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32歳、盛岡に捧ぐ

幼少期の僕は、ひどい泣き虫だった。
今思えば、たくさんの出来事が「怖かった」のだと思う。
友達や家族のけんか。
先生に怒られること。
幽霊の出そうな近所の小屋。
ご飯をこぼすこと。
地震と雷と大きな音。
何かしら失敗をすること。
もう会えなくなること。
今も、あまり変わっていない。僕は、さまざまなことが怖いまま、大人になってしまった。

ちゃんと書かずに濁しておこうかと思ったが、いろんな方のnoteを見て、書こうと思った。ご自身やご家族の、身体や心のことについて、向き合っている、あるいはそうしようとしている方ばかりだったから。

僕は、盛岡にいた18歳の頃から今に至るまで、統合失調症、強迫性障害、うつ状態、不眠症、そうしたものに悩まされている。ついでにストレートネックとか慢性頭痛とか、細々としたものもたくさんある。医者に行って、電子カルテを覗き込むと、既往歴が3行くらいにわたって記されていて、思わず笑い出したこともある。かの舞の海は「技のデパート」であるが、僕は「病気のデパート」だ。

18歳の頃からと書いたが、20歳を過ぎてから再会した友人に病気のことを話したとき、高校あたりからそんな感じだった、病院に行っているのかと思っていた、と言われたので、周りから見たらすでにおかしかったのだと思う。よくそれでも友人をやめずにいてくれたと思っている。
僕がきちんと症状を自覚し受診したのが18歳だった、と書くほうが正しいのだろうけど、個人的には18歳から戦いが始まったと思っている。

僕には当時、交際している方がいた。はじめての彼女だった。不安定さ、脆さのせいで、たくさんの迷惑をかけた。傷つけた。今も、笑顔より泣き顔が浮かぶ。そのたびに、消えたくなる。
届くわけないんだろうけど、ごめんなさい。
回りまわって、どうかあなたに届いたらいいな。

その彼女とお別れをして、そこからの僕は一度、再起を志した。
大学にも毎日顔を出し、勉学に励んだ。地元で公務員になるつもりだった。大学で学んでいたことへの興味は失っていたけれど、頑張ることだけを考えていた。
その合間で、懐かしいエル・ドラドを探したりした。
一人旅をしようとしたりした。
酔って携帯をなくしたりした。
盛岡の日々は、挫折と苦痛と、めいっぱいのいとしさで充ちていた。
やさしさとあたたかさで溢れていた。

僕が再び「壊れた」きっかけが、実はよく思い出せない。
18歳のときは、講義に向かう途中で、わけもなく涙が溢れた。それきり行けなくなった。
次のとき―多分21歳の頃―は、足が動かなくなった。大学に向かおうとすると、足が踏み出せなくなった。踵を返して、本屋に行ったりした。そうすると進めたのが、自分でも不思議で、腹立たしかった。
勉強だけはやめなかった。語学、歴史、民俗学。自分の学部の勉強は、出来なくなっていた。内容が、まったく頭に入らなかった。それでも、本を読むことは続けた。「俺は頑張ってる。」そうやってごまかすために。

結局僕は、だらだらと7年盛岡で暮らし、大学を中退した。
挨拶に行った先で、ゼミの恩師は変わらず接してくれた。大丈夫だと言ってくれた。
部屋を引き払うとき、大家さんは言った。「長く部屋を綺麗に使ってくれてありがとう。」「きっと大丈夫だよ。」
昔からの友人たちは言った。「また元気に頑張れるよ。」「お前なら出来るって信じてる。」

家族の車で盛岡を去るとき、僕は涙を流した。3月の岩手山は、少しだけ冷たくて、ひどく凛々しかった。また来るかい?、そういった気がした。実を言うと、病院や友人の結婚式など、このあとも信じられないくらい何度も、盛岡には行くことになる。だけど、そのときの僕は、こう思っていた。
「あきらめた色んなことに、きっと盛岡で向き直ることになる」
また(やり遂げに)来るかい?きっと岩手山は、そう言ったのだ。


それから、地元でのごたごたがあって、現在の僕は、盛岡にいた頃よりも体調が悪い。不整脈だのなんだのと、デパートに在庫を増やし、半日元気でいれば合格点の毎日だ。

楽しみはと言えば、今はnoteにつらつら文章を書くことと、推し活、読書くらい。
将棋は好きだが、勝負事はメンタルにはあまりよくない、と時々思う。負けるとへこむ。この世の終わりくらいへこむ。
推し、というのはいいもので、応援してるんだか僕が応援されてるんだかわからない。それくらい活力になる。
noteに文章を書いて一番よかったのは、自分の気持ちが整理できたこと。noteを見ていて楽しいのは、知らなかったことを知れること。良かったことは、このエッセイで、自分の病気について話せたこと。
苦しいと思う毎日に、少しでも楽しさを見つけているのだから、僕は幸せなんだと思う。

今の僕も、たくさんのことが、怖い。
このまま治ることはないんじゃないか。
そういう不安もある。
幽霊はもう怖くない。ホラーさえ好きになった。
地震は前よりも怖くなった。大事なものを奪うから。
ご飯はもうこぼさない、先生はもういない。
失敗は未だに怖い。きっと前よりも怖い。
もう会えなくなること。
今の僕はこれが一番怖い。

たくさんのお別れをした。
傷つけたお別れ、傷つけられたお別れ。
大好きなままのお別れ。
そのどれもが、僕の中に消えずに残っている。

今思えば、あの日の盛岡とのお別れも綺麗なものではなかった。
それでも僕はやっぱり、盛岡が、そこで過ごした挫折の日々が、いとしくて、いとしくてたまらない。

作家になれたら、などと夢見たことがある。今も二日に一回は夢見ている。叶えてくれないか、と神仏に手を合わせている。
もしそれを叶えたら。
落ち着くまではがむしゃらにやるだろう。
そして一段落したら、僕はきっと盛岡に行く。

岩手山の見えるあたりに、小さな部屋を借りる。
中津川の見える店でコーヒーを飲む。
ときどき、遡上してくる鮭を見たりする。
冷麺を啜る。じゃじゃ麺を啜る。わんこそばを飲む。
あの頃通った定食屋は、もうないけれど。
駅前のイルミネーションを見たりする。
冬の朝焼けに、思い出を重ねるかもしれない。
もうあの頃の仲間も、いないけれど。
やり直せはしないけれど。
僕は、いつか盛岡で、今の夢を叶えたい。
傷つけた全てと、お別れした全てのため。
そして、僕自身のために。



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