プレゼンテーション1

要約抜粋『アートスピリット』- 百年近く続くロングランのアート書

これは濃い~一冊です。凡百のアート本、自己啓発本が束になっても叶わない。1923年、当時人気画家だったロバート・ヘンライ(1865~1929)が表した一冊、百年近い歳月のなか読み続けられてるロングランです。
私も読んでいて線を引く個所が多過ぎて、本の中身が真っ赤っかになりました。内容自体は画を志す人に向けに書かれていいますが、映画や小説など、他の表現を志す人たちも刺さる言葉がたくさん。個人的には、経営理念や、個人の人生指針を立てる上でも参考になると思っています。
以下、これはと思った箇所を抜粋しますが、ぜひ実際に手にとって読まれてみることをお勧めします。

※本記事は出版社(国書刊行会様)より正式に許可を得て掲載しています

------------------------------(以下抜粋)

芸術を学ぶものは最初から巨匠であるべきだ。つまり、自分らしくあるという点で誰よりも抜きんでていなければならない。今現在、自分らしさを保っていられれば、将来必ず巨匠になれるだろう。

われわれを刺激する芸術作品は、ごまかしや不安を抱いた人間からは生まれない。芸術は、大きな喜びにあふれた楽観的な人間性のあらわれであり、その瞬間こそ作品が生まれる。

作品を創る前に偉大なことを考えるだけでは十分ではない。絵筆が画面に触れた瞬間、作品にとりくんだ時点での芸術家の状態がありのままに現れてしまう。そのような記号を捕えることができる人々は、はっきりとそれを見てとり、意味を理解する。やがては芸術家自身もそれを読み取るだろう。自分自身が明らかになって、驚くかもしれない。

拒絶を恐れるな。すぐれたものをもつ人間はみな拒絶を通過してきた。作品がすぐに「歓迎」されなくても気にしないことだ。作品がすぐれているほど、あるいは個性的なほど、世間には受け入れられないものである。ただし、画を描くのは審査員のためではない。自分自身のためである。

大傑作をめざせ!よくできた風景画を描いたりするな。きみ自身が興味をひかれた風景をキャンパスに描きだせ。それを目にしたときの自分の快感を描くのだ。

完成とは物理的な表現を意味するわけではない。作品は、伝えたい特別な何かを捕えたときに完成する。

作品に有機的構造を与えたいと思うなら、創作意欲の源になった発想をしっかりと持続し、作品のあらゆる細部に至るまで、その有機的な構造を確実かつ偽りのないものにできるよう保っておかなければならない。決心がぐらついたり、不安だったりしたら、一体感は生まれない。

人のビジョンが他者のそれと比べて優れているかどうかは、それほど重要ではない。人がどのように生き、最も幸福な瞬間をどこに感じるかは、きわめて私的な問題である。

見る力を育て、本質的なものを記憶にとどめる能力を伸ばし、さらにそれを記録し、見る事や記憶することがいかに真実に近づけるかを検証することは、幸福につながる道である。

人は自分が見たものを本当に理解できたとき、絵に描くことができる。

どんな人物にもふさわしい背景がある。

自分自身にとって大事なものだけを絵に描くべきである。

画家の魂をもつ人間は、あらゆる表現法を身につけ、意のままに駆使できるよう鍛錬しなければいけない。魂に行動がともなって初めて表現が可能になるからだ。

人間の心の奥底には、ありきたりの三次元の世界を超越した何かを見ようとする欲求がある。

すべての芸術表現は、人が漠然と感じながらいまだ所有できないものを求めてさまよう魂の成長の道標である。正直さと高潔さ、探求への情熱、未知の世界を見たいという欲求―それらをもつ人間は、すぐれた芸術を受け入れることができる。彼らにとって、芸術の教師など必要ではない。すでに十分な能力がある。臆さずに心を開いて、画を見るだけでいい。自分のものだと思って絵を見る。そうすれば、すぐに芸術の目利きとなり、第一級の芸術愛好家になっていることがわかるだろう。

