1969年の山下洋輔トリオと1973年の「ピアノ炎上」
1951年11月19日、東京・銀座7丁目の大和ビル地下に、高級キャバレー「銀巴里」が開店した。
タンゴ楽団の原孝太郎(?~1993年6月9日)と東京六重奏団が専属だった。
1955年1月20日~9月10日、『毎日新聞』朝刊に、57歳の大佛次郎(おさらぎ・じろう、1897年10月9日~1973年4月30日)作、宮本三郎(1905年5月23日~1974年10月13日)画の小説『風船』が連載された。
『風船』第1回「暖い夜」では、クリスマス近くのある日、戦後、7年続いた麹町のナイトクラブ「ミノトオル」のステエジではジャズバンドが演奏し、黒人歌手が歌う。
1955年2月1日、「銀巴里」(110席)がシャンソン喫茶になった。
19歳の丸山明宏(1935年5月15日~)、沢庸子(1931年~)、只野智恵子、喜多川裕子が「銀巴里」の専属のシャンソン歌手になった。
1956年2月19日、大佛次郎原作、37歳の川島雄三(1918年2月4日~1963年6月11日)監督の映画劇『風船』(110分)が公開された。
銀座のナイトクラブのフロアをローラースケートで滑りながら、29歳の森英恵(もり・はなえ、1926年1月8日~2022年8月11日)デザインのドレスを着た妖艶なシャンソン歌手の三木原ミキ子(北原三枝、1933年7月23日~)は、ヴェルレーヌ(Paul Verlaine、1844年3月30日~1896年1月8日)の詩に26歳の黛敏郎(1929年2月20日~1997年4月10日)が作曲したシャンソン「女と猫」 Femme et chatteを歌う。
歌の吹替えはビショップ節子(1928年~1996年8月4日)だ。
1957年7月3日、定員3千名の日比谷公会堂で、22歳の丸山明宏のリサイタルが3時間以上開かれた。
1957年12月1日、岸田国士(きしだ・くにお、1890年11月2日~1954年3月5日)原作、25歳の白坂依志夫(しらさか・よしお、1932年9月1日~2015年1月2日)脚色、33歳の増村保造(ますむら・やすぞう、1924年8月25日~1986年11月23日)監督の総天然色の映画劇『暖流』(94分)が公開された。
24歳のファッション・モデル安達和子(松平直子)のいるJOKR-TVのスタジオのセットで、22歳の丸山明宏が日本語歌詞とフランセ語歌詞のシャンソンを歌う。
1961年1月下旬、銀座のホテル日航サロンで、28歳の高柳昌行(1932年12月22日~1991年6月23日)(ギター)、21歳の菊池雅章(きくち・まさぶみ、1939年10月19日~2015年7月6日)(ピアノ)、29歳の金井英人(1931年5月17日~) (ベース)、20歳の富樫雅彦(とがし・まさひこ、1940年3月22日~2007年8月22日)(ドラムス)らが、「ジャズ・アカデミー」を発足させた。
「ジャズ・アカデミー」は毎週金曜日、銀巴里で演奏をおこなった。
1962年11月、ジャズ愛好家の33歳の外科医・内田修(1929年10月5日 ~2016年12月11日)、横浜のジャズ喫茶「ちぐさ」店主の吉田衛(よしだ・まもる、1913年~1994年)の援助により、29歳の高柳昌行、31歳の金井英人が、「ジャズ・アカデミー」を改称した「新世紀音楽研究所」を設立した。
1963年5月、21歳の山下洋輔(1942年2月26日~)(ピアノ)が、「新世紀音楽研究所」に参加した。
1963年6月26日、深夜、銀巴里で、新世紀音楽研究所により、麻薬取締法違反で実刑判決を受けた30歳の高柳昌行のためのお別れセッション、第7回ジャズセミナーがおこなわれた。
1週間前に、麻薬取締法違反による拘留から解放された23歳の富樫雅彦のための再会デッションでもあった。
この日の12曲の演奏は、33歳の内田修によりソニー製ポータブルテープレコーダー「777(スリーセブン)」で録音された。
高柳昌行、32歳の金井英人 (ベース)、29歳の稲葉国光(1934年4月29日~)(ベース)、富樫雅彦「グリーン・スリーブス」Greensleeves
23歳の菊池雅章、金井英人、富樫雅彦「ナルディス」Nardis
