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人はどんなときに悩み、どうすれば解決するのだろう?

1.悩みと楽しいの関係

サブスクリプションの洋服のコーデレンタル「 leeap」 を運営している「kiizankiizan」という会社の代表者の井上といいます!


僕らは「洋服の悩みがなくなり、ひとりひとりが毎日のコーデを楽しむことができて、ファッションが「好き」になるひとが少しでも増えてほしい」と考えているのだけど、そもそも「悩み」について僕自身が深く考察出来ていないのではないか?と思い、今回悩みについて掘り下げてみようかなと。


「人ってどんなときに悩みが生まれるんだろう?」
「人の悩みってどうすれば解決するのだろう?」


あなたは答えがわかりますか?
僕は、それをきちんと理解しておらず、きちんと理解が出来ていないミッションに向けて走るのは自分としても、ちょっとしんどい。
というわけで「悩み」、人は何に悩んでて、なぜそれについて悩むか?について考察してみる。



そしてもうひとつ。

毎日の着るが楽しくなるというの、どういう状態なのか?
人が楽しいというのはどういう状態で、好きというのはどのような感情なのか?



友達と遊ぶのは本当に楽しいと言えるのだろうか?という問いからスタートしたい。本文章の前編を「悩み」の文章として、後半は「楽しい」を考察する。



2.サリエンシーと悩みについて

洋服の悩みを考察するために、国分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」で熊谷晋一郎さんという医者の方が使っていた「サリエンシー」という概念を使わせていただく。



これは医学用語で、新しい強い刺激、未だ慣れない刺激のことを言う。
例えば、人は知らない土地に行ったときに、気候、交通、治安など多数のサリエンシー(強い刺激)を受けることになる。そしてその土地に長く住めば、人はサリエンシーに慣れて、サリエンシーとして認識しなくなる(=慣れない刺激として認識しない。人は長く住んだ土地であれば、新たに何かを感知することが少なくなる)



サリエンシーの説明として、例えば駅の券売機を使うのもひとつのサリエンシーだろう。どうすれば切符が買えるのか、切符はいくらなのか、どこにお金を入れるのか。初めての人からすると、サリエントな体験となる。そこで人は路線図を見て、切符代を確認して、券売機で指定のお金を入れて切符を買う。その体験を繰り返すうちに、切符を買うことは習慣となり、特に何も考えずに券売機で切符を買うことができる。



人間関係でもそうだ。会ったばかりの人は、こちらの行動に対して、どう対応してくれるか分からない、何を求めていて、何で怒るのか?よく分からないが、こちらが言葉を発し、相手の反応を経験を繰り返すことで、相手を理解していく。



もし初めて会う人と話し、相手から望ましい対応を受け入れらなかった人は、次に初めて会う人が居たら、どうなるだろう。次に知らない人と話すとき、どんな話をすればよいのか、相手にどんな対応をすれば関係を構築できるのかがわからずに、サリエントな体験を消化が出来ないのではないか。



このようにサリエントな体験を通じて、うまくサリエントな体験を消化できなかった場合、次に同じような体験があると、それを前回よりも強いサリエントとして認識し、何をすればよいのか分からないことで「悩み」となってしまうのではないだろうか。



例えば怒るポイントが分からない人の対応というサリエントでも、お金が無いというサリエントでも、それについて対処が分からないために、多くの人が悩んでしまうように思う。



もちろん悩みは意外にも、持続するためのカロリーを必要だ。
多くの悩みは「未来への不安思考」をエネルギーとして利用する「来月もあの怒りっぽい上司と仕事をするのか」「来年お金がなくなったらどうしよう」という未来への不安を使うことで、悩みは悩みとして持続可能となる。未来の不安を感じない人の悩みは持続しない。



今回は、このサリエンシーという概念を使い、洋服の悩みについて考えてみたい。



3.洋服のサリエンシーとはどんなものか?

それではサリエンシーを洋服に置き換えてみよう。洋服のサリエンシーとは何か?


久しぶりに女性とデートに行くとしよう。ようやくこぎつけたデートだ。店も自分で決めた。静かすぎず、うるさすぎないぐらいの和食の店を選んだとしよう。照明も少し暗いお店のようだ。そんなお店に行くときの洋服についての知見を持っていないとする。そんなときに洋服を選ぶのは人にとってサリエントな体験になるのではなかろうか?

