女子高生の売春と自立、1997年の映画劇『20世紀ノスタルジア』
1982年(昭和57年)12月23日、日本電信電話公社(電電公社)が「テレホンカード」を発売した。
テレホンカード対応の公衆電話は首都圏から設置が進められた。
1983年(昭和58年)2月末、勁文社が月刊の芸能界オーディション情報誌『デ・ビュー』を3月号(200円)で創刊した。
1984年(昭和59年)11月16日、東京・表参道に、地上5階、地下2階の複合ファッションビル「原宿VIVRE(ビブレ)21」が開業した。
1985年(昭和60年)4月1日、日本電信電話公社(電電公社)を民営化した日本電信電話会社(NTT)が発足した。
1986年(昭和61年)11月27日、NTTが、あらかじめ決めておいた連絡番号・暗証番号で、特定の相手と連絡を取ることができる「伝言ダイヤルサービス」を開始した。
コギャルとブルセラショップ
90年代前半、日本の都市部で、女子高生の着用済みブルマー、高校やファストフード店の制服、ソックス、下着などを高額で売買する「ブルセラショップ」、通称「ブルセラ」が大ブームとなった。
「ブルセラ」は女子高生の体操着に使われた「ブルマー」を意味する「ブル」と、女子高生の制服に使われた「セーラー服」を意味する「セラ」を組み合わせた造語だ。東京都高田馬場・渋谷の「ロペ(Rope)」が初めてこの語を用いた。
この頃から、公共社会道徳よりも個人や法人の金儲け競争を最優先し始めた日本語のマスメディアでは、少数の社会・経済的に有力なスポーツ選手、音楽家、俳優、お笑い芸人らによる弱者のいじめや性的暴力を容認する言論が広まり、社会常識に反する過激な思想や娯楽を好む若者の人気を得始めた。
また、文化研究の最新学説に基づく、弱者によりそう出世などの利権をめぐる競争の優等者の報道人、弁護士、社会学者、芸術家などの少数の文化人による言論攻撃、急進的な社会改革活動あるいは反社会活動も台頭し始めた。
同世代の渋谷・原宿を中心とする奇抜なファッション、高度消費競争に敏感な「コギャル」と呼ばれる中高生や20代前半までの若い女性を貴重な性的商品とみなす発想も強まった。
「ブルセラ」ブームにより、未成年の女性が客の眼前で下着を「ナマ脱ぎ」して販売するなどの業態が社会問題になったが、90年代後半にブームはすたれた。
1993年(平成5年)7月3日~9月25日、日本テレビの毎週土曜日21時~21時45分の『土曜グランド劇場』で、最新の通信媒体「ポケットベル(ポケベル)を使って不倫を楽しむ男女を描く、35歳の秋元康(あきもと・やすし、1958年5月2日~)原案・企画、33歳の遠藤察男(1959年12月3日~)脚本、55歳の緒形拳(おがた・けん、1937年7月20日~2008年10月5日)、23歳の裕木奈江(ゆうき・なえ、1970年5月12日~)主演の連続テレビ劇『ポケベルが鳴らなくて』全12話が放映された。
1993年(平成5年)7月21日、meldacから、日本テレビ系土曜グランド劇場“ポケベルが鳴らなくて”主題歌~オープニングテーマ、25歳の国武万里(くにたけ・まり、1967年8月26日 ~)「ポケベルが鳴らなくて」(6分22秒)、「もっと わがままなあなたでいて」(4分39秒)の8㎝CDシングル盤(MEDP-11002、税込み1,068円)が発売された。
1993年(平成5年)8月11日、『日本経済新聞』が、警視庁少年二課(事件課)、防犯総務課、玉川署などが、10日までに、女子高生100人を補導し、女子高生の出演するわいせつなアダルトビデオ(AV)を制作・販売していたビデオ会社社長など4人が職業安定法違反容疑で逮捕され、その一部の販売を請け負っていたブルセラショップの社長、従業員ら3人が古物営業法違反の容疑で書類送検されたことを報じた。
翌日、スポーツ新聞各紙やテレビの報道、バラエティ番組がこの事件を当時、ブルセラショップの存在が全国的に認知され始めた。
1993年(平成5年)8月26日、東京都の港区芝浦地区と台場地区を結ぶ吊橋レインボーブリッジが開通した。
1993年(平成5年)9月9日、『朝日新聞』に34歳の社会学者・宮台真司(1959年3月3日~)「ブルセラショップの女子高生~場に適応した役割演じる」が掲載された。
宮台は従来の倫理に反する、高度成長が終わったあとの新しい成熟した自由競争社会に適合した倫理として、女子高生が金儲けのために、下着を売る行為や性的肉体を売る行為を自立した個人の成熟として肯定した。
1993年(平成5年)9月20日、『朝日新聞』に宮台真司への反論として、奥井智之(1958年~)「「ブルセラショップの女子高生」論への疑問~はたして時代の先取りか」が掲載された。
