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第六話「歪んでしまった関係」長編小説「15th-逆さまの悪魔-」

 二週間ほどが経過した。季節は初夏まっさかりで日差しは暑く、既に幼い夏の雰囲気を呈していた。今年も真夏は相当暑くなるだろうと予想された。体調を崩しやすい時期の到来でもあった。

 琴音はあれからずっと食事を拒否していた。食欲がないと言ってほとんど何も食べなかった。水だけは飲んでいたが。

「なんでご飯食べられないんだろうね」

「消化器に異常があるのかもしれないな」

 と両親は心配していた。琴音は、自分は食べられないのではなく意図的に食べないようにしているのだということを知っていたが、言わなかった。

 学校に行くのも楽しくなくなった。歌羽が増長の色を見せ始めたのだ。喧嘩して仲直りしたあと、最初は二人とも異常なくらい気を遣い合っていたが、いつの間にか琴音が常に歌羽の機嫌を伺うようになってしまった。

「うちの高校の制服ダサいよね」

 と歌羽が言うので

「ダサいよね。地域で一番ダサい気がする」

 と同意して返せば、あっけなく否定されてしまう。

「地域で一番ってことはないよ。B高のがダサい。リボンが地味だし変な形」

 琴音は細かなダメージを受けながらも、話を続ける。

「私C高校行きたかったから、あのおしゃれな制服にまだ未練あるんだ」

 すると

「なに、自分はここより偏差値高いC高でも本当は行けたアピール?」

 と意地悪を言われてしまう。

「私はどうせ馬鹿だからね。こんなN高でもやっと入ったんだよ。頭いい琴音とは違う」

「頭悪くないよ。頭悪いのは私だよ。数学も英語も全然分からないし」

 歌羽は卑屈なところがあり、ときどき不機嫌になって自分を貶すようなことを言う。ふてくされているのか、予防線を張っているのかよく分からなかったが、琴音は必死に歌羽の気分が下がらないように注意し、下がったときは普通に戻すことに心を砕いた。 

 歌羽と一緒にいると、楽しいと感じるときよりもつらく感じるときの方が増えたな、と琴音は考えた。これでは中学時代と変わらないではないか。

 そこまで考えてから、思い直す。

 いや、中学時代よりはずっとマシだ。私は締め出されてはいない。存在の否定はされていない。

 だが毎日の学校生活がつらいことは否めないし、そのつらさは中学時代より軽いとはいえ単に程度の問題でしかないことは間違いなかった。

 もっとのびのび過ごしたい。歌羽の機嫌を取ることが足枷になっていて、気が休まるときがない。学校というところがこんなにつらいなら、もう行きたくないと思ってしまう。

 もし学校に行かなかったらどうなるんだろう。

 制服の話が終わった気がしたので、琴音は自分の話をしてみた。

「バスがさあ、いっつも遅れるんだよね。なんとかならないかなあ」

「うーん」 

 歌羽は興味をもたないようだ。

「バスが遅れるかどうかなんて、どうしようもないし、私には分かんないよ。他の話しようよ。そう言えばさ、さっきの授業中思いついたことあるんだ」

 歌羽は自分の話はいつまでも聞いてもらいたがる割には琴音の話を聞いて時間を取られるのを嫌がる傾向がある。それは最近のいじわるとは関係なく、無意識にやっているようだ。

 そういったことが少しずつ琴音のエネルギーを奪うのだった。

「昼ご飯今日も食べないの?」

 と歌羽が尋ねるので、両親に対してと同じように答える。

「食欲がないんだ」

「ふうん。胃が小さい人はいいね。私はいっぱい食べなきゃやってらんないから太っちゃうよ」

「太ってないよ」

「そうやって言葉で否定するのは簡単だけどさ、実際どう思っているんだか」

「太ってるなんて思ったことないよ。歌羽は普通だよ」

「痩せてはいないってことだね」

 また意地悪を言われてしまった。全力で持ち上げようとしているのに歌羽が揚げ足を取るようなことばかり言うので、うまくいかない。やるせない徒労だった。

 琴音がもどかしい思いをしていたとき、頭の後ろから大きな声がした。

「笹野さんさあ、地理の教科係だったよね?」

 振り向けば、いつの間にか同級生の女子である大塚さんと高野さんと宇田さんが背後に立っていた。琴音や歌羽と違って目立つタイプで、クラスの中心メンバーの女子たちだった。

「明日の宿題なんだったか教えてくんない?」

 と大塚さんがちょっと横柄な感じで尋ねてくる。歌羽はすっかり慌てた調子で、緊張を含んだ声で答えた。

「えっとね、ちょっと待って」

 歌羽はノートを探し、開いた。三人のギャルたちは黙ってそれぞれ無表情でスマートフォンをいじって待っている。

「ワークの三十ページから三十二ページまでやってくることだって。いつも通り、直接書き込むのは禁止でノートに書いてくるようにってさ」

「サンキュ」

 と大塚さんが言い、他の二人も

「まったねー」 

「私も分かんないときヨロー」

 とまるで小さい子どもに話しかけるような余裕たっぷりの調子で言いながら手を振ってくる。遠ざかると、彼らは手を叩きながら馬鹿笑いした。

「びっくりした。何言われるかと思ったよ」

 歌羽は左胸に手をやって気持ちを吐露する。私にはずいぶん強気に出てくるが、気の強い相手にはめっぽう弱いんだなと感じ、琴音は呆れた。

 書道教室ではひらがなの練習が終わり、琴音は他の生徒たちと同様に、教室が所属している書道団体の発行する冊子の課題を毎月書いていくことになった。師範の添削を経てから月に一回できあがった完成作品を本部へ送り、認められると級が上がっていく仕組みだ。一級までいくと次は段がついてくる。始めたての琴音は、まだ一番下の十級である。

 琴音は毛筆で今月の課題の「健康」という字を練習していた。ほとんど何も食べていないせいで、力が出なくて、腕をうまく動かせず、先生に見せに行くための作品が中々完成しなかった。失敗ばかりだった。

 ようやくまともなものを書けて、一旦見せにいくために教室の真ん中にできあがった列に並ぶ。並んでいる子どもたちはみんなそれぞれおしゃべりしていて、賑やかだった。

「ここはもう少し力強くしっかり伸ばした方がいいよ。あと並んだ線は平行になるように」

 添削してくれた先生は、最後に琴音の顔を覗き込んだ。

「なんか痩せたんじゃない? このところずっと顔色悪いみたい。具合悪くなったら言ってね」

 先生の優しい言葉が、後ろめたい気持ちで一杯な琴音の胸に突き刺さった。

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