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漢詩和訳の世界 | エッセイ・本紹介

「漢詩」と聞いて、なにを思い浮かべますか?

私は、中学校の国語の授業や大学入試などで扱われた漢文を思い出します。
難読漢字ばかりで、レ点などの訓読文から書き下し文にする作業で終わり。直訳を読んでもなにを言っているかよくわからないけれど、なんとなく漢字から意味を繋いで内容を理解していた気でいました。

「詩」であるにもかかわらず、リズム感や言葉の繰り返し、韻や広がっていく情景などの「詩の良さ」についてはほとんど触れられない「漢詩」。

本当はもっとおもしろい文芸なんじゃないのかなあ。長く続いている文化だからこそ「詩」としての表現を、翻訳でも生かせないものなんだろうか…。

気になったので、日本における詩の変遷から漢詩和訳の事例まで、簡単に調べてみました

日本における「詩」の変遷

漢詩

中国で孔子が編纂した経典『詩経』を起点とし、3000年以上の歴史を持つ「漢詩」
日本では奈良時代から親しまれており、日本における最初の詩は実はこの「漢詩」といわれています。

軽快な気持ちがあふれている漢詩ですね。
意図せず反逆罪に問われた後に恩赦の知らせが入り、喜び勇んで帰る際の詩だそうです。書き下し文や訳でも意味は伝わりますが、それ自体が「詩」かというと少し微妙だなと思ってしまいました。ストーリーは分かるのですが、それ以上でも以下でもない感じ…。

近代詩

詩の概念は和歌、俳諧、川柳へと変化し、西洋文化が流入した明治時代以降に「新しい文体の詩」として七五調の音数律をルールとした「近代詩」が確立されていきました。
中原中也、金子みすゞ、宮沢賢治、井伏鱒二、島崎藤村などが有名です。

いまから100年ほど前、島崎藤村が25歳のころに書いた「初恋」は非常に有名な作品ですね。自由恋愛がまだ珍しかったとされる明治29年、多くの人の心を動かしたといわれます。

現代詩

現在、一般的に「詩」とされているものは基本的に「現代詩」を指します。

現代詩は、二十世紀初めごろから書かれた詩をいいます。日本では特に第二次大戦以後に書かれた詩をいい、近代詩の形式主義や耽美化を否定し、哲学や性や暴力などそれまでのタブーに切り込む私的性の強いものが多くあります。
谷川俊太郎、吉野弘、高田敏子、茨木のり子などが有名です。

こちらもとても有名な詩。太平洋戦争下で少女時代を過ごした茨木のり子の48歳のときの詩です。叱るようでいて励ますような、厳しさと温かさを同時に感じます。

さて、漢詩から和歌、俳諧、近代詩、現代詩というように変化を重ねた日本の「詩」。
では、漢詩を翻訳して詩として楽しもうという流れはなかったのでしょうか?

漢詩和訳

調べてみると、近現代において漢詩を「詩」として和訳する、いわゆる「漢詩和訳」は近現代において盛んな時期がありました。
中でも有名な訳者が、近代詩人としても名の上がった井伏鱒二です。

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

このフレーズをご存知の方は多いのではないでしょうか。
太宰治の『グッドバイ』でもあつかわれているこの詩は、もとは于武陵の漢詩『勧酒』です。

井伏鱒二の和訳、直訳と全然違いますね!
リズム感、表記、ことばの使い回しがぐっと「詩」としての良さを引き上げているように思います。
「金色の杯」など、もとの詩にあるものが出ていないのに、目の前にありありと情景が浮かぶような詩となっていますね。この和訳なら、「詩」としてしみじみと良さを感じられます。

このような漢詩和訳は「翻案訳」(「半創作訳」「自由訳」)とも呼ばれます。逐語訳的、かつ直訳的な訳法である「現代語訳」と比べて、より原詩の表現に迫ろうとした訳法です。