1993年(平成5年)9月29日、『朝日新聞』に、奥井智之への再反論として、宮台真司「「ブルセラ」論争に再反論~タテマエに過ぎぬ「道徳」」が掲載された。
1993年(平成5年)11月、東京神宮前に、モデル代理業をおこなう有限会社フロスが設立された。
1994年(平成6年)4月末、『De・view(デ・ビュー)』5月号(税込み480円)に、P&Gのニキビ治療薬クレアラシルとクレアラシルフェイスウォッシュの「クレアラシルぴかぴかフェイスコンテスト」の募集記事が載った。
高知市に住む高知市立城北中学校2年生の13歳の広末涼子(ひろすえ・りょうこ、1980年7月18日~)がこれに応募した。
1994年(平成6年)7月、14歳の広末涼子が「クレアラシルぴかぴかフェイスコンテスト」のグランプリを獲得し、「クレアラシル」のテレビ広告に起用され、フロスと契約した。
1994年(平成6年)9月20日、ダイヤルQを使い「援助交際クラブ」(デートクラブ)と称し、未成年の少女を使って売春(組織売春)をしていた業者が摘発されたことがきっかけで、多種多様な性的嗜好の要求に個別の報酬交渉で応じる「援助交際」の語が広まった。
1994年(平成6年)9月末、『De・view(デ・ビュー)』10月号(税込み480円)に、「クレアラシルぴかぴかフェイスコンテスト」のグランプリを獲得した14歳の広末涼子の写真が掲載された。
1994年(平成6年)11月25日、女子高生の売春やブルセラ取引を自己責任行為の発達として肯定する、35歳の宮台真司著『制服少女たちの選択』(講談社、本体1,650円)が刊行された。
1995年(平成7年)2月22日発売の『週刊SPA!(スパ)』(扶桑社)3月1日号(300円)の「イジめる側の「論理」」に、35歳の宮台真司「均質な学校社会ではいじめがあって当たり前」が掲載された。
2005年(平成17年)2月25日発行、『宮台真司interviews(インタヴューズ)』(世界書院、本体1,524円)より引用する(7~8頁)。
1995年(平成7年)4月1日、「KAWADE夢文庫」、ヤングライフ調査班編『花の女子高生ウフフ…の秘密:いまどきのコギャルは超すごい!』(河出書房新社、税込み480円)が刊行された。
1995年(平成7年)7月1日、NTTパーソナルが北海道、関東、北陸で、狭い地域を通話の圏内とする携帯電話より安い移動電話端末のPHSサービスを開始した。
1995年(平成7年)12月9日、東京・渋谷道玄坂の「フォンティスビル」4階に、芸能事務所「アミューズ」と映画制作会社「シネカノン」の共同運営の2スクリーン、132席と129席の映画館「CINE AMUSE(シネ・アミューズ)」が開業した。
この頃、東京・渋谷の繁華街には、個人で売春して、虚栄心を満たす金を稼ぐ1980年(昭和55年)前後の生まれの自由な考えの女子高生が大勢いた。
1996年(平成8年)2月、関東で、NTTドコモのポケベルの15歳の広末涼子出演のテレビ広告の放映が始まった。
1996年(平成8年)7月22日、avex trax(エイベックス・トラックス)から、18歳の安室奈美恵(あむろ・なみえ、1977年9月20日~)のアルバム 『SWEET 19 BLUES(スウィート・ナインティーン・ブルース)』(66分53秒)のCD盤(AVCD-11463、税込み3,000円)が発売された。
37歳の小室哲哉(こむろ・てつや、1958年11月27日~)作詞・作曲・編曲の「SWEET 19 BLUES」(5分38秒)を収めた。
1996年(平成8年)7月末、『De・view(デ・ビュー)』8月号(特別定価税込み530円)の表紙に、品川女子学院高等部1年生の15歳の広末涼子の写真が使われた。
1996年(平成8年)11月18日、1996年(平成8年)の渋谷の女子高生の吉井裕美の視点から援助交際を描いた、44歳の村上龍(1952年2月19日~)の小説『ラブ&ポップ:トパーズⅡ』(幻冬舎、税込み1,400円)が刊行された。
表紙帯のコピーに「どうしても欲しいものを、今、手に入れるために、その日〈裕美〉は援助交際を決意した。伝言ダイヤル、テレクラ、ナンパ……。彷徨の果て、裸の女子高生は救いを得られるのか?」とある。
表紙帯の32歳の吉本ばなな(1964年7月24日~)の推薦文に「真の閉塞の中の妙に明るい光、それは精神の命をつなげようとする必死の輝きだ。なんでそれをこんなに完璧に描けるのだろう。くやしいほどうまい。」とある。
1997年(平成9年)3月16日、神戸市須磨区で神戸市立友が丘中学校3年生の14歳の男子生徒A(1982年7月7日~)が市立竜が台小学校4年生の10歳の山下彩花さんの後頭部をハンマーで殴り、3月23日に死亡させた。
