第十二話「受験妨害(中学校の思い出)」長編小説「15th-逆さまの悪魔-」
琴音が中学生だった頃、受験期のことである。公立高校の前期入試で琴音は第一志望の学校に落ちてしまった。その学校に受かるかどうかは教師も五分五分だろうと言っていたくらいだったので、そこまで落胆もせず諦められた。後期入試では確実に受かる別の公立高校を受験する予定だった。それが今通っているN高校である。
しかし琴音にはN高校よりも行きたい学校があった。
市内では公立高校の後期入試の前にいくつか私立高校の入試が予定されていた。当時琴音はそのうちの一つ、C高校への合格を目指していた。C高校は最近改築工事が行われ、校舎が新しく近代的な造りをしており、設備も充実している。制服も地域で一番おしゃれなデザインであるという評判だった。琴音はこのC高校での生活を思い描いていた。第一志望の公立高校に受かるとは思っていなかったので、本人の中では受験シーズンの最初からC高校が第一志望といっても良かった。
ところで、同じ吹奏楽部で同パートだった例の豊子は前期入試で公立の進学校に合格していた。
その豊子は自分の入試が終わってからとある男子と交際し始め、程なくして別れてしまった。相手の男子の方から別れを切り出されたのだと言う。豊子は、自分はその男子を一ミリも好きではなくて仕方なく付き合っていたのに、向こうから別れを切り出されたらまるで自分が振られたみたいだ。周りにそのように思われるのは名誉に傷がつくと言って琴音に電話で愚痴を言いつつ相談してきた。電話は毎晩長い間続き、琴音は勉強時間どころか睡眠時間まで削られていた。
どうすれば不名誉を免れるか琴音が何を提案しても「だって」「そうじゃなくて」「違うの」と全て拒否され、かといって何も言わなければ「私どうしたらいいの?」と涙ぐんだ声で言われてしまい、また別のことを提案して、それも拒否されて、の繰り返しで埒が明かなかった。
「勉強しなければならないから」とか「寝ないと親に怒られるから」と言っても「そんなことが私より大事なの?」「親に怒られるからって私を見捨てるの?」となじられて終わりにさせてもらえない。「受験が迫っているから後で考えさせて」と嘆願しても「受験なんかが私より大事なの?」と返されてしまう。どんな手も通用しない。
豊子からの電話は毎晩欠かさず、突然掛かってきた。夕飯の時間や塾にいるときもお構いなしにスマートフォンを鳴らされ、すぐに出ないとわめかれた。
琴音が通話中こっそりと参考書や単語集に目をやっていると、豊子はまるで近くで見ているかのように即それを見抜いて
「別のことしてたでしょ! ひどい!」
と怒鳴る。そのせいで結局通話中は何もできない。これによって琴音は試験の直前に勉強に当てるはずだった時間を悉く失った。
C高校の入試の前日はとうとう朝まで解放してもらえなかった。ベッドに入るはずの時間をいくら過ぎても終わりにならない通話に琴音は困り果てていた。そのうちカーテンの向こうが明るくなりだした。琴音は説得に心を砕いた。
「明日入試なんだよ。寝ないと試験受けられないよ。話は夜にいくらでも聞くからさ、今日は寝かせてよ。お願い。私C高校はどうしても諦めたくないの」
それでも豊子は通話を終わりにすることを許してくれなかった。
「C高校なんて誰でも受かるよ。私より受験なんかを優先するの? 琴音ちゃんは鬼なの? 悪魔なの? 人の心がないの?」
いつにも増して辛辣になった豊子の言葉に琴音は驚いた。そのまま通話は続行された。
とうとう目覚まし時計のアラームが鳴った。一睡もできなかった琴音は絶望した。
「もう支度して試験行かなきゃいけないから、またね」
「そんなの行かなくていいから私の話聞いてよ」
豊子の返答に、この子は私に対して、入試を受けさせてくれるだけの優しさもないんだ、と心底失望した琴音は、後でどれほど怒られるか想像しながらも仕方なくスマートフォンの電源を切った。眠っていないからか朝食は全くおいしくなかった。――思い返せばこの頃は朝食にトーストなんて食べていたのだ。驚くべきことだ――
記憶が整理されず騒がしい頭を抱えて受験会場に向かった。眠くて目の周りが痛んだ。頭痛もした。それでも試験の最初の科目である国語の時間は意志の力で最後まで何とか眠らず耐えて解答用紙を埋めた。だが座っていると蓋が開いたかのようにだんだん眠気が強くなっていった。重い眠気から逃れられず、次の数学では問題文を読んでも頭が回らず考えられなくなり、眼球が揺れ出して一点を見ているのが困難になった。そのうち目を開けているのがどうしても不可能になった。数秒に一度頭が真下に落ちるのが、肉体的な恐怖と状況的な恐怖とで二重に恐ろしくてたまらなかった。
琴音はとうとう睡魔に負け、一問も回答できないまま意識を失った。目を覚ましたのは解答用紙が回収されるときだった。名前しか書かれていない解答用紙が離れていくのを、希望が失われるということを思い知りながら見送った。挽回は可能なのか必死に考えた。ところが次の英語の時間も、その次の理科の時間も起きていられなかった。社会の試験の残り半分の時刻になって琴音はようやくまともに考えられる状態になり、書けるだけ解答を書いた。だが焼け石に水なことは明らかだった。
夢は破れた。琴音は魂が抜けたような顔をして帰ってきて、そのまま力尽き、夜まで長い間眠った。目が覚めて、痛む頭をさすりながらスマートフォンの電源を入れると、豊子からすぐに連絡が来た。
「電源切ってたでしょ! 最低! 見損なった!」
と騒ぐ豊子の声を琴音は力なく聞いた。仕方なく一晩中謝り続けた。後で聞いたところによると、豊子は周囲に、琴音が勉強で分からないところを自分が朝まで電話で教えていたと話していたらしい。
当然C高校には受からなかった。まともに受けられていたら、合格していた気がしてならない。今通っているN高校の入試の前は何日間もほとんどスマートフォンの電源を切っていたため、豊子からの電話攻撃に悩まされることなく、当日も寝ないで試験を受けられた。だから合格できたのだろう。
琴音は今の現実を未だに受け入れられていない。C高校への憧れは悲しく残っている。もうどうやっても行きたかった学校へは通えない。本当なら今頃あのおしゃれな制服を着て、綺麗な校舎に通っていたかもしれないと何度も思い浮かべる。その度に悔しい気持ちになる。
私をこういう惨めな気持ちにさせることが豊子の目的だったのだろう、と琴音は理解していた。本当は今のN高校に入るのも妨害したかったはずだ。それは叶わなかったが、一番行きたかった学校に落第させたのは大きな成果だと喜んだはずだ。
その豊子には、高校入学後、
——N高校に通っている子と仲良くしてたら周りの子に笑われちゃうからもう連絡してこないでね——
と絶交された。私のことはもう用済みなのだろう、と琴音は虚しくアプリを閉じた。
豊子の欲求を満足させるために、自分は一生取り戻せないものを失ってしまった。あまりにも割が合わなくて、琴音は思い出す度に気が遠くなりそうだった。
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