名もなき者の日記(にき)⑤
親の介護介助のことは、
2006年ぐらいから2023年1月末まで経験した。
2006年に父が小脳梗塞から老人性鬱になった。
認知症であればと書くと認知症の人に失礼だが、老人性鬱は受け入れてくれる施設が少ない。老健施設(3か月ほど)や精神病院か有料老人ホーム。
2011年の9月に父が亡くなるまで、とても大変だった。でも、しんどかったのは父。
その後2015年ころから母の様子がおかしくなり、2018年ごろからは義両親のことも看るようになった。その義理の両親は、今年5回忌と7回忌を迎える。裁判は、このおふたりのこと。
去年、グループホームに入居した母と私は同居中も含めかなりやり合った💦
でも、そんな母はグループホームの職員さんのおかげで見違えるように落ち着いた。週に一度の面会も満面の笑みで迎えてくれ、私の話を楽しそうに聞いてくれたり、母自身の健康自慢話を聞くことができる。
私は、2か月に一度の施設の運営委員会に参加し母の様子や施設の取り組みを聞き時々発言をする。本当に手厚い施設に巡り合えた。
ところで、昨日の8時半過ぎに母がいるグループホームから電話がかかってきた。
嫌な予感しかない。
3時のおやつや夕食をいつも完食する母が、一口食べるだけでしんどそうにぐったりしてると言う。
「救急車を呼びましょうか?」
と言われたので大事を取り、救急車を呼んでもらうことにした。その後、主人に連絡係として家にいてもらい私は自転車で施設に向かった。
母の熱は、38度越え。吐き気や咳やないらしいが、ぐったりしている。
揺れる救急車の中で母の手を撫でてみる。家では、そんなことをしたことはなかったけれど・・・
救急車の中は思いのほか揺れて、知っている道なのに遠く感じた。
病院に着くと、駐車場の守衛さんがいるような個室にグループホームの職員さんと隔離された。
この職員さんがとても丁寧な方でこの方がいる施設なら、母を安心して預けられると思い母の入居を決断した。
母の検査中、職員さんといろんな話をした。母にグループホームに入ってもらうまでのことや母を任せることへの罪悪感のようなもの。
でも、彼女の言葉で救われた気がした。
「利用者様が、環境の変化がわかるうちに施設に入居(住み替える)することで、ご自分でその変化になじんでいくのが幸せだと思います。」
認知症の親を持つ子や孫世代は、通院や施設を利用するのもだまし討ちをしているような気分になりがち。自分ができるはずなのに人に任せるのが悪いことのように思ってしまい、その結果、介護離職をしたり老親子共倒れになったりする。
母の検査が終わった。
コロナやインフルエンザでもなく肺もきれい。おそらく大腸菌による尿路感染からの発熱。点滴をしておちついたみたい。
よかった。母よ。まだ死ぬのは早いぞ(笑)
投薬を待ち、介護タクシーを呼んでもらった。
車いすのまま乗り込み救急車とは違い介護タクシーは、乗り心地はよかった。
熱のせいでうとうとする母のしわに埋もれてしまった瞼を見ながら、施設に戻った。
救急の病院内は、私も含め老親とそこそこの年齢の息子や娘の4~5組の親子の姿。
超都会でもなく無医村でもない住環境に感謝した。
今朝、施設に電話をして母の様子を聞いたら、母とも話ができた。
元気になってよかった。
日々、たくさんの施設の職員さんに関わっていただいて感謝。深夜まで対応してもらえる救急医療そして介護タクシーの会社の方。
お世話になり、ありがとうございました。
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