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【エッセイ】ちゃんと鬼滅の刃を読んだら面白かったという話。

昔から流行りに乗るのが嫌いだった。
「これが今流行りで面白い!」と値打ちされたコンテンツは、いつだって何が面白いのか教えてはくれずに、ただ周りが好きだから、とても人気だから、みたいな理由で私に押し付けてくる感覚がたまらなく嫌だった。
だからつい逃げてしまう、周りが好きなものを嫌う癖に、逆張りして周りから嫌われる覚悟は無いのだ。

皆さんは覚えているだろうか?『鬼滅の刃』は当時社会現象を引き起こすほど人気だったということを、あれほどの知名度や人気を得た作品は果たして今後出てくるのか?と今になって思う。

高校卒業して結構時間が出来てしまった。バイト込でも暇な時間は出来てしまい、あるのはまだ読んでない漫画くらいしかなかった。ちなみに鬼滅の刃と約束のネバーランドとダンダダン。
そのなかで取り敢えず鬼滅の刃を全巻読んでみることにした。

いやーー、面白かった。なんで当時読まなかったんだろう?なんでアニメ見てなかったんだろう?って思うくらいだ。

この作品の面白いところは、意思の強さが物を言うところだと思う。
家族を守るために戦ったり、今はなき友や師匠の意思を継いだり、家族を奪われたから復讐に走ったりと、人は思いでどこまでも強くなれるが、それはどこまでも残虐になれるという意味でもある。人にも鬼にも、強さの根幹には誰かを守りたい思いがあるのだ。(もちろん鬼側には例外が居る)才能や技術の良し悪しだけでは決して優劣を感じさせない、根性と努力、気概で戦い抜くところに昔の漫画のような懐かしさを感じる。

あと〇〇の型はいろいろな技があるけれど、それっぽく刀振って戦ってるだけなのも好き。そして技名はどれもこれもかっこよくて好き。

中学生の頃は自分の好きなものしか信じなかった、自分のいる世界だけが全てだと思っていた。当時の好きな漫画はちょっと古い漫画だし、好きな音楽は誰も知らないアーティストの歌しか聞かなかった。
逆張りがしたいわけじゃない、自分の世界より外の世界が怖くて怖くて仕方がないんだ。
自分の知らないものは怖いし、それを周りは当然のように知っていることはなおさら怖い。いつか自分の好きなものは適当なところに追いやられてしまうんじゃないかと思うととてつもなく不安になる。
だから全部抱えて逃げることにした、これが僕の中学時代。

成長して余裕ができてからは流行も悪くないと思うようになった。
しかしこの悪くないというのは、許容しているだけで決して流行りに乗っかってるわけではない。Tik Tokやberealなんて怖くて使えない。インスタくらいが限界です。
今でもその古い漫画は大好きだし、今でも大好きなアーティストを追っかけている。
譲れないものを持つのは大事だけど、好きなものだけに囚われるのは楽しくない。あなたも昔の流行を取り入れて自分探し始めてみませんか?

終わり




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