポスターが盗まれる夢を見た。野坂昭如」だ。
1979年3月20日、東京高裁の「四畳半襖の下張」事件控訴審判決は一審を支持して有罪だった。
1980年7月5日、株式会社面白半分は不渡手形を出し、負債9200万円で倒産した。
1980年11月28日、68歳の栗本一夫(1912年5月27日~1992年11月27日)裁判長の最高裁第二小法廷は、わいせつ文書の処罰は憲法違反に当たらないとした上で、「四畳半襖の下張」事件の一、二審の有罪判決を支持し、被告・弁護側の上告を棄却する判決を言い渡した。
1989年5月、レストラン花の木が、福岡市のほぼ中央に位置する大濠公園に移転した。
映画劇『バージン ブルース』
バージンと称する畑まみ(秋吉久美子)は、大学浪人一年目の少女で、幡谷駅に近いお茶の水予備校女子寮で暮らしている。
予備校から電車で寮に戻ったまみは、体調不良で休んでいる浪人4度目の小林ちあき(清水理絵)の2階の部屋に行く。
まみは、月刊『平凡』(平凡出版)1974年6月号(別冊付録とも特価310円)を広げる。表紙は、18歳のアグネス・チャン(1955年8月20日~)、17歳のあいざき進也(1956年10月26日~)、16歳の城みちる(1957年11月18日~)だ。
女子寮の管理人(上月佐知子)が、まみの祖母が岡山から送ってくれたという、いわゆる「マスカット」、マスカット・オブ・アレキサンドリア(Muscat of Alexandria) をもって、まみに礼を言いに来る。
夜、ちあきがソニーのラジカセでラジオの深夜放送をつけっぱなしにして寝ていると、覆面の泥棒が窓の外からよじ登り、鍵のかかっていない窓から入り、室内を物色するが、ちあきが起きたので、窓から飛び降り、片足をくじいて逃げる。
翌朝、寮に出前にきたラーメン屋「大洋軒」の出前持ち橋本誠(高岡健二)がびっこを引くのを見たちあきは、彼が前夜の泥棒だと直感し、まみを連れて大洋軒に行く。
ちあきは誠を問い詰め、犯人だとわかるが、誠に、まみも知っている何かの秘密を知られたらしく、おとなしく帰る。
まみとちあきたち7人は京王帝都のバスで四谷のスーパーに行き、万引きをする。だが、その日は店員に捕まってしまう。まみとちあきの2人だけが逃げるが、5人は店員に説教される。
まみが隠れているところにちあきも来るが、ちあきの通り過ぎようとする、赤ん坊の泣き声がするラーメン屋「本場の味サッポロラーメン熊ぼっこ」から野坂昭如風のサングラスをかけ、ステンカラーのコートを着て、アタッシェケースをもった、43歳の平田洋一郎(長門裕之)が出てきて、一瞬、ちあきを目を合わせる。
まみとちあきが寮に戻らないと決めて歩いていくと、平田がつけてくる。約1年前、ちあきと平田はコンパで知り合ったが、その時、ちあきは酔わされた挙句。ほっぼり出された。
ハンバーガーショップで、まみとちあきは平田におごってもらう。平田は1年前は会社員だったが、今はチェーン店のラーメン屋経営者だという。
寮に帰れない2人を平田は1973年に開業したラブホテルのホテル目黒エンペラーに連れて行くが、まみとちあきは結局寮まで戻る。だが中に入れずにいると、誠が通りがかり、三畳一間だが自分の部屋に泊めてやるという。
誠の部屋の壁には、なぜか、第10回参議院議員通常選挙の東京地方区の上田耕一郎と野坂昭如のポスターが貼られている。
閉店後の四谷の「熊ぼっこ」では、赤ん坊を抱っこした平田の妻(赤座美代子)がゴミ出しをしている。バーのカウンターで若いホステス(中島葵)と飲んでいる平田から電話があり、しばらく帰らないという。
平田はその後、ホステスとホテル目黒エンペラーで一夜を明かすが、朝8時には着替えて出て行く。
誠は大洋軒の売り上げを盗んだところを店主(多々良純)に見つかり、さんざん殴られるが、意地でも辞めないという。
ちあきとまみは平田を呼び出し、二人の実家のある岡山までの交通費を貸してほしいと頼むが、逃げ回っている平田は岡山まで二人を送ると言う。
三人は東海道本線の電車を鈍行の乗り継ぎで岡山に向かう。
野坂昭如「バージン・ブルース」が流れる。
新大阪から岡山までは広島行の「特急しおじ2号」に乗る。
岡山駅の前で、まみとちあきは平田に別れを告げ、それぞれの実家に向かうが、まみのバージンを狙う平田はまみの乗った和気駅前行きのバスに飛び乗る。
結局、平田はまみの実家までついてくる。まみに頼まれた平田は縁側で干し柿を作るまみの祖母(田中筆子)に様子を聞きに行き、警察の者だと偽って話を聞く。地元の駐在にまで、まみの捜査の手配が伝わっている。
平田はマスカット園で待つまみに、万引きをしたことを聞き出し、安心し、一緒に岡山に戻る。
まみは平田と後楽園の城見茶屋でうどんを食べながら、「倉敷まつり(10月19・20日)」のポスターを見る。