30歳の中牟礼貞則(なかむれ・さだのり、1933年3月15日~)(ギター)、20歳の日野皓正(ひの・てるまさ、1942年10月25日 ~)(トランペット)、稲葉国光、山崎弘(1940年~)(ドラムス)「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」If I Were A Bell
21歳の山下洋輔(ピアノ)、25歳の宇山恭平(1938年5月9日~2007年2月23日)(ギター)、金井英人、富樫雅彦「オブストラクション」Obstruction
1984年4月20日、「犀の本」、54歳の内田修著『ジャズが若かったころ』(晶文社、980円)が刊行された。
清水俊彦(1929年~2007年5月21日)「ドクター・ジャズ、内田修さんを紹介する」を収めた。
1964年6月1日、31歳の高柳昌行が刑期を終え、出所した。
1965年12月24日~26日、東京・御茶ノ水の日仏会館ホールで、劇団状況劇場の第4回公演、25歳の唐十郎(から・じゅうろう、1940年2月11日~2024年5月4日)作、32歳の堂本正樹(1933年11月1日~2019年9月23日)演出『ジョン・シルバー』がおこなわれた。
1967年2月11日、18日、25日、深夜0時半より、東京・新宿のジャズ喫茶「ピットイン」で、劇団状況劇場の第9回公演、27歳の唐十郎作、村尾国士(むらお・くにお、1942年~)演出『ジョン・シルバー(時夜無(ジヨム)銀髪風人(シルバアア)』がおこなわれた。
舞台絵師は、30歳の金子国義(1936年7月23日 ~2015年3月16日)だった。
音楽監督は35歳の相倉久人(あいくら・ひさと、1931年12月8日~2015年7月8日)、演奏は、24歳の山下洋輔、ベースの35歳の吉沢元治(1931年4月30日~1998年9月12日)、ドラムスの23歳の豊住芳三郎(とよずみ・よしさぶろう、1943年7月11日~)の山下洋輔トリオだった。
1967年10月3日、30歳の大和屋竺(やまとや・あつし、1937年6月19日~1993年1月16日)脚本・監督、32歳の港雄一(1935年3月1日~2019年6月23日)主演の映画劇『荒野のダッチワイフ』(85分)が公開された。
音楽監修は35歳の相倉久人で、作曲は25歳の山下洋輔、演奏は、ピアノの山下洋輔、テナーサックスの20歳の中村誠一(1947年3月17日~)、ドラムスの24歳の豊住芳三郎、ベースの36歳の吉沢元治の山下洋輔クァルテットだ。
1968年12月、ヤマハ音楽振興会が、軽音楽情報誌『ヤング・ヤマハ』を創刊した。
1969年9月25日、日本ビクターが、ビクター「日本のジャズ」シリーズ、第1作、29歳の富樫雅彦、27歳の高木元輝(1941年12月28日~2002年12月10日)(テナーサックス、コーンパイプ)、36歳の高柳昌行、38歳の吉沢元治(ベース、チェロ)の富樫雅彦カルテット『ウイ・ナウ・クリエイト』のLP盤(SMJX-10065、1,950円)を発売した。
1969年5月23日、東京スタジオ・センターでの録音だ。
解説は31歳の悠雅彦(ゆう・まさひこ、1937年11月1日~2023年10月14日)「新しい創造、日本のニュー・ジャズ」だ。
1969年7月18日、東京12チャンネルで、35歳の田原総一朗(1934年4月15日~)演出の『ドキュメンタリー青春』「バリケードの中のジャズ〜ゲバ学生対猛烈ピアニスト〜」が放映された。
1969年7月、早稲田大学4号館法経四号館地下のバリケードでの27歳の山下洋輔(ピアノ)、22歳の中村誠一(テナーサックス)、24歳の森山威男(もりやま・たけお、1945年1月27日~)(ドラムス)の山下洋輔トリオの演奏が紹介された。
1969年11月、ヤマハ音楽振興会が、軽音楽情報誌『ヤング・ヤマハ』を改題し、月刊『ライトミュージック』12月号で同誌を創刊した。
27歳の山下洋輔「風雲ジャズ帖」の連載が始まった。
1969年12月23日、山下洋輔が小冊子『ブルーノート研究』を自主刊行した。
1971年5月、28歳の麿赤兒(まろ・あかじ、1943年2月23日~)と23歳の立松和平(たてまつ・わへい、1947年12月15日~2010年2月8日)の麿レコードが、山下洋輔トリオ『ダンシング古事記』のLP盤(OS-1129-30L、2,000円)を発売した。
