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人類滅亡、タルドゥ『未来史断片』

ギャブリエル・タルドゥ(Gabriel Tarde、1843年3月12日~1904年5月13日)の空想未来物語『未来史断片』Fragment d'histoire future は1879年(明治12年)~1884年(明治17年)に書かれ、1886年(明治19年)、パリの社会学専門誌『社会学多民界雑誌(La Revue internationale de sociologie)』(V. Giard et E. Brière)に掲載された。

1904年(明治37年)5月13日、ギャブリエル・タルドゥが61歳で亡くなった。

1904年(明治37年)、リヨン、パリで、ギャブリエル・タルドゥ著『未来史断片』Fragment d'histoire future (A. Storck & Cie)が刊行された。

1924年(大正13年)7月、35歳の秋葉隆(1888年10月5日~1954年10月16日)、30歳の田邊壽利(たなべ・すけとし、1894年3月15日~1962年1月25日)、藏内數太(くらうち・かずた、1896年~1988年)ら、東京帝国大学で社会学を専攻した9名の有志により東京社会学研究会が結成された。

1925年(大正14年)2月11日、東京社會學研究編輯「社會學研究叢書」、ガブリエル・タルド著、30歳の田邊壽利譯『未來史の斷片』(発行:不及社、発売:東條書店、1円50銭)が刊行された。

二「人類の破滅」より引用する(33~37頁)。

 とは言へ二千四百八十九年の冬、非常な不祥事が勃發した。今や先の杞憂家等の警告は頗る重大視されなければならないとことになつた。人々は斷へず太陽の卒中を恐れてゐた。この太陽の卒中といふ語は、二萬版も賣れたある感傷的なパンフレツトの標題である。杞憂の念を懐きながら人々は兎に角來るべき次の春を待ちこがれた。
 待ちに待つた春は來た。諸星の王は再び姿を現はした。されど、今や彼の王冠は消󠄁え行き、その威嚴を認めがたきを如何にせん! 見よ眞紅となれる太陽を! 牧場の綠は何れに行きけん、大空の靑は何處に消󠄁えし、支那ひとの肌も今や黄にあらず、あたかも魔女の國に於けるが如く、萬有は全くその色彩を變じてしまつた。太陽は紅より更にオレンヂ色に變じ去つて、黄金の林檎が空中に懸れる如くなつた。僅か數年の愛だに太陽も萬有も凡べて壯嚴なる又悲凄なる幾千種の彩を經て、オレンヂより黄に、黄より綠に、綠より藍に、さては又靑にまでも變じた。その時気象學者達は、一八八三年の九月二日にヴェネズェラでは、太陽が一日中月の如く靑く見えたこともあつた、といふ事實を想ひ出した。かく變幻自在に形相を變へて宇宙が表はすとりどりの色彩、もろもろの新意匠は、人々の驚きの眼を魅惑し、全く若返つた自然美の印象を太古の鋭さにまで蘇生させ再生させ、事物の外貌を一新して人心の基底をはげしく動揺させた。
 斯かる間に、變異は續けさまに起つた。ノルウェー、北露西亞ロシア西比利亞シベリアの全住民は、一夜の中に凍死した。温帯地方も温度が下降した爲、殘留した住民は雪と氷との大累積から遁れて、喘ぎ喘ぎ進む列車に大混雜して乗りながら幾億人も熱帯へ向つて移住した。これ等の列車の中若干は、狂暴なる大吹雪に遭つて、終に埋没してしまつた。避難民を滿載した大列車は、ピレニー、アルプス、コーカサス、ヒマラヤ等の麓のトンネルの中で、大雪崩の爲に同時に兩方の出口を塞がれた爲、出ることの出來ぬやうに閉じ込められてしまつて、最早何等の消息もない。世界の大河の幾つか、例へば、ラインとかダニューブとかは底まで結氷して流れが止まり、其結果名狀しがたき飢饉を生じ、幾千の母親が子供の肉を食ふといふ惨劇が此處彼處に演ぜられた。かゝる事變に關する情報は、電信によつて、間斷なく首府に傳達された。又時々は、一の地方若しくは一の大陸が中央の機關との通信を突然斷たれた、これ電信網が雪下に埋没し去つた爲である。それ等の電柱は、陶器の突起をつけたその不揃ひの頭を、此處彼處雪の上に現してゐる。全地球を被ふた此の目の密な巨大な電信網、又鐵道の完全な系統が地に着せた鏈帷子くさりかたびらの此の立派な着物は、今や僅に散亂せる斷片を殘すに過ぎない。まことナポレオン露西亞ロシア退軍の殘兵もかくやと偲ばれるばかりであつた。

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