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かまいたちの「タイムマシン」的なものを組み直す

Time never dies. The circle is not round.

Milcho Manchevski (Director), 1994, Before the Rain [Film]. 

「爆笑オンエアバトル」と私と

姉の影響でNHKお笑い番組、「爆笑オンエアバトル」を番組開始当初である1999年(もしくは翌年の2000年)から毎週のように観ていたと思う。当時、地上波でのネタ見せ番組というのは今と違ってかなり珍しく、「ごっつ」を失った後にぽっかりと空いてしまった穴を「笑う犬」とこの「爆笑オンエアバトル」だけが優しく、そしてちょっとずつ埋めてくれた。
江戸むらさき、Over Drive、ルート33、いつもここから、ラーメンズ、そして特にハリガネロックが好きだったのを覚えている。彼らがチャンピオン大会でめちゃくちゃ噛んだか、ネタを飛ばすかをした時の、その会場の凍りついた空気はブラウン管のこちら側の姉と私にもちゃんと届いていた。私がぼんやりとしか理解していなかった、お笑い芸人は切磋琢磨しながらネタを作り、その練習をし、それを披露しているということが明らかになった瞬間でもだった。翌年に彼らが4代目チャンピオンになった2002年はなんだかんだ嬉しかったように記憶している。
その後、今でもよく聞く(?)人気芸人たち、アンジャッシュ、アンタッチャブル、スピードワゴン、チュートリアル、ペナルティ、タカアンドトシ、パンクブーブー、トータルテンボス、NON STYLE、東京03らが活躍するようになった頃には、その理由は分からないがもう観なくなっていたと思う。

鎌鼬(かまいたち)との出会い

そして、現「かまいたち」こと「鎌鼬」との出会いもこの頃だったと思う。その頃、とある化粧品の広告に出ていた韓国の大スター、チャン・ドンゴンのセリフを真似て、「あなたが好きです いつまでもキレイでいて欲しいから あなたが好きだからー!」をドラを鳴らしながら言う中国人キャラが家庭教師としてやってくるという、今ではアウト中のアウトなコントだったと思う。遡及的に反省しても反省しきれないが、15年以上前の無知な私は(まぁ、今でも相変わらずそれに変わりないわけだが)無邪気に結構面白おかしく笑っていたと思う。今考えると、まさかここまでかまいたちがバカ売れするとは思ってもいなかった。人生はいつも、そして常に1回きりにもかかわらず、どうなるかわからないものである。だからおもしろくて仕方がない。
かまいたちのコント(「告げ口」、「放課後」、「居酒屋の予約」、「告白」、いわずもがな「サーフショップ」)はもちろん面白いのは十二分に承知しているつもりだが、やっぱり漫才の方が山内の狂気が見れて好きだ。特に「お相撲さん」、「心理テスト」、「UFJ•USJ」。でもやっぱり最高傑作は、「タイムマシン」だと思っている。
ちなみに余談なんですけど、山内の狂気といえば、彼は2011年に下記のようなツイートしていて、それを2022年のとあるテレビ番組でネタとして披露して大炎上した。本当にその発想そのものに不気味さを感じ取らずにはいられないし、それを2022年にまでなっても地上波に乗せれると思っているところに改めて狂気を感じる。その社会的に障害となりうるような「こわばり」を取り除くのが笑いであるのにもかかわらず、逆にその「こわばり」を作っているかまいたちを嘲笑うことで、彼らをCorrrection(矯正し/訂正し/懲らしめ)なくてはならない。