映画劇『20世紀ノスタルジア』(ネタバレ)
1997年(平成9年)4月30日、青木久美子、飯島香代子企画・構成、16歳の広末涼子&遠山杏(とおやま・あんず)著『20世紀ノスタルジア 撮影日記:広末涼子から遠山杏へ』(徳間書店、本体1,500円)が刊行された。
遠山啓は広末が初の映画劇『20世紀ノスタルジア』で演じた桜木高校2年生の人物だ。
1997年(平成9年)5月24日、14歳の男子生徒Aが、市立竜が台小学校6年生の11歳の土師淳(はせ・じゅん)さんを運動靴の紐で絞殺し、遺体を頭部と胴体部に切断し、頭部を「声明文」と共に友が丘中正門前に遺棄した。
1997年(平成9年)5月25日、31日発行の『広末涼子 in Fantastic Love Story:20世紀ノスタルジア・ストーリー・ブック 』(徳間書店、本体1,500円)が発売された。
1997年(平成9年)5月27日早朝、通行人が神戸市須磨区の友が丘中学校正門に、切断された11歳の男児の頭部が放置されているのを発見し、警察に通報した。
1997年(平成9年)6月25日、 ワーナー・ミュージック・ジャパンから、アサヒ飲料「MITSUYA WHITE SODA」CMソング、23歳の岡本真夜(おかもと・まよ、1974年1月9日~)作詞・作曲、16歳の広末涼子「大スキ!」のシングルCD盤(WPDV-7112、税込み1.020円)が発売された。
1997年(平成9年)6月25日、大映発売、徳間ジャパンコミュニケーションズ発行、犬童一心(いぬどう・いっしん、1960年6月24日~)、鈴木秀幸監督・構成、 16歳の広末涼子出演『インフィニティ:20世紀ノスタルジア CINE DOCUMENT』(57分)のVHSビデオ(MFH-1399、本体2,800円)が発売された。
1997年(平成9年)1月5日(日)の東京都江東区の越中島公園での16歳の広末涼子、57歳のエグゼクティブ・プロデューサーの佐々木史朗(1939年1月22日~2022年4月18日)の発言に続き、1995年(平成7年)6月20日(火)の東京都新宿区四谷オフィス・シロウズ事務所でオーディションを受ける半袖のワンピースを着た14歳の広末涼子、44歳の原将人(はら・まさと、1950年7月15日~)監督の貴重な映像が挿入される。
続いて、1997年(平成9年)1月6日(月)の隅田川にかかる清州橋での広末と片岡徹(かたおか・とおる)役の19歳の圓島努(まるしま・つとむ、1977年7月29日~)、3学期前日の1月7日(火)の神奈川県川崎市麻生区の日本映画学校の広末と原監督、1月9日(木)の越中島公園での広末、1月11日(土)の東中野の徹の家での広末と原監督、1月12日(日)の隅田川にかかる桜橋での広末と原監督、杏の父親・遠山信也役の46歳の根岸吉太郎(1950年8月24日~)が記録されている。
1997年(平成9年)1月13日(月)の東京タワー、ポレポレ坐ビル地下の102席の田島征三(たしま・せいぞう、1940年1月9日~)原作の映画劇『絵の中のぼくの村』(112分。初公開:1996年7月13日)の再上映中の映画館「BOX東中野」入口階段付近が記録されているが、夏服の広末は「BOX東中野」入口階段付近での撮影が終わるとすぐに厚いコートを着せられる。
1月14日(火)の北品川の屋形船、レインボーブリッジ、お台場海浜公園、1月15日(水)の多摩川、1月17日(金)、矢口渡の杏の家での杏と徹の再開場面の撮影、1月19日(日)のつくば秀英高校、1月20日(月)早朝のいわき市永崎海岸での撮影、朝8時25分の撮影終了の模様が記録された。
1997年(平成9年)6月28日、14歳の男子生徒Aが殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕された。
1997年(平成9年)7月25日、ワーナー・ミュージック・ジャパンから、『20世紀ノスタルジア』オリジナル・サウンドトラックのCD盤(WPCV-7411、税込み3,059円)が発売された。
1997年(平成9年)7月26日、テアトル新宿で、46歳の原将人監督、 15歳~16歳の広末涼子、18歳~19歳の圓島努(まるしま・つとむ、1977年7月29日~)主演の映画劇『20世紀ノスタルジア』(93分)が公開された。
夏休みに自分たちが作るビデオ映画劇の中で、未来から来た宇宙人を演じる遠山杏の役名ポウセと片岡徹の役名チュンセは、宮澤賢治(1896年8月27日~1933年9月21日)の1918年(大正7年)8月頃に書かれた最初期の童話「雙子の星」に登場する賢治自身と妹トシ(1898年11月5日~ 1922年11月27日)の姿を置き換えた、天の川の西の岸にある小さな水精のお宮に住む双子の星の「チュンセ童子」と「ポウセ童子」から採られている。
