みつき

気が付けば、かなり長く生きているような気がする。 居心地が良かった家族がひとり減り、ふ…

みつき

気が付けば、かなり長く生きているような気がする。 居心地が良かった家族がひとり減り、ふたり減り・・・ 子供も成人して、再婚したパートナーは私のよき理解者でありメンター。 日々は、平和。小さなことも楽しく行きたい。ジェンツーペンギンやカカポ、ラッコが好き。

最近の記事

名もなき者の日記(にき)⑦

最近、なかなか見る機会がなかったドラマや映画をフール+ディズニーチャンネルで鑑賞中。 東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 - Wikipedia オカン・・・樹木希林さん ボク ・・・オダギリジョーさん オトン・・・小林薫さん わがままなボクを受け入れてくれた大きなオカンのあったかい話。 ほんとに時々オトン(笑) 子供の時あるあるのオカンがそばにいないと心配になるボク。 オカンがボクを信頼して東京の大学に出してくれたのに遊び惚けてしまったボク。 オカン

    • 名もなき者の日記(にき)⑥

      自分で選んだ割には、気持ちの悪いタイトルの写真です。 そう、裁判の相手方から不幸の手紙とも思われる(笑)訴状が届く・・・ ここまで、肉親を非難して名誉を貶めることを考えつくことが心の闇を感じる。 人を呪わば穴二つ ・・・他者への悪行は“必ず”自身に返ってくる 天に唾する ・・・他人に害を加えようとすると、かえって自分が被害を被ること 誰もいないと思っていてもどこかでどこかでエンゼルが♪♪ (昭和のCM) ・・・気づいていないのは、自分だけで意外と周りは見ているもの

      • 名もなき者の日記(にき)⑤

        親の介護介助のことは、 2006年ぐらいから2023年1月末まで経験した。 2006年に父が小脳梗塞から老人性鬱になった。 認知症であればと書くと認知症の人に失礼だが、老人性鬱は受け入れてくれる施設が少ない。老健施設(3か月ほど)や精神病院か有料老人ホーム。 2011年の9月に父が亡くなるまで、とても大変だった。でも、しんどかったのは父。 その後2015年ころから母の様子がおかしくなり、2018年ごろからは義両親のことも看るようになった。その義理の両親は、今年5回忌と

        • 名もなき者の日記(にき)④

          現在、我が家は相続のことで裁判中。 ドラマの裁判シーンや新聞に載っている冒頭陳述は、事件の内容によるけれど読むと後悔するくらいの内容。 そう、相手をこれでもかと非難したりこの裁判で不必要なことで相手の名誉を傷つけたりとフィクションであれ、現実の他人様の話であれ気分はよろしくない。 それが、私の家族で起こっている出来事。 もう、それはこちらは言われたい放題。 簡単に言うと、親の介護で相手方が何もしていなくて、当方が長きにわたり両親の介護や生活の支援をしていた。 ここ

        名もなき者の日記(にき)⑦

          名もなき者の日記(にき)③

          私の母がおかしくなり始めたのは、2015年ごろ。曲がった膝を8か月かけて片足ずつ手術した。入院した時の病室の人と合わなくて母のメンタルが悪化した。その後退院してから、お金の管理が怪しくなった。 当時小学校に勤務していた私に勤務中かかわらず電話をしてきたり、私が出金して母に渡したお金が数分後に消えるのは日常茶飯事だった。出てきたり、出てこなかったり・・・ 当時、車の運転をしていた母の自動車保険のお金もいまだに出てきていない。(ディーラーで契約していたので20万円ほど) 通帳も

          名もなき者の日記(にき)③

          名もなき者の日記(にき)②

          はまっているドラマは、 「光る君へ」と「虎に翼」どちらもNHK。 ディズニーチャンネルで見ているのは「拾われた男」これもNHK。 7月から新しいドラマが始まるから何を見ようか迷い中。 そうそう、NHKのドラマの「舟を編む」もよかった。 映画とは、時代感が違っていたけど、大好きな洋次郎さん演ずる馬締さんのオタクぶりが良かった。 日ごろ何気なく使っている言葉が、使い方を誤ると人を傷つける。でも、反対に言葉で人を癒すこともできる。 LINEやメールでは伝わらない直接心に

          名もなき者の日記(にき)②

          名もなき者の日記(にき)①

          どんなことがあっても大体は眠れる私が、昨日は珍しく眠れなかった。 理由は、裁判の関係書類。これでもかというほど人格否定の反訴答弁書。深夜に読むものではない。 さて、この反訴答弁書の内容はともかく、眠れないといろんなことを思い出す。そう、子供のころから好きだった伯母のこと。 子供のころ、弟とバスと電車を乗り継いで約40分ほどの探検を楽しみながら伯母の家にお習字を習いに行った。当時、小学校の校則で子供たちだけで校区外に行くことが禁止だった。校則は守るべきもの!と考える母だけ

          名もなき者の日記(にき)①