春暁

ほかにも、同じ漢詩を複数人が和訳している例もあります。
孟浩然の五言絶句である『春暁』の訳は、それぞれ着目している箇所や表現が異なります。井伏鱒二、佐藤一英、土岐善麿、松下緑それぞれの訳を紹介します。

原詩と直訳
4名の漢詩和訳

もとは同じ漢詩なのに、人によって訳のテイストが全然違いますね。
ひらがなカタカナ漢字表記、語音や字数など、視覚も意味もリズム感もあいまって、どれも「詩」としての良さが強く出ているように思います。
訳者によってもとの詩の解釈も微妙に異なり、表現するにあたって自身の様子が中心であったり、最初の句を流して庭の様子を中心にしたりなどの違いがあるのもおもしろいところ。

漢詩和訳、いいですね…!
近代の和訳であっても、直訳よりぐっと日本語の良さが出ていて、もとの漢詩本来の空気感や意味合いを読み取れます。楽しい…!

現代の人で、漢詩の和訳をしている方っているのでしょうか?

本紹介:小津夜景『いつかたこぶねになる日』

調べてみると、小津夜景さんという南仏・ニースに在住の俳人の、漢詩と自らの訳を日々の暮らしに織り交ぜたエッセイ集を発見しました。

こちらは2020年に素粒社から出版され、2023年11月に新潮社から文庫本として刊行されています。

今日、自転車を漕ぎながら、詩っていいものだな、と思いました。
(中略)そんないいところのある詩の世界から漢詩ばかりをみつくろい、その黴臭いイメージをさっと片手でぬぐって、業界のしきたりを気にせず、専門知識にもこだわらない、わたし流のつきあい方を一冊にまとめたのが、いまあなたの手にしている本です。

「はじめに」より/小津夜景『いつかたこぶねになる日』

生活・社会・芸術ないし思想・人生の4つのジャンルがあり、小津さんの日常や思い出に沿って中国や日本の詩人の漢詩が翻訳されています。

原詩から大きく逸れることなく忠実に、もとの詩の意味合いや雰囲気を壊さず柔らかな現代詩にしてくれています。

曲調「幸福が近づく」 ソリチュード  李清照
風が鎮まり 散った花は深々と
御簾の向こうで紅を抱き 雪のようにつもっている
永遠(とわ)におぼえている 海棠が咲いたあとの景色を
それはまさに 春の嘆きそのものだった

酒は尽き 歌は止み 翡翠の杯は空となり
ランプの青いともし火が 心もとなくゆれている
ぼんやり夢をみていても 秘めた怨みは抑えがたい
そこへひと声 ほととぎすが啼いた

詞牌「好事近」 寂寞
風定落花深
簾外擁紅堆雪
長記海棠開後
正傷春時節

酒闌歌罷玉尊空
青缸暗明滅
魂夢不堪幽怨
更一声啼鴂

「翻訳とクラブアップル」より/『いつかたこぶねになる日』

「漢詩」って聞くと、お堅いイメージで少し警戒してしまうけれど。
こうして日常の中に落とし込んで、説明とともに優しいことばで和訳してくれていると、気軽に楽しめて不思議ですね。

以下、素粒社のnoteで試し読みが公開されているので読んでみてください。

漢詩和訳への挑戦

さて、詩の変遷や漢詩和訳の魅力に触れたところで。

以下の『雨夜』という漢詩、みなさんならどのように「詩」として和訳をしますか?

院静聞疏雨 林高納遠風
秋声連蟋蟀 寒色上梧桐
短榻孤燈里 清笳万井中
天涯未帰客 此夜憶江東

中庭は静かで雨もまばらに聞こえ、森は高く遠くの風を受け止める
秋声はこおろぎの声に連なり、寒色は梧桐を上っていく
短榻にはひとつだけあかりが灯り、村からは澄んだ胡笳の音が聞こえる
果てしない遠くを旅して帰っておらず、この夜は江東の思い出がよみがえる

何景明『雨夜』

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