1995年(平成7年)8月に夏休みの場面が撮影され、その後、制作中断中に脚本を改訂し、1997年(平成9年)1月5日~20日に主に2学期の場面の撮影を再開した。
劇中の夏休み中という設定の「BOX東中野」では夜8時50分からのレイトショウで、26歳のジャン・ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo、1933年4月9日~2021年9月6日)主演の映画劇『勝手にしやがれ』À bout de souffle(90分。初公開:1960年3月16日)の日本語字幕スーパー版が上映されているという設定だ。
レイトショーに間に合わなかった、遠山杏はその夜、片岡徹を東京都大田区多摩川の矢口渡にある遠山の母親・吉野桃(余貴美子)の住むマンションに連れて行き、母親が押し入れにしまい込んでいた『勝手にしやがれ』日本語字幕スーパー版のビデオを観る。
遠山杏は、眠ってしまった母親・吉野桃を見て、観終えたばかりの『勝手にしやがれ』の最後の場面のベルモンドが演じたミシェル(Michel)の死ぬ直前の最後のセリフと自分の目を閉ざしてから唇に触れる左手の動きの真似をして、「オレは最低だ("C'est vraiment dégueulasse"の日本語字幕訳)」と言ったあと、母親の目を閉じるように撫で、続いて唇を撫でる。
オーストラリアに引越した徹が東京の家に残した本棚には、ヒッチコック(Hitchcock、1899年8月13日~1980年4月29日)、トリュフォー(Truffaut、1932年2月6日~1984年10月21日)著、山田宏一(1938年9月13日~)、蓮實重彦(1936年4月29日~)訳『映画術』(晶文社)、1991年(平成3年)1月10日刊、ポール・デヴェロー(Paul Devereux、1945年~)、ジョン・スティール(John Steele)、デヴィッド・クブリン(David Kubrin)著、青木日出夫(1936年6月10日~2006年8月3日)訳『地球ミステリー:アースマインド : 地球は人類の廃棄を意図し始めた』(教育社出版サービス、税込み1,800円)、「近代日本詩人選」13、吉本隆明(1924年11月25日~2012年3月16日)著『宮沢賢治』(筑摩書房)、蓮實重彦著『物語批判序説』(中央公論社)、レヴィ=ストロース(Lévi-Strauss、1908年11月28日~2009年10月30日)著、川田順造(1934年6月20日~)訳『悲しき熱帯』上下巻(中央公論社)、蓮實重彦、柄谷行人(からたに・こうじん、1941年8月6日~)著『闘争のエチカ』(河出書房新社)などの背表紙が見える。
1981年(昭和56年)12月25日刊、ヒッチコック、トリュフォー著、山田宏一、蓮實重彦訳『映画術』(晶文社、2,900円)
1989年(平成元年)7月30日刊、「近代日本詩人選」13、吉本隆明著『宮沢賢治』(筑摩書房、税込み2,160円)
1985年(昭和60年)3月10日刊、蓮實重彦著『物語批判序説』(中央公論社、1,200円)
1977年(昭和52年)10月25日、12月10日刊、レヴィ=ストロース著、川田順造訳『悲しき熱帯』上下巻(中央公論社、各巻1,500円)
1988年(昭和63年)5月31日刊、蓮實重彦、柄谷行人著『闘争のエチカ』(河出書房新社、1,700円)
撮影済みの8ミリ・ビデオカセットが並んでいる別の棚には1985年(昭和60年)~1986年(昭和61年)刊の「ちくま文庫」版の『宮沢賢治全集』全8巻(1995年に書簡など2巻増巻)(筑摩書房)と、1993年(平成5年)1月7日刊、「ちくま学芸文庫」版、天沢退二郎(あまざわ・たいじろう、1936年7月31日~2023年1月25日)著『宮沢賢治の彼方へ』新増補改訂版(筑摩書房、税込み960円)の背表紙が見える。
映画劇『バウンス ko GALS』(ネタバレ)
1997年(平成9年)10月25日、CINE AMUSEで、58歳の原田眞人(はらだ・まさと、1949年7月3日~)脚本・監督、17歳の佐藤仁美(さとう・ひとみ、1979年10月10日~)、18歳の佐藤康恵(1978年12月7日~)、18歳の岡元夕紀子(1979年5月5日~)主演の映画劇『バウンス ko GALS(コギャル)』(109分)が公開された。
1997年(平成9年)4月下旬、金曜の午後2時、家出した帰国子女の高校生のリサ(岡元夕紀子)が新幹線で仙台から東京に向かう。翌日の朝11時の飛行機で以前住んでいたニュー・ヨークに向かう予定のリサは航空券とパスポートを持っている。
