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自分のことが喋れない

実は、たまに小説を書く。
昨日、いくつか出していた小説賞のうちの一つの一次選考の結果発表があって、20倍以上の倍率の中通過していたから、結構うれしい日になった。
でも、その賞ではもう最終選考には残っていないことがわかっているから、扉は一応開いたものの、その奥から手だけがひらひらと振られたような感じで、喜べばいいのか落ち込めばいいのか、よくわからない気持ちになった。

と、いうことを書くのもものすごく勇気がいった。
小説のことは、別に隠しているわけじゃないけれど、あまり言わない。ネット上で自分がしていることを喋ることに、思った以上に抵抗があると気づいたのは最近だ。

本当はもっと、仕事の話や、これからしようと思っていることの話をしたい。でも、「言ったのにできない」状態になることや、価値がないと思われることがけっこう怖い
わたしは割とやりたいと思ったことはすぐする方で、「うまくいくかどうかわからないからできない」ということはないのだけれど、よくよく考えればそれは「自分1人でどうにかできること」か「他人に評価されることじゃないこと」で、人から「あーあ」と思われたくない気持ちはものすごくある。

友達と一緒にnoteを習慣化してみて、いろんな人の書いたものを目にするようになった。みんな恐れずに書きたいことを書けていてすごいなあ、と思うたび、身動きが取れなくなる。そこで目にしたものに「あーこの人はこういう感じか」と思う自分がいるから、きっと自分の文章も、誰かに「はい、これ系ね」と思われているはずなのだ。

でも、それの何が悪いんだってことなんだけど。
なんだけど。
全員と仲良くできるわけないしする必要もないし、自分がどう思われても関係ないって思えばいいだけなのだけど。

それができたらどんなに楽かなあ、と思う。

フォローしてください! とか、読んでください! っていうのも、言えない。そんなに価値を主張できない。それが言える人生を通過したことがない。でも、「読まなくてもいいんですけど」っていうのは読まれるわけがない。どうしたら言えるようになるのかな。

人のこと、みんなのことは言える。「わたしの大好きな誰々が作ったこれ最高なんです」って言うのはできるから、いつも結構人前には立ってきたし、編集者だったりするのだけれど、自分のことを健全に喋れない。いま書いた「編集者」というワードすら怖い。

自分の名前で何かを語れる人はすごいなあ、という思いが年々高まる。
これまでこういうことを真面目に解決しようと向き合ったことがなかったから、ちゃんと一度考えてみたいと思う。
誰か勇気の出し方を知っていたら教えてほしい!
できないから助けてください、って言うのも、苦手なことの一つだけど、言ってみる。一歩一歩だ。

読んでくださってありがとうございます!あまくておいしいものか、すてきな本を探しにゆきます。