1969年7月、早稲田大学4号館での録音だ。
『ライトミュージック』1971年4月号掲載の29歳の山下洋輔「風雲ジャズ帖」Ⅴ、を、1975年10月15日発行、山下洋輔著『風雲ジャズ帖』(音楽之友社、1,600円)より引用する(48~49頁)。
1970年1月10日、日本コロムビアが「コロムビア・タクト・ジャズ・シリーズ」、佐藤充彦トリオ+1、山下洋輔トリオ、松本英彦クワルテット、本田竹彦トリオ、峰厚介クインテット、猪俣猛クインテット『ジャズ・イン・トーキョー'69』のLP2枚組(PSS-10011-12、3,000円)を発売した。
1969年8月30日、日比谷野外音楽堂での録音だ。
1970年6月、日本コロムビアが、山下洋輔トリオ「ミナのセカンド・テーマ(1)」、「ミナのセカンド・テーマ(1)」、のシングル盤(YSS-10049-CT、600円)を発売した。
『ジャズ・イン・トーキョー'69』からのシングルカットだ。
解説は32歳の悠雅彦だ。
1969年11月25日、テイチクレコードが、「日本ジャズメン・シリーズ」、山下洋輔トリオ『コンサート・イン・ニュー・ジャズ』のLP盤(UP-2011、1,800円)を発売した。
1969年9月21日、東京サンケイ・ホールでの録音だ。
解説は37歳の相倉久人だ。
1970年1月、ビクター音楽産業が、ビクター「日本のジャズ」シリーズ、山下洋輔トリオ『ミナのセカンド・テーマ』のLP盤(SMJX-10075、1,950円)を発売した。
1969年10月14日、日本ビクター第2スタジオでの録音だ。
監修・解説は51歳の油井正一(ゆい・しょういち、1918年8月15日~1998年6月8日)だ。
1970年6月、日本ビクターが、ビクター「日本のジャズ」シリーズ、山下洋輔トリオ『木喰(もくじき)』のLP盤(SMJX-10088、1,950円)を発売した。
1970年1月14日、日本ビクター第2スタジオでの録音だ。
監修・解説は52歳の油井正一だ。
1970年6月、29歳の藤井武(1941年~)、建築家の佐賀和光(1939年~1999年)、レストラン、ガソリンスタンドを経営する実業家の魚津佳也が、スリー・ブラインド・マイス・レコード(TBM)を設立した。
1971年2月7日発売の月刊文芸誌『新潮』3月号、「第三回 新潮新人賞候補作品特集」に、1969年7月、早稲田大学4号館での山下洋輔トリオの演奏をモデルにした、23歳の立松和平「今も時だ」が掲載された。
1971年11月発売の『ライトミュージック』12月号で、29歳の山下洋輔「風雲ジャズ帖」の連載が終わった。
1972年3月、スリー・ブラインド・マイスが、『幻の〝銀巴里セッション〟』のLP盤(TBM-9、2,000円)を発売した。
1963年6月26日の録音から4曲を収めた。
1973年6月15日、神奈川県川崎市生田の44歳の粟津潔(あわづ・きよし、1929年2月19日~2009年4月28日)邸で、40歳の八木正生(やぎ・まさお、1932年11月14日~1991年3月4日)の企画の子供の音楽教育向けのレコードのために、消防夫のヘルメットをかぶった31歳の山下洋輔が燃えるグランドピアノを弾く様子が16ミリ・フィルムで撮影され、粟津潔の個人映画『ピアノ炎上』(12分)の素材となった。
『ライトミュージック』1973年7月号(250円)から、31歳の山下洋輔「風雲ジャズ帖・番外編」の連載が始まった。
『ライトミュージック』1973年8月号(250円)、31歳の山下洋輔「風雲ジャズ帖・番外編」「生田の丘にピアノは燃えた」を、1976年5月30日発行、山下洋輔著『ピアニストを笑え!』(晶文社、1,200円)、「コンバット・ツァーPARTⅠ・国内篇」「生田の丘にピアノは燃えた」より引用する(93頁)。
1974年5月11日、東京・渋谷のパルコの「西武劇場」で、西武劇場、粟津デザイン研究室主催「粟津潔映像個展」が催された。
粟津の解説付きで以下の作品が上映された。