その頃、東京・渋谷、ウリ(売春)で金を稼いでいる16歳の高校生のコギャルのマル(矢沢心)は、堕胎するため、男友達とウリは未経験の親友のラク(佐藤康恵)と一緒に産婦人科の病院の待合室にいる。
東京駅で降りたリサは妻のいる中年男・小出(小堺一機)に3万円でセックスしないかと持ちかけられるが、逃げる。
渋谷のブティックで、ラクと一緒にいたマルは、援助交際の相手の左翼くずれの中年のインテリ・ヤクザ大島(役所広司)に、その正体を知らずに会う。
渋谷に着いたリサはスカウトマンのサップ(村上淳)に声をかけられる。
ホテルに入ったマルは大島から「下はなしで」フェラだけで10万円貰おうとするが、大島は態度を一変し、ホテトルもデートクラブも経営しているヤクザだと身元を明かす。
大島はマルに10万円払えと言い、マルが持っていないと言うと身分証と携帯電話(PHS、ピッチ)を取り上げる。
リサは、恵比寿東公園(タコ公園)近くの渋谷橋交差点の紅茶専門店、ロウレイズティー(Lawleys Tea)の隣の小林建具店の上の階にある、サキ(桃井かおり)の経営するブルセラショップで使用済みパンツ(下着)を売り、ニュー・ヨークでの生活資金の足しにしようとする。
サキはリサに「ナマ脱ぎ」を勧め、リサはその場でパンツを脱いで渡す。
17歳のコギャルの高校生のジョンコ(佐藤仁美)の元にマルが相談に来る。ジョンコは、小学生の頃から教師を含む男に痴漢され、スケベ男を許せず、ウリはやっていないが、リーマン(サラリーマン)の客とカラオケに行ったり、一緒に食事をする援助交際で1回10万円を荒稼ぎし、ホテルに連れ込む客を騙して金だけ奪い取ったり、護身用スタンガンで痛い目に合わせている。
一方、サキは大金を稼ぎたがっているリサに美少女企画ビデオ制作会社のバウンス企画を紹介する。
大島に4万円払ったマルは、ジョンコに、6万円払えば携帯電話(PHS)を返してもらえるという。
午後3時50分、リサはサップに追いかけ回され、逃げ回る。サップは、名刺を道に置き、昭和51年(1976年)8月27日生まれの秋山ハルキと名乗る。
リサがAV(アダルトビデオ)ではないビデオに出ると言うと、サップは止めるが、リサがいう事を聞かないので、現場について行くと言う。
マンションの和室で、シンゴ(海藤れん)はミニスカートの制服を着たラクたち女子高生3人を音楽に合わせて躍らせ、ビデオを撮っている。
そこにリサが来る。外でサップが待つ。
ジョンコはビルの7階にある、1万5000円のデートクラブに行き、そこで働く女に近づき、大島のことを聞く。
ジョンコはバーで大島の手下テラ(清川均)、大島と会う。
リサは制服に着替えて、ほかの3人と一緒に演技をするが、撮影中に2人のヤクザが乱入し、リサのバッグの1年間バイトして貯めた旅費35万円を見つけ、奪い取り、抵抗するリサを犯そうとする。
それを目撃したサップは消火器で消火剤を部屋に噴射し、リサを逃す。リサは航空券とパスポートを持って、ラクと一緒に逃げる。
ジョンコは、社会主義を危険思想として弾圧する日本国で長らく公開が禁じられていた、1905年(明治38年)6月末の装甲艦パチョームキン(Потёмкин)の反乱を描いた、1925年(大正14年)12月24日、マスクヴァで公開された社会義革命宣伝無声映画劇『戦艦ポチョムキン』Броненосец «Потёмкин»の1950年(昭和25年)復元版のポスター(1959年(昭和34年)12月15日に発足した「戦艦ポチョムキン上映促進の会」制作のパンフレット表紙のデザイン)が壁に貼られ、交差する赤旗(共産党の象徴)が飾られたバーで大島と交渉し、マルの身分証、携帯電話(PHS)、4万円を返してもらう。
その代わり、ジョンコはもう援助交際をしないと約束する。
ジョンコは「カラオケもあるし、10万円分働きます。おじん(「社会的地位をもつ中年男性」を指す女子高生の流行語)ソングは自信あるんです」と言う。
その後、大島とジョンコはカラオケで一緒に労働歌「インターナショナル」を歌う。「インターナショナル」とは国際共産党のことだ。
ラクはリサの話を聞き、リサのニュー・ヨークでの生活資金を稼ぐため、電話ボックスの公衆電話で、一般の女性と会う約束をしたい男性客が利用するテレフォンクラブ(テレクラ)に無料電話をかけ、客とカラオケに行く。
ヤクザに殴られて顔と首にケガを負ったサップは夜の病院で治療を受ける。
夜9時20分、ラクとリサは恵比寿のエスニック料理屋「象龍(チャンロン)」で食事をし、リサは入る予定のニュー・ヨークの学校の電話番号をラクに教える。
ラクは半年ぶりに電話でクラブ・クラブにいるジョンコと話し、リサのことを話し、助けて欲しいと頼む。
夜10時3分、ラクの紹介で、リサはクラブ・クラブの前にいるジョンコと連絡係のクジ(万央里)に会う。