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もしそのときに、デート終わりに相手から「アナタの服装って、何か変だねー」と言われたらどうだろう?


そのフィードバックをもとに、あなたがサリエンシーから何かを学び、習慣として処理できるものだろうか?


これは予想にすぎないが、何人かの人は、そのサリエンシーは体験からの学習にならず、うまく消化できないのではないだろうか?



4.洋服のサリエンシーを消化できなかった人

先日、僕はleeapのユーザーにユーザーインタビューをしたのだけど、そこでユーザーに「うちのサービスを使う前に、どんな悩みがありましたか?」と聞いたところによると、多くのユーザーが「洋服の失敗談」「ひと目に触れて洋服を着る機会があるが洋服の正解が分からない」という話をしてくれた。多くの人は、それを解決するためにユニクロのマネキンの服を買ったり、ファッション系のYou Tubeを見るが、解決はできなかったという。



leeapを利用してくれているユーザーの多くは、洋服のサリエントの体験を通じて、うまくサリエントを消化できずに、生活において洋服選びが悩みとなっている人が多かった。



その悩みがあるユーザーは、僕らのサービスを通じて洋服の悩みを解決しているのだろうか?


続けて聞いてみた。
「leeapを使うことで洋服の悩みは解消したか?」と聞いたところ、多くの人が「leeapを使うことで悩みは解決した」「大枠の悩みは解決している」と言った。



もちろん僕がユーザーインタビューをした人はleeapを使っていて、且つ継続しているという強いバイアスが掛かっているのは前置きするとして、10名のユーザーインタビューのうち、洋服の悩みが一定解決したと答えた人が9人居た。



これまでの状況をまとめると、
・何らかの洋服のサリエンシーからの傷があり、洋服に悩みを持つユーザーが居る
・自身では悩みの解決が出来なかった。もしくは悩みをどう解決すれば良いのか分からない
・そこでleeapを使うことでその悩みのいくつかは解決した

ということとなる。



ただそのサリエンシーの傷はなぜleeapを使って解消したのか?
なぜleeapを使うことで洋服の悩みはなくなったのか?



僕自身も分かっていないことが多かったので、ひとつずつ悩みの考察を進めていきたい。



5.悩みの質と悩みの解決

実際に洋服において、どんな悩みがあるのかというと、「どの洋服を買えばよいのか分からない」「自分が着る洋服の納得・安心・自信が無い」という大きな悩みであったが、悩みの根っこの部分は同じなので「正しい洋服が分からない。そして自信がない」がメインの悩みとする。



そのために弊社leeapで提供すべき基本的な価値として、洋服のセオリーから見て「問題がない洋服を提案する」というのと、提案した洋服のセオリーを「問題がないとユーザーに理解してもらうこと」のふたつが大事だと考えている。



自分の今着ている洋服がなぜ大丈夫なのか。なぜなら。の説明である。
まだまだ出来ていないことは多いのだけども、ここをきちんと抑える洋服を提案することが大事だ。



それをどのように実現しているのかというと(まだまだユーザーに価値をきちんと伝えきれていないが)leeapはサブスクリプションモデルなので、来月お届けするユーザーの情報(体型・嗜好性)がわかっている。すでに自社での洋服開発を進めているのだけど、それはすなわちユーザーにあわせた、ユーザーだけを見た洋服を作ることが可能な世界であり、来月あの人が使ってくれるための洋服を作ろうという世界である。



leeapの服作りでは他の今までのアパレルでは原価をかけられないようなところも、ユーザー視点から見れば、大事であれば原価をかけることができる。
(洋服の質についての話をすると、話がとても長くなるので、またの機会に)


あわせてleeapではスタイリストがユーザーの好みをチャットを通じてヒアリングする。こちらが考える勝手なおしゃれを提供しないようにしている。これがユーザーの「納得」を担保することと考えていて、これは美容師と顧客の関係と似ている。



もしあなたが美容師に行き、顧客に何も聞かずにトレンドの髪型(例えば、サイドの髪を深く刈り上げるとか)にされたらどうだろう。そんなことをしても許されるのは、予約の取れないカリスマ美容室ぐらいではないか。
ユーザーにはどんな服が苦手で、どんな服が好きかを聞き、もしあればどんなスタイルにしたいかを聞く。そしてできれば着用した写真を送ってもらう。あわせてユーザーから洋服のフィードバックを貰い、次のコーデに活かしていく。



leeapで悩みを解決したと言ったユーザーは実際的な洋服の悩みを解決したことだけが理由で悩みが解決したと思ってくれたのだろうか?