実家の「出石薬局」に帰ったちあきを見た母(白石奈緒美)は、集団万引きのリーダーだった娘が帰って来たと警察に電話で通報しようとする。ちあきが止めようとすると、ちあきの父(加藤嘉)と年配の男の従業員(水木京一)も出てくる。ちあきは走って逃げ出すが玉野競輪場に逃げ込んだところを母と従業員に捕まる。
平田とまみは「くらしき駅」の前にいる。二人は「倉敷まつり」の開かれている阿智神社の石段を昇る。老人の面をかぶった素隠居(すいんきょ)が通りかかる人の頭を渋うちわで叩く。まみも頭を叩かれる。
続いて二人は倉敷紡績所の本社工場を再開発し1974年5月26日に開業した複合文化施設「倉敷アイビースクエア」に入る。
中庭で「野坂昭如さすらいリサイタル」が催されている。44歳の野坂昭如が39歳のソンコ・マージュのギター伴奏で「黒の舟唄」を歌う。
その晩、平田とまみは宿で同じ部屋に蒲団を並べて寝るが、平田はまみに手を出さず、ウイスキーを飲む。
一方、ちあきは出石薬局の座敷牢に監禁されている。父は警察に連絡するのをやめた代わりに、ちあきをずっと閉じ込めておくつもりだ。
美観地区で「署名しない署名運動」(内田栄一の「署名しないでください」、『聖・混乱出血鬼』所収)というハプニング演劇をおこなうアングラ劇団のリーダー秋山正次(林ゆたか)は元恋人のまみを見つけ、芝居を打ち切る。
秋山とまみが話す喫茶店には、ヨーハン・ゼバスティアン・バッフ(Johann Sebastian Bach、1685年3月31日~1750年7月28日)のオルガン曲「パッサカリア ハ短調(Passacaglia in c)」BWV.582よりフーガ(Fuge)が流れている。
秋山はまみに、閉館したストリップ劇場「大衆座」を借りて他の劇団員と共に合宿しているので、泊まる場所がなければ来てもいいと言う。秋山をまみの遠い親戚と思い込んでいる平田も合宿に参加する。
秋山がまみを連れて行った居酒屋では、まだレコードの発売されていないタケカワユキヒデ(1952年10月22日~)「走り去るロマン - Passing pictures」ほかが流れている。
秋山はママ(吉井亜樹子)に熱弁をふるう。常連客のマルブン(坂本長利)も話に加わる。
劇場の小屋主たちは、秋山が劇団に若いきれいな女を集めるのを利用して、やがてその女たちにストリップをやらせようとしているのだが、秋山はそれを逆手に取って、魅力あるまみを見せて、小屋主たちを誘惑し、「大衆座」を乗っ取ろうと企んでいる。
小屋の中から秋山とまみの会話を立ち聞きしていた平田が木刀を担いで出てくる。
平田「その儲け話に一口乗せてもらえませんかね?」
秋山「あんたにはその資格はないよ」
平田「でも、ぼくはこの子の」
秋山「なんじゃい? パトロンのつもりかいの、おっさん?」
まみ「やめられい正次、なあ?」
秋山(平田を突き飛ばし)「あんた、一体何もんじゃい?」
平田は木刀を捨て、上着を脱ぎ捨て、サングラスをはずし、上着の上に投げる。
秋山「なんじゃい?」
平田は秋山を突き飛ばす。
まみ「イヤーッ!」
平田「俺にはな、バージンを守る義務があるんだ」
秋山「バージン? 誰が?」
手で口を押えて当惑するまみを平田は振り向いて見つめる。
秋山「困ってるよ」
平田は困っているまみの顔と秋山を交互に見て、まみが東京に来る前、秋山と寝たことを察する。
秋山「どうする? 天下のバージンさん?」
平田は秋山につかみかかる。
平田は秋山を殴り続けるが、劇団員に止められる。
平田は黙って出て行くが、まみは夜、美観地区で平田を探し、「黒の舟唄」を口笛で吹く平田を見つける。だが、バージンだとだまされていたことに激怒した平田はまみの下腹部を何度も膝で蹴り上げ、まみの首を絞める。
半月後、下津井城本丸跡に平田とまみがいる。夜、宿で二人はついに抱き合う。
キャッシュカードでATMからカネを引き出そうとした平田はついに預金残高がゼロになったことを知る。
平田の妻は「熊ぼっこ」の看板を下ろそうとしている。
児島競艇場に平田とまみがいる。平田はレースで当座のカネを儲けた。その帰り、まみは岡山県警本部にちあきが連れていかれるのを見る。ちあきはまみに来るなと目で合図する。
その夜、平田とまみは焼き肉を食べる。
その夜、櫃石島の高台に鷲羽山下電ホテルの別館「ホテルひついし」でまみは平田を激しく求める。
朝、平田が起きるとまみがいない。窓から海を見下ろすと、海辺のまみが全裸になり沖に向かって泳ぎ始める。駆け降りた平田はまみを呼び止めるが、まみは一度振り向いて手を振って、沖に向かう。すべて失った平田は愕然とする。
野坂の「バージン・ブルース」が流れる。
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