安部公房(あべ・こうぼう、1924年3月7日~1993年1月22日)原作・脚本、勅使河原宏 (てしがはら・ひろし、1927年1月28日~2001年4月14日)監督、井川比佐志(いがわ・ひさし、1936年11月17日~)主演の映画『おとし穴』(97分。公開:1962年7月1日)予告篇(約3分)
小泉八雲(こいずみ・やくも、1850年6月27日~1904年9月26日)原作、水木洋子(1910年8月25日~2003年4月8日)脚本、小林正樹(1916年2月14日~ 1996年10月4日)監督の映画『怪談』(183分。公開:1964年12月29日)タイトル・デザイン
安部公房原作・脚本、勅使川原宏監督、岡田英次(1920年6月13日~1995年9月14日)、岸田今日子(1930年4月29日~2006年12月17日)主演の映画『砂の女』(147分)タイトル・デザイン
プロジェクション『コンポジション』
『インベーダー』(1968年)
関根弘(1920年1月31日~1994年8月3日)の長篇叙事詩「阿部定」と阿部定(1905年5月28日~?)の肖像写真に基づく『阿部定』(22分。1969年)
『風流』(15分。1972年)
山下洋輔出演『ピアノ炎上』(12分。1973年)
寺山修司(1935年12月10日~1983年5月4日)の短歌に基づく短歌映像『田園に死す』(13分。1974年)
種田山頭火(たねだ・さんとうか、1882年12月3日~1940年10月11日)の『種田山頭火句集』に基づく俳句映像『ランドスケープ』(16分。1974年)
柳田国男(やなぎた ・にお、1875年7月31日~1962年8月8日)『山の人生』より『二つの出来事』(1974年)
柳田国男『遠野物語』より『幻想幻野』(30分。1974年)
『粟津潔・デザイン図絵アンソロジー』(1974年)
1974年7月1日、予約販売制、全巻先渡し、無料配送、分割払いの出版社「ほるぷ出版」が、「ほるぷ教育体系・音楽・小学生編」、ほるぷ教育開発研究所企画、42歳の林光(はやし・ひかる、1931年10月22日~2012年1月5日)、43歳の山住正己(やまずみ・まさみ、1931年1月30日~2003年2月1日)、30歳の佐藤信(さとう・まこと、1943年8月23日~)、45歳の粟津潔編『おんがくぐーん!』(35,000円)を刊行した。
42歳の林光、30歳の佐藤信、39歳の田川律(1935年3月15日~2023年1月28日)企画、本間明録音『音楽の学校』、林光作品集『音楽の劇場』の子供用音楽教材の書籍『おんがくのほん』、『うたのほん』、『解説のほん』とLPレコード11枚セットだった。
『おんがくのほん』もくじ
プロローグ
1 佐藤信(文)、31歳の湯村輝彦(1942年11月1日~)(絵)「ベートーヴェンという名のネコ」
2 田川律(文)、44歳の田中一光(たなか・いっこう、1930年1月13日~2002年1月10日)+湯村輝彦(構成・絵)「聞ける音・聞けない音」
3 粟津潔(文・絵)「リズムがいっぱい」
4 42歳の今江祥智(いまえ・よしとも、1932年1月15日~2015年3月20日)(お話)、43歳の井上洋介(1931年3月7日~2016年2月3日)(絵)「たたく楽器」
5 42歳の福田繁雄(1932年2月4日~2009年1月11日)(絵)「かいだん物語」
6 加木征+郁(構成・絵)「音を見よう」
7 29歳の落合恵子(1945年1月15日~)(文)、30歳の矢吹申彦(やぶき・のぶひこ、1944年4月7日~2022年10月28日)(絵)「わんぱく四人組・ビートルズ」
8 今江祥智(お話)、46歳の長新太(ちょう ・しんた、1927年9月24日~2005年6月25日)、佐藤利宏(絵)「吹く楽器」
9 佐藤信(文)、41歳の中村宏(1932年9月20日~)(絵)「ぼくはピアノ」
10 38歳の和田誠(1936年4月10日~2019年10月7日)(文・絵)「チンチチトンカン・ソソソドミ」
11 田川律(文)、27歳の佐々木マキ(1946年10月18日~)(絵)「自由・ジャズ」
12 34歳の田島征三(1940年1月9日~)(文・絵)「声・声・声」
13 佐藤信(文)、国東照幸(絵)「音と遊ぼう」
14 今江祥智(お話)、45歳の池田龍雄(1928年8月15日~2020年11月30日)(絵)「糸をはった楽器」