ジョンコ「目標は60万。やられたら倍にしてやり返す。代償を払うのはオヤジ」
ジョンコはNTTの加入電話・公衆電話から伝言を録音・再生・追加録音する「伝言ダイヤル」サービスで数人の客を渋谷に呼び出し、品定めする。
ラブホテルで、枕探しを警戒する博多弁のサラリーマンの客をジョンコは風呂に誘い、スタンガンで失神させ、14万円を奪う。
次にジョンコのお得意の80歳の医学博士の大学名誉教授(今福将雄)と会い、戦時中の軍部の慰安所の話を聞くだけで、リサは30万円を貰うはずだったが、ニュー・ヨーク育ちで人権意識の高いリサは、慰安所の運営に関わり、アジア人の女を侮辱した人の金を貰うのが嫌で、受け取らなかった。
土曜日、午前1時17分、ジョンコはマルが行く予定だった六本木のクラブに、VIPの建設省の官僚・芳賀高光(塩屋俊)と芳賀の弟(大城英司)相手の援助交際のため、リサと一緒に行く。
クラブのVIP席には、芳賀兄弟と親しいオカマともう1人の連れの男もいる。
芳賀はランニングシャツ姿になり、男子便所の便器を素手で掃除させ、ジョンコとリサに、1人20万円払うと言い、中国人ホステスのシュン(チュウ・シュン、朱迅)を差別する。
ジョンコは芳賀を殴り倒し、40万円を奪って、リサと逃げる。芳賀の弟たち3人が下着姿で走って彼女たちを追いかける。
一方、マルは中年男・小出をカモにオヤジ狩りして、逆にやられ、重傷を負う。
バーで古い知り合いのサキと飲んでいた大島と、マルを見張っていたテラは、六本木でのジョンコの事件の情報をつかむ。
午前2時45分、噴水の前で大勢の若者と一緒にストリートダンスの練習をしているラクに会いに来たリサに、ラクと疎遠だったジョンコもついて来る。
ジムでジュースを飲みながら話していたラクとジョンコは、仲良くなったリサに稼いだ金を全部あげる。
そこにテラが現れ、ジョンコに金を要求し、ジョンコを張り倒す。リサはテラにその日稼いだ14万円と40万円を渡す。だがテラは六本木で芳賀から奪った金額は80万円だと聞いていた。
テラはジョンコとリサを連れていこうとするが、ラクは「3人一緒ですから」と言い、ついて行く。
テラはジョンコとリサとラクを、マルの入院する病院に連れて行く。そこに大島がいる。マルは左目を失明した。
大島は、ジョンコに「甘く見るな」と警告し、テラに54万円を芳賀に返し、残りは使ったと芳賀に言うように命じる。
大島「こいつらの言ってることの方が正しいんだよ! 官僚なんてのはな、水増し請求で儲けるのが当たり前だと思ってるんだよ!
それ見てみろ。その札比べてみろ。そのピン札見てみろよ。伝言ダイヤルみたいにびっしりメッセージが入ってるよ。
土木業者の裏セミナーで貰ったばかりの40万です。便所援助交際で一晩遊ばせてください」
芳賀を憎む大島は14万円の札を丸めてリサに返し、ピン札の40万円をテラに持たせる。
午前6時50分、ジョンコ、ラク、リサの3人は、恵比寿近辺の建物の壁や柱やタコ公園のタコの滑り台などに無数に貼られた「Come Back, Lisa」などの文字が刷られたビラの矢印を辿っていく。
辿りついた先のサキのブルセラショップのレジで、ラクとジョンコの顔見知りのサップが寝ていた。
目を覚ましたサップはサキに頼んでヤクザから取り戻してもらった35万と、サキがサップに売ったリサの制服代その他とサキの餞別を合わせた50万円をリサに渡す。
ジョンコ、ラク、リサは上野公園の花園稲荷神社で時間をつぶす。
京成上野駅でリサは成田空港に向かうスカイライナーに乗り、ジョンコとラクと別れる。
1997年(平成9年)11月1日、大橋仁(おおはし・じん、1972年~)写真『バウンス ko Gals photo book』(リトル・モア、本体1,333円)が発売された。
映画劇『ラブ&ポップ』
1997年(平成9年)12月22日、キングレコードから、東映配給映画「ラブ&ポップ」主題歌、15歳の三輪明日美(みわ・あすみ、1982年3月12日~)が37歳の庵野秀明(あんの・ひであき、 1960年5月22日~)唄の指示でわざと下手に歌った「あの素晴らしい愛をもう一度」のCD盤(KIDS-364、税込み1,068円)が発売された。
1971年(昭和46年)4月5日発売の北山修(1946年6月19日~)作詞、加藤和彦(1947年3月21日~2009年10月16日)作曲「あの素晴らしい愛をもう一度」の34歳の光宗信吉(みつむね・しんきち、1963年10月8日~)編曲のカヴァーだ。
1997年(平成9年)12月25日、「幻冬舎文庫」、村上龍著『ラブ&ポップ:トパーズⅡ』(幻冬舎、本体495円)が刊行された。
解説は36歳の陣野俊史(じんの・としふみ、1961年11月12日~)だ。
