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エストニアに想いを馳せる冬

冬が来る度に思い出す、エストニアでの長い冬。

2016年の夏から2017年の夏まで、私はエストニアに留学しタルトゥという街で暮らしていた。
エストニアはバルト三国で最も北に位置し、東にロシア、南にラトビア、そして北はバルト海に挟まれている人口130万人の国である。
私が住んでいたタルトゥの街はエストニアの第二都市で、首都のタリンからはバスで2時間半ほどの南東に位置している。
第二都市といっても、小さな可愛いまちで、買い物をするにもカフェに行くにも、公園に散歩に行くのも、大学に通うのも徒歩で行けるコンパクトな街だ。

タルトゥにはエストニア最古の大学であるタルトゥ大学があり、そのためエストニアの学問・文化の中心都市と言われている。
学生都市というだけであって、タルトゥに住んでいる10万人の5分の1が学生で、小さくも活気のある街だった。

タルトゥの中心にある広場。旧市街を通って大学に通う。

私はこの小さな街で1年を過ごした。
痛いくらい眩しい太陽に照らされた8月、1人この街に降り立った。重たいスーツケースを2つと大きな黒いボストンバックを抱えて。
バス乗り場から寮までの道を1人で重い荷物を抱えて歩いた。当時現地のSIMカードも買っていない状態だったと思うが、どうにか大学の寮まで1人で辿り着いた。

それから9月、10月と夏の終わりと秋を同時に感じながら季節があっという間に過ぎていった。夏の暑さは残りながら、木々の葉っぱはすっかり紅葉して、大きな星のような形の葉っぱが道路いっぱいに落ちているのを見た。

大学の寮の前にはタルトゥで一番大きいエマユギ川があって、その横には小さな森のような公園や遊歩道があった。白樺の木の小さな森。私の大好きな木。
部屋の中にいて考えが煮詰まった時によくそこを散歩をしていた。
まだ雪が降る前の秋の頃は、冷たい風を浴びながらベンチに座って読書をするのも好きだった。

映画館があったり、ショッピングモールがあったりするが、日本ほど幅広い種類の娯楽がない。
遊びといえば、公園や小高い丘の上まで散歩をしたり、暖かい季節は川辺の芝生でピクニックをしたり、友人宅でホームパーティーをしたり、本を読んだり、そういうことばかりだった。エストニア語は少し勉強してはいたけれど、日常のあちこちに私の知らない言葉で溢れていた。

不思議なことに、日が経つにつれ、私の中から1枚1枚余分だった何かが剥がれ落ちて、シンプルに、本当に必要な大切なものだけが残っていく感覚。周りのモノも思考も、クリアになっていく感覚があった。
冷たい空気の中で感覚が研ぎ澄まされていくような。
大事な本を何度も読んで、そして何かに取り憑かれたように日々の気持ちやこれまでに考え付かなかったアイデアや、本当に色々なことをノートに毎日毎日書いていた。

冬の間は、白とグレーの世界だった。
ほとんど出ない太陽の光を探しているかのように、いつか陽の光が出た時にめいいっぱいに受け取りたいという願いが反映されているかのように、学生寮の小さな部屋には大きすぎる程の窓だった。

白い額縁の絵画のようなその窓は色々な景色を見せてくれた。

空はグレーがかったような色、真ん中には木々の黒、そして一番下に雪の白。冬の景色はエストニアの国旗そのものだった。
この冬の景色からインスピレーションを受けたのかなと思うくらい、エストニアの国旗にそっくりだった。

大学での授業が終わり帰るところ

エストニアの冬は長い。その年は10月の終わりに雪が降り、それから長い冬が始まった。数ヶ月間、ほとんど青い空を見なかった。日が昇るのは9時頃、そして16時には日が沈む。とはいっても空は厚い雲で覆われていて太陽は隠れている。冬の重たく暗いグレーの空の上にあの綺麗なブルーの空があるなんて想像できなかった。太陽の光が恋しいと思ったことなんてそれまでの人生であっただろうか?日本では年中日焼け止めを塗って、夏は日傘をさして、出来る限り太陽を避けていた。
こちらの人は、太陽が出ない冬はビタミンD不足になるため、ビタミンDのサプリを飲むらしい。
冬の間も私は飽きずに散歩をよくしていた。霜が魔法のように全てを輝かせてみせた。公園のベンチや紅葉した落ち葉も、雪の結晶模様の薄いレースがかかったように白く着飾っていた。
そんな風にして小さなことに目を凝らしながら、時には1人で時には友達と小さな発見を共有しながら冬の散歩を楽しんでいた。

霜で着飾った通学路のベンチ。

4月に入ると春が来た、過去形ではなく、春が来ている、とした方が合っている気がする。春が近づいているのに気づくあの感覚に名前をつけたい。
エストニアで季節が移ろいで行く様子を五感で感じた経験はとても面白かった。

春になって太陽が出てくる。
シンプルだが、当時の私にとってはとてつもないパワーワード。青い空に太陽が出ている!
やっとやっと長い冬が終わって、春が近づいてきた時の喜びは、あの冬を経験しないと中々味わえない。日本でも東北や北海道の寒い北の方の地域では同じ感覚かもしれないが、私の地元の九州や東京の春とはまた違う春の感覚。

太陽が出てくるといつもの通学路の道端に小さな川ができる。
溶けた雪が作る小さな川、太陽に照らされた雪がキラキラと宝石のように光って、
川もまるで心地良い音楽を奏でているようにサラサラとゆったりと流れる。
そんな流れる雪解け水を横目に歩く大学までの道が好きだった。
雪が少しずつ溶けていくのと同じように長かった冬もゆっくりと溶けて
待ちに待った春がやってくるのだ。

春。青い空。雪の下から目を出す新芽。柔らかなヴェールがかかったような陽の光。この世界にはこんなにも鮮やかな色で溢れているのかと涙が出るくらい感動した。まさに頭に思い描く「春」とは、こういうことだ。

色に溢れる街角の花屋。

太陽が出ないグレーで溢れた終わらない冬に耐えきれず、スペインのバルセロナに一瞬逃げたりもしたけれど、今となっては、そんなエストニアの冬を恋しく思うことがある。

そして長い長い冬は、青い春と夏の緑への憧憬に繋がる。
青々とした緑でいっぱいの5月、太陽の恵みに感謝する夏至祭のある6月は、全てがキラキラと輝いていて魔法のような時間だった。
そんな時にでさえ、あの暗くて長い冬のことを想う瞬間がある。その季に感じる季節の風を心地良いと思うのと同時に、他の季節のことを考える。無いものねだり。エストニアの冬を思い出すことは、エストニアの春と夏と秋に想いを馳せることでもある。

緑が輝く夏。寮の前の小さな森。

また冬が巡ってきた。パリのキリッとした冷たい空気の中にエストニアの冬を思いだす。
パリは冬でも忙しく、キラキラと街が活きている。
タルトゥの街は変わっただろうか。あのしんと神秘的に静まりかえった白とグレーの冬を想う。

何度も通った通学路。冬。

現在私はフランスに住んでおります。
Youtubeでパリ生活を撮ったゆるめのVlogをあげているのでもし興味があればYoutubeも是非見ていただけると嬉しいです♡

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