かまいたちの「タイムマシン」

かまいたちの「タイムマシン」というネタは、誰しもが1度、いや2度や3度、いやいや、それ以上に考えたであろう「もしタイムマシンがあったとして、過去に戻って1つだけやり直せるとしたら何か」という問いからスタートする。そして、「学生時代に告白できてなくて後悔している女性に告白したい」という濱家に対して、山内はその究極の答えとして、「ポイントカードを作る、コンビニのね」という答えにいとも簡単に辿り着く。
なぜなら一番最初に家の近くのコンビニに行った時に「ポイントカード作りますか」と聞かれてなんとなく断ってしまい、それ以降毎回そのコンビニに行く度にあの日の「なんとなくの遠慮」を後悔しているから、あの日に戻ってポイントカードを作り直すということである。ではどうして毎回聞かれるたびに断り続けてしまったかというと、その「今」改めてポイントカード作ってしまうと、これまでのポイントが失われた気がするだという。これまでのポイントの損失が実現してしまうからこそ作れない、その日に作っていたかもしれない私とのポイントの差は今日作っても決して埋まるものではない、というロジックである。

誰しもが持つ「なんとなく断る」

全く同じような経験を渡英前の東京で味わった。秋葉原の家電量販店で大学院生になるための環境整備としてとにかく爆買いしたのを覚えてる。その直前まで住んでいた東南アジアで揃えようと思うとかなり割高で、ましてやイギリスで揃えようと思えばさらに値が張るのが目に見えていたので、最もいろんなものが安くで手に入る世界的都市、東京での購入を決めてた。そんなもうすでに得しているという前提条件もあり、最初に「ポイントカードはお持ちですか、それではお作りいたしましょうか」に案の定なんとなく断ってしまった。習慣というのは恐ろしい。ラヴェッソンの言うとおり、それ、つまり習慣というのは意識と自然との間に存在する。そしてそれ以降、別の店舗でもなんとなく断ってしまう癖がついてしまい、おそらく合計1.4〜2.5万円ほどのポイントを潜在的に失ってしまっただろう。中には親切な店員さんもいて「あ、本当に、今作ると、明日、5000円分の買い物ができるぐらいのポイントがもらえるのですが、よろしいでしょうか。」と聞いてくれる方もいた。その潜在的なポイントの損失が大きくなればなるほど、改めてポイントカードを作るというのはますます難しくなるのである。その損失の実現が怖いのである。ああ、あの最初のなんとなく断った日に戻りたいと何度後悔したことか。

危機を取り込み、持続的なものを組み直す

危機(Crisis)の起源は古代ギリシャ語のkrisis (κρίσις)の医者の判断や決定(つまり、診断である)による生死の境目を意味し、その不確実性を伴う転換点を指し示すようになったと優秀なAI秘書から聞く。そのContingency(偶然性/偶発性/偶有性/不確実性)を組み直しや結び直しの瞬間のチャンスだと捉え直すことで、これまで習慣的に(ゆえに安定的に)持続していたものを改めて生産過程のものとして認識することができるようになり、その止まっていた動きを再度「進行中」に書き換えてやるのだ。これが私なりのタイムマシン以外の解決策だ。
私も、(Contengencyともいうべき転換点である)渡英後、新しいポイントカード、新しいポイントの貯まるアプリを導入しまくってきた。そこにはもう、あの時の後悔はない。生まれ変わることも、過去に戻ることも必要はない、ただただ持続的なものを組み直すのである。持続的なものの組み直しは、決して過去との断絶ではない、なぜなら人間は歴史から切り離されて生きれるほど強くはないからである。つまり、現在の絶え間ない組み直しから、遡及的にその過去と、現在と、その(直線でも円弧でもない)線上にある(また書き直される)未来とが新しい関係を書き直され続けるということである。
人生はどう考えたって結局のところ、損と思うようなことばかりだ。明らかにコスパ的にはかなり分が悪い。なので、どっかのタイミングで危機をうまく取り込み、持続的なものを組み直すしか他に道はないのかもしれない。2年4ヶ月ぶりにしれっとNoteに戻ってきたの私が言うのだから説得力があるとは思うが、最後にヴィクター・バージン(Victor Burgin)のあの有名な作品を下記に引いておこう。

Victor Burgin (1976), Today is the Tomorrow You Were Promised Yesterday.



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