1998年(平成10年)1月9日、村上龍原作、35歳の薩川昭夫(さつかわ・あきお、1962年1月5日~)脚本、37歳の庵野秀明監督、15歳の三輪明日美(みわ・あすみ、1982年3月12日~)主演の映画劇『ラブ&ポップ』(110分)が公開された。
撮影は1997年(平成9年)8月に渋谷でおこなわれた。
メイキングは32歳のカンパニー松尾(1965年6月29日~)と30歳のバクシーシ山下(1967年1月27日~)が監督した。
1997年(平成9年)7月19日の渋谷で、水着を買いに行った地下1階・地上5階建てのファッションビル(ロケ地は「表参道ビブレ」)の1階にある宝飾店が閉まる21時までに、すぐ欲しくなった128,000円のインペリアル・トパーズの指輪を購入するためのお金を稼ごうとするカメラで写真を撮るのが趣味の16歳の高校2年生の吉井裕美を描く。
吉井裕美と同級生のプロのダンサーを目指す野田知佐(希良梨、きらり)、パソコンが趣味の横井奈緒(工藤浩乃)、性的に進んでいる高森千恵子(仲間由紀恵)の4人に12万円をくれると約束した中年男性・掛川(平田満)と入ったカラオケ店で掛川は、1996年(平成8年)4月10日に発売された、スピッツ「チェリー」を歌う。
千恵子は掛川と、1973年(昭和48年)9月20日に発売された、南こうせつとかぐや姫「神田川」を歌う。
奈緒は、1997年(平成9年)6月25日発売の大ヒット中の「大スキ!」を歌う。
掛川は持ち歩いてたマスカットを1粒ずつ4人に噛ませてから口から出させ、ピンセットでつまんで1粒ずつ透明な専用の蒐集用の容器に入れる。
渋谷川を横に並んで歩く制服の4人を後退移動で35ミリ・フィルムで撮影された最後のショットに、三輪明日美唄「あの素晴らしい愛をもう一度」が流れる。
1998年(平成10年)1月10日発売のアニメ月刊誌『アニメージュ』(徳間書店2月号(税込み620円)で「エヴァンゲリオンの庵野英明『ラブ&ポップ』が観たい!」が特集された。
1998年(平成10年)1月10日、戸崎美和(とさき・みわ、1967年~)撮影『三輪ひとみ+明日美写真集 ラブ&ポップ』(アミューズブックス、本体2,000円)が刊行された。
1998年(平成10年)1月10日、戸崎美和撮影、木俣冬構成・編集、38歳の井上伸一郎(1959年1月28日~)編集『ラブ&ポップ PHOTO BOOK』(角川書店、本体1,000円)が刊行された。
1998年(平成10年)6月16日、『別冊宝島』(宝島社)391号、『超コギャル読本』(本体952円)が刊行された。
1998年(平成10年)10月5日発売の森川昇撮影の18歳の広末涼子が表紙の男性週刊誌『週刊プレイボーイ』(集英社)10月20日超特大号(税込み330円)に、39歳の東京都立大学助教授・宮台真司と広末涼子の対談「宮台さんの言うとおり〝売り〟をやる子の気持 私も少しはわかります」が掲載された。
同誌67頁より引用する。
1998年(平成10年)10月、フロスで広末涼子のマネージャーだった井上義久が芸情人事務所の有限会社フラームを設立し、18歳の広末がフラームに入社した。
1998年(平成10年)11月、NTTドコモのポケベルの15歳の加藤あい(1982年12月12日~)出演のテレビ広告の放映が始まった。
21世紀の日本の家族
1999年(平成11年)4月、自己推薦入試で合格した18歳の広末涼子が、早稲田大学教育学部国語国文科に入学した。
1999年(平成11年)6月26日、18歳の広末涼子が初めて早稲田大学に登校した。
2000年(平成12年)10月22日、「表参道ビブレ」が閉店した。
2002年(平成14年)4月19日、勁文社が倒産した。
2002年(平成14年)6月27日、オリコン株式会社が勁文社の『月刊デ・ビュー』発行事業を受け継ぐ100%子会社「デ・ビュー」を設立した。
2002年(平成14年)8月末、オリコンが『De・view(デ・ビュー)』9月号(480円)から同誌の発行を引き継いだ。
2002年(平成14年)11月13日、オリコンが雑誌『De・view(デ・ビュー)』と連動するドコモiモードの芸能オーディション情報サイト『デ・ビュー』、子供向モデル情報サイト『キッズ デ・ビュー』を開設した。
2003年(平成15年)4月25日、映画館「BOX東中野」が閉館した。
2003年(平成15年)10月6日、23歳の広末涼子が早稲田大学を退学した。
2003年(平成15年)12月15日、23歳の広末涼子が、28歳の岡沢高宏(1975年9月14日~)との婚姻届を近く出すことを発表した。
2004年(平成16年)3月10日、21歳の神戸連続児童殺害犯が仮退院を認められ、社会復帰した。
2004年(平成16年)4月10日、23歳の広末涼子が第1子の男児を出産した。