15 39歳の筒井康隆(1934年9月24日~)(文)、37歳の赤瀬川原平(1937年3月27日~2014年10月26日)(絵)「レコード図絵」
16 54歳の山下菊二(1919年10月8日~1986年11月23日)(文・絵)「わたしと鳥と音楽」
17 42歳の高橋英郎(たかはし・ひでお、1931年10月9日~2014年3月18日)(文)、32歳のつげ忠男(1941年7月2日~)(絵)「バルトークの生涯」
18 田川律(文)、井上洋介(絵)「音色のくみあわせ」
19 24歳の中川五郎(1949年7月25日~)+田川律(文)、37歳の横尾忠則(1936年6月27日~)(構成)「アメリカのうた」
20 「楽譜の展覧会」
21 37歳の平田弘史(ひらた・ひろし、1937年2月9日~2021年12月11日)(文・絵)「ギター伝」
22 33歳の平岡正明(1941年1月31日~2009年7月9日)(文)、和田誠(絵)「がまぐちサッチモ ラッパ吹き」
23 中村宏(文・絵)「しくみをのぞく」
エピローグ
LPレコード『音楽の学校7:林光作品集』(KILS1007)のSide Aに、八木正生構成、佐藤信詩、八木正生、山下洋輔、霧生トシ子(1938年9月22日~)(ピアノ)、石井くに子(1949年1月30日~)(詩の朗読)「ぼく海の底で燃えているものを見たよ:ピアノという楽器」を収めた。
山下が燃えるピアノを弾いた演奏を収めた。
1974年9月4日、1時半、6時半、東京・新宿の紀伊國屋本店4階の紀伊國屋ホールで、フィルムアート社主催の個人映画上映会「粟津潔・映像とポスターの世界」が催された。
『阿部定』、『風流』、『短歌映像・田園に死す』、『ピアノ炎上』、『俳句映画・ランドスケープ』、『デザイン図絵アンソロジー』、『幻想幻野』が上映され、45歳の粟津の講演がおこなわれた。
1977年7月20日、清水俊彦、36歳の平岡正明、35歳の奥成達(おくなり・たつ、1942年6月30日~2015年8月16日)著『私家版・日本ジャズ伝:モカンボセッションから冷し中華祭りまで』(エイプリル出版、1,200円)が刊行された。
1984年12月8日(土)~16日(日)、東京・原宿のラフォーレミュージアム原宿で開催された「粟津潔展」で、『ピアノ炎上』、『風流』、『阿部定』がビデオ上映された。
「トーク・タイム」として連夜開催された、榎本了壱(えのもと・りょういち、1947年~)司会、55歳の粟津潔の対談のうち、13日(木)の42歳の山下洋輔との対談を、1985年10月27日発行、粟津潔著『粟津潔・8夜対談集』(文化出版局、1,700円)、「第1夜・山下洋輔/六〇年代のこと・ピアノのこと」より引用する(14~15頁)。
1978年5月20日、46歳の相倉久人、37歳の平岡正明、35歳の奥成達、中沢まゆみ(1949年)、ジャムライス編著『山下洋輔の世界』(エイプリル・ミュージック、1,500円)が刊行された。
1978年8月15日、立松和平著『今も時だ』(国文社、1,000円)が刊行された。
1979年4月25日、「集英社文庫」、日本ペンクラブ編「日本名作シリーズ」2、46歳の五木寛之(いつき・ひろゆき、1932年9月30日~)選『音楽小説名作選』(集英社、360円)が刊行された。
立松和平「今も時だ」を収めた。
対談解説、63歳の巖谷大四(いわや・だいし、1915年12月30日~2006年9月6日)、五木寛之「小説の音楽性」を収めた。
1982年5月15日、「徳間文庫」、山下洋輔著『風雲ジャズ帖』(徳間書店、380円)が刊行された。
解説は50歳の相倉久人「山下洋輔一卵性双生児説?」だ。
1982年7月7日発売の文芸誌『すばる(昴)』(集英社)8月号(500円)に、34歳の立松和平の半自伝的な長篇小説『路上の愛』(380円)が掲載された。
1982年12月10日、立松和平著『蜜月』(集英社、980円)が刊行された。
『路上の愛』を改題したものだ。
1984年1月28日、東京・有楽町の有楽シネマで、35歳の立松和平原作・脚本、橋浦方人(はしうら・ほうじん、1944年~ )監督の映画劇『蜜月』(113分)が公開された。
撮影は1983年春頃におこなわれた。