新しいアイデアには新しいテクニックがついてくる。

芸術は成長にともなう当然の帰結であり、成長の根源をなす原則のあらわれである。

努力の跡がまったく見えないような絵こそ、制作過程においては最高の戦場だったといえる。

なんらかの強さがないものは美しいとはいえない。

よい作品はたえず成長しつづける。それを見るたびに、新たな驚きが得られるのだ。

子供のころに抱いた、人間や物に対する幻想を忘れてはいけない。

気が散ること、一貫した関心をもてないこと、確たる目的を欠くことは、ほとんどの失敗の原因である。

画学生がモデルを前にしたとき、最初にすべき問いかけはこうである。「これのどこに最高の喜びを感じるか?」そして「それはなぜか?」が続く。 すべての偉大な画家たちは、この問いかけを―このままではないにせよーたぶん、無意識のうちにしている。それによってその最高の喜びは、画家たちの驚くべき想像力とともに大きく広がり、画の中の最も大事な要素を強調し、称賛し、あまり重要でない要素を排除していくことになる。意味の重さにもとづいて取捨選択する過程で、画家たちの目は大きな意味を表現するような線や形態だけに向けられるのだ。

画学生はアイデアに駆られて急いで製作するあまり、走り書きのような作品になってしまうことを恐れないほうがいい。なぜなら、巨匠の作品にもそれが見られるからである。

あらゆる個人は、自分自身の個性に着いて学び、最終的には自分の好みをしるべきである。みずからの快感を育て、その感覚をほかの人々にむけて最も直接的に表現できる手段を探求し、発見すべきである。それによって、大勢の人々が同じような快感を得られるように。

つまるところ、美術とは言語の延長である。言葉では表現しにくい微妙な感覚を伝えるものなのだ。そして、われわれは自分自身の内面を明かすこの偉大な力を手に入れられるのだ。

天才とは見る力をもった人間のことである。

スケッチで描いたものの比例がつねにくるっているようなら、ものの見方がゆがんでいて、それを見抜く批評眼をなくしたと思うべきである。だらしない暮らしをしていると、そうなりがちだ。

自分の考えを自分の考えだと確信できる強い人間はめったにいない。

製作にとりくむときは途中であきらめず、大胆であるべきだ。中途半端ではいけない。

真に偉大な人間の全員に共通する美質とは強い人間愛である。また、彼らは考える力においても抜きんでている。

普通の意味でいう完成ではなく、それとは別の意味、つまり自分が喜ぶという意味での関製作が重要です。これと正面切って戦うことができれば、その戦いを終えた時、たとえその絵が仕上げられなくてもきみは大きく成長しているだろう。

多からの人々が絵の展覧会にあまり魅力を感じない理由の一つは、ほとんどの絵が独りよがりのアイデアをもとに自己満足なやり方で作られていて、観る人の想像力を刺激しないからである。強烈な関心から生まれない絵は、強烈な関心を呼び起こすこともできない。

我々の作品がもっと明確な意欲をもち、機知に富み、人間性への洞察が深ければ、人を惹きつける。

真の芸術は表面ではなく、人の内面のずっと深い所に届く。一般に潜在意識と呼ばれる領域である。

ものの見方には様々な方法がある。あるものを見て、それが美しいと思えたら、その見方が美しかったということになる。見えたとおりに描きなさい。

器の小さい人間は、せせこましい技法しか生まれない。どんなに手が込んでいても、それだけのことだ。どれほど時間をかけて研究しても、ちっぽけな技法にしかならない。人をはかる巻尺のようなものだ。芸術の偉大さは、まさしく画家本人の偉大さに比例する。同じように、表現に必要な技術を習得する力も画家自身にかかっている。表現したいことがあるのに、技術の習得にばかり熱心になっている人間は、表現に必要な技術をけっして身に着けられない。

知性は道具として利用すべきである。

無目的に習得した技術は、いざ用いようとすると常套的な表現になってしまい、けっかとしてアイデアそのものから声明を奪うことになる。

技術が有効に使えるのは、自分のしていることにはっきりした目的をもっている人だけだ。そして、技術を開発できるのも、そういう人々である。さもなければ、作品は物まねに堕してしまう。