2006年(平成18年)12月30日、「朝日文庫」、47歳の宮台真司著『制服少女たちの選択 After 10 years』(朝日新聞社、本体700円)が刊行された。
2008年(平成20年)1月7日、NTTドコモがPHSサービスを終了した。
2008年(平成20年)3月13日、27歳の広末涼子と32歳の岡沢高宏が離婚した。
2008年(平成20年)12月20日、「CINE AMUSE」が「ヒューマントラストシネマ文化村通り」と改称した。
2009年(平成21年)10月31日、「ヒューマントラストシネマ文化村通り」が閉館した。
2010年(平成22年)10月8日、30歳の広末涼子が36歳のキャンドル・ジュン(1974年1月20日~)と結婚した。
2011年(平成23年)3月22日、30歳の広末涼子が第2子の男児を出産した。
2014年(平成26年)1月20日、日本マザーズ協会会長の49歳の森松伸治が2013年(平成25年)5月16日に、松山市の自宅マンションで、51歳の妻に暴行し、重傷を負わせたとして、傷害の容疑で松山東書に逮捕された。
2014年(平成26年)3月24日、松山地裁は、50歳の森松伸治に、懲役2年、執行猶予4年の判決を言い渡した。
2015年(平成27年)2月28日発売の月刊『De・view(デ・ビュー)』3月号(税込み510円)をもって同誌が休刊し、全面的にその機能をウェブ版、モバイル版に移行した。
2015年(平成27年)3月10日、恵比寿のロウレイズティーが閉店した。
2015年(平成27年)6月10日、28日発行、32歳の神戸連続児童殺害犯の手記、元少年A著『絶歌:神戸連続児童殺傷事件』(太田出版、本体1,500円)が刊行された。
2015年(平成27年)7月17日、34歳の広末涼子が第3子の女児を出産した。
2016年(平成28年)2月29日、NTTが「伝言ダイヤル」のサービスを終了した。
2018年(平成30年)8月31日、90年代に青春を謳歌した女子高生の仲良しグループを描いた、大根仁(おおね・ひとし、1968年12月28日~)脚本・監督、34歳の篠原涼子(1973年8月13日~)、19歳の広瀬すず(1998年6月19日~)主演の映画劇『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(119分)が公開された。
撮影は2017年(平成29年)10月11日~11月下旬におこなわれた。
2019年(令和元年)10月10日、40歳の佐藤仁美と35歳の細貝圭(1984年10月10日~)が結婚した。
2021年(令和3年)6月、40歳の広末涼子がフラームの許可を得て、個人事務所「R.H」を設立した。
2022年(令和4年)5月6日、一般社団法人日本マザーズ協会主催の第14回ベストマザーズ賞2022の授賞式がおこなわれ、芸能部門で41歳の広末涼子が選ばれた。
2023年(令和5年)2月23日、43歳の佐藤仁美と38歳の細貝圭が離婚した。
2023年(令和5年)6月7日、文藝春秋が運営するニュースサイト『文春オンライン』に「週刊文春」編集部の記事「“ベストマザー賞”広末涼子がミシュラン1つ星シェフとW不倫 美脚ショートパンツで”お店デート”の後に…」が公開され、6月3日に42歳の広末涼子が45歳の鳥羽周作(1978年5月5日~)と同じホテルで宿泊したことが報じられた。
2023年(令和5年)7月13日、42歳の広末涼子が、49歳のキャンドル・ジュンとの離婚を発表した。
2023年(令和5年)11月9日、「ちくま新書」、春増翔太(1984年~著『ルポ 歌舞伎町の路上売春:それでも「立ちんぼ」を続ける彼女たち』(筑摩書房、税込み990円)が刊行された。
2024年(令和6年)1月8日、光文社の写真週刊誌『FLASH(フラッシュ)』の公式サイト『Smart FLASH』でFLASH編集部の記事「宮台真司氏 女子大生を “ファン食い” 44歳差不倫「がん治療」に同行させ3000円ラブホへ」が公開された。
2023年(令和5年)12月17日、東京・大井町のホールで、東京都立大学教授の64歳の宮台真司が、62歳のビデオジャーナリストの神保哲生(じんぼう・てつお、1961年11月10日~)とトークライブをおこなった後、ライブを最前列で見ていた20歳の女子大生を渋谷・円山町のラブホテルに同行したと報じた。
2024年(令和6年)2月16日、43歳の広末涼子がフラームを退社した。
2024年(令和6年)2月20日、東京都立大学が、64歳の宮台真司教授に、「戒告」処分を下した。
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