もし実際的な悩みの解決だけでユーザーの悩みが解決されるのであれば、冒頭のユーザーは洋服系のYouTubeの情報を見るだけで、悩みを解決したと言ってもおかしくないのではないか?



もう少し悩みと解決について掘り下げていこう。
なぜleeapで洋服の悩みが解決したのだろう?



6.人が誰かと一緒に居たい理由と悩みの解決

悩みと解決を考えるにあたり、参考にしたい研究がある。それは多くの人は、一人で生きていくのを困難・苦難だと感じていて、米ブリガムヤング大学教授(心理学)のホルトランスタッドの研究によると孤独感が高いと、喫煙、飲酒、運動不足、肥満よりも大きい短命リスクだと指摘し、孤独感が死亡率を26%高めると結論付けた。



人は孤独な状況に居ると、健康を害する。と発表され、これは社会的にセンセーショナルに取り上げられた。



なぜ人はだれかと一緒じゃないと健康を害してしまうのだろう?



参考にしたい事例がある。それは精神疾患の回復メソッドである。
精神疾患の回復メソッドの多くは、カウンセラーでもセラピーでも、基本的な構造として自分の状況・悩みを形にすることが求められる(箱庭療法などでも別の物質を介して、悩みを形にすると理解している)
これらカウンセリングやセラピーでは患者の多くは自分の症状を言葉にする、そしてその状態をみんなで共有する。


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なぜこのカウンセリングやセラピーの多くに効果があるのかというと、他者に自分の症状を説明をすることで、自分と症状を客体化できるという要素と、他者を媒介して、自分の症状から何かを一緒に発見できる構造があると僕は聞いた。



すなわち人は誰かと一緒に居ないと自分の傷や悩みが相対化できないのではないか。傷を長期的に抱えることが長期的なストレスになって、健康を害してしまうのかもしれない。逆に言えば、人に自分の悩みを共有することで、悩みが解決するのかもしれない。



この話をleeapに置き換えて考えてみよう。
洋服においてのサリエンシーの消化に失敗した人は、自分の傷をうまく相対化し消化できていない。自分の傷をまずはきちんと治すこと、そのためには傷を傷として認識する必要がある、傷や失敗した体験をleeapのスタイリストに話すことによって、傷が悩みとなって形になる。



そして悩みをきちんと解決し、スタイリストと悩みを共有することで悩みの多くは相対化されることで、悩みが解決するのかもしれない。



有用性は多くのカウンセリングやグループセラピーが証明してくれているとおり、まずは実際的な傷の根本的な解決が必要で(傷を受けている最中は傷を修復できない)それからは、その傷から悩みの言語化をし相対化をする作業のふたつは、悩み解決の両輪のように思う。



それらのふたつの複合的な解決によって、leeapを通じて、ユーザーの洋服の悩みの多くは解消出来ていると言ってくれているのではないか。



もちろんleeapのサービス自体は2021年8月現在まだまだで、次のAW(オータム&ウィンター)では、もう少し良質になるはずだが、以外にやることは大量にある。



ただ洋服の悩みの解決については、進むべき方向性への仮説を立てることが出来た。この悩みの解決はkiizanスタッフで何度も議論をし、すでにissueとして設定出来ている。いま着実にそこをクリアにしていくフェーズとし、みんなで解決していきたい。



大事なことはユーザーの話をきちんと聞くこと。そして実際的に解決し、長期的に洋服について何でも相談できる関係を築くこと。



ただもうひとつの設問である「楽しいとは何か?」についてである。大きな問いだ。なぜ人は楽しいと感じるのだろう?そして洋服を通じた楽しさってなんだろう?



僕は今回の悩みを考えるにあたり、実は(というほどでもないが)1週間の四国の旅に出た。いま僕はこの文章を淡路島と徳島県で書いている。そんな難しいことを考えるならば日々の喧騒から離れたいという思いがあって、いま四国を巡るワーケーションの旅をしている。
四国の旅において「楽しいとは何か?」は自分にとって難度の高い設問であり、道中も「楽しい」を中心に思考をしていた。



楽しいってなんだろう?


いま徳島時点で結論は出ていないが、次の機会に「楽しい」について掘り下げていく予定だ。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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