音楽41歳の山下洋輔、演奏は、ピアノの山下洋輔、ドラムスの35歳の小山彰太(1947年10月25日~)、テナーサックスの43歳の武田和命(たけだ・かずのり、1939年11月14日~1989年8月18日)、アルトサックスの33歳の林栄一(1950年1月1日~)だ。
40歳の麿赤児が、冒頭の築地市場の場面で、22歳の佐藤浩一(1960年12月10日~)が演じる主人公の早稲田大学学生の作家志望の文学青年・村上哲明に説教する仲買いの社長を演じた。
哲明が働く、麿赤児をモデルにした、26歳の益岡徹(ますおか・とおる、1956年8月23日~)が演じる好天(こうてん)の「好天プロダクション」は、10年前の早稲田大学バリケードでの糸賀祥介トリオの早稲田での演奏の録音を自主制作のLPレコードとして発売する。
文芸誌『早稲田文芸』の編集人であり小説の大家でもある早稲田大学の水本先生を53歳の平岡篤頼(ひらおか・とくよし、1929年5月2日~2005年5月18日)が演じた。
哲明と、21歳の中村久美(1961年5月30日~)が演じる『早稲田文芸』編集室の星みつ子が乗るバスの乗客の役で立松和平が出演している。
1969年の早稲田大学バリケードでの山下洋輔をモデルにした糸賀祥介を、生活向上委員会の34歳のピアノ奏者の原田依幸(1948年7月24日~)が演じた。ドラムスの川崎正二を安倍正隆、テナーサックスの長沢久男を藤川義明が演じた。
新宿ピット・インでの麿赤児の「大駱駝館」をモデルにした好天の暗黒舞踏団「好天舞踏団」と糸賀祥介のジョイントコンサートの場面では、麿赤児が舞踏指導をおこない、生活向上委員会が演奏し、ベース奏者を31歳の山崎弘一(1951年10月2日~)、トロンボーン奏者を35歳の板谷博(1947年9月29日~1996年7月)が演じた。
山下洋輔が立ち見の客の一人として出演している。
1988年2月25日、「集英社文庫」、立松和平著『蜜月』(集英社、320円)が刊行された。
解説は37歳の友川かずき(1950年2月16日~)だ。
1990年12月29日、「銀巴里」が閉店した。
2006年4月、スリー・ブラインド・マイス・レコードが倒産した。
2008年3月8日、石川県志賀町の海岸で、66歳の山下洋輔が35年ぶりに、燃えるピアノで演奏した。
2022年7月12日、早稲田大学大隈記念講堂で、TOKYO FM/早稲田大学国際文学館 共催「村上春樹presents 山下洋輔トリオ 再乱入ライブ」が催された。
73歳の村上春樹(1949年1月12日~)、ピアノの80歳の山下洋輔、テナーサックスの75歳の中村誠一、ドラムスの77歳の森山威男、42歳の坂本美雨(さかもと・みう、1980年5月1日~)、35歳の小川哲(おがわ・さとし、1986年12月25日~)、66歳の都築響一(つづき・きょういち、1956年1月31日~)、59歳の菊地成孔(きくち・なるよし、1963年6月14日~)が出演した。
2023年7月17日、TOKYO FM「村上RADIO」が、『村上春樹 presents 山下洋輔トリオ再乱入ライブ』の完全限定生産盤LP盤(MURLP-1001)+CD盤(税込み9,900円)を発売した。
村上春樹の書き下ろし豪華ライナーノーツを含む16頁冊子付き。
初回盤にはボーナスCD「時の声を聴け~村上春樹 presents 山下洋輔トリオ再乱入ライブ特別付録」が付いた。
村上春樹×小川哲 「再乱入ライブ」 直前インタビュー(2022年6月22日収録)(13分27秒)
山下洋輔 「再乱入ライブ」 直前インタビュー (2022年6月24日収録)(3分21秒)
89歳の田原総一朗 「乱入インタビュー」(2022年6月23日収録)(2分16秒)
村上春樹 Presents 山下洋輔トリオ再乱入ライブステージトーク トーク(村上春樹、 坂本美雨、 小川哲、 都築響一、 菊地成孔) (2022年7月12日収録) (8分19秒)
村上春樹 Presents 山下洋輔トリオ再乱入ライブ~アフタートーク (村上春樹、山下洋輔、司会: 坂本美雨) (2022年7月12日収録)(7分26秒)
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