自分と素直に語り合うことほど、愉快なことはない。はっきりいって、それができる人はそういない。自己教育とは、自分自身をよく知ることである。

できるかぎり、自分が本当は何を好むのかを見つけるべきである。自分にとって何がいちばん大事かを見定めよう。それから、自分の歌をうたおう。きみにはうたうべき何かがあるはずだ。きみの心は唄であふれるだろう。

語りたいことが身のうちにあふれているのに、言葉の使い方がわからない。そうなって初めて、その言葉を習得すればいいのだ。

絵画を見るときは複雑な手順で作られたことを感じさせてはいけない。実際にどれほど複雑な工程をたどって作られていても。

主題が明らかになればなるほど、画家は自分が見るもののなかに重要性を認めるようになり、手段の選び方もより厳密になるに違いない。

ここでいう、人間がもつ高潔さとは、宇宙のなかに築かれた一つの秩序の成果である。美しいものはすべて秩序をもっている。そして、事物がたがいに正しい関係を保っていなければ、秩序は生まれない。世界のどこでも、この正しい関係から美が生まれるのだ。

芸術は宇宙に存在するその美しい関係をできるだけ再現したいという欲求を促すのだ。

世間はつねに、偉大なものを自分たちの狭量な愛国心という型にはめようとする。ところが、偉大な芸術家はすべて、家族や国家や民族から自分を切り離そうとするものだ。美への道、真の文化につながる道を指し示そうとする者は、みな反逆者である。彼らは愛国心や郷土愛に縛られない「普遍的な存在」であり、世界のどこにでも同胞を見出す。伝える手段が音楽や絵画であれ、言葉や形体であれ、そういう人は世界全体に認められ、受け入れられる。

世間の束縛をばっさり切れるほど強い天才だけが世間の称賛をかちえる。

偉大さの本質に気づくことは、この世界が何でできているかを理解することに等しい。魂が体を通して輝くとき、その人体は美しい。その魂を翻訳し、形にできたとき、芸術は偉大なものになる。

小さな子供のように、人生を単純なものと思えたら、人生の美しい秩序がすべて、はっきりと目に見えるだろう。

私は、画家が若いうちに数学の訓練を重ねることを推奨する。そうすれば、のちのち、数学の知識を「本能的に」使えるようになるだろう。

アイデアに憑りつかれたなら悪魔のように描くべし。

われわれにとって最も悪いのは恥ずかしいと思う事である。

自分についての先入観をきっぱりと捨てなければ、自分を見出すことはできない。

自分が見るものすべてをできるだけシンプルに切り詰める。つまり、自分にとって最も大切なものだけを身の回りに置くようにする。
ものの見方がシンプルになればなるほど、きみの表現もシンプルになるはずだ。人は多くを観すぎる。しかも、ばらばらに。

なんでも描ける利口な人は大勢いるが、観る力がなければ、価値のあるものは何も描けない。

本物は、あえて荒れた道を、その道を荒らしたが自分自身であれ、ほかの人々であれ、行く。そして、未知の冒険へと旅断つ。

芸術とは個々の人間が一人ずつ自分のよってたつ根拠を世界に分け与えることである。与えたいと思う人間、与えることを喜びとする人間は、与えるという行為に喜びを見出す。与える人々は津遠位強い。

つねに自分が好きなものを見つめ、それについて語り過ぎることを恐れるな。われわれが欲するのは何かを見つめて、こころから楽しむ人のシンプルなビジョンである。あらゆる人が自分の好きなものについて語ったらいいのだ。

芸術作品の価値は、鑑賞者がそれをきっかけにどれくらい飛躍できるかにある。

人生とは自分を見出すことだ。それは魂の成長である。

最初の思いつきにしたがって行動しないと、やがてそのメッセージを伝えようという気力が失せる。

(以上抜粋)

※他にも刺さる言葉がたくさんあるので、ぜひ読んでください!

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