見出し画像

桜下鬼刃(中)

幸作こうさくの手は、震えていた。
目の前の異形への、恐怖。そしてそれを上回る、怒り。
新兵衛しんべえ兄さんを殺した奴を、許せるもんか。
がちがちと鳴っているのが、自分の奥歯だと気付いた。
それでも、やるんだ。

平太郎へいたろう兄さん、厳爺げんじいさん!桜を、桜を頼む!」

幸作、と平太郎が呼びかけるのを、厳爺さんが制した。
「わしも残ろう。二人がかりなら時間も稼げる。あれは、人ではないだろう。」
「…わかった。」
そう言いながら平太郎は、桜を厳爺さんに渡す。
「俺が残る。」
「平太郎、何を…。」
「桜。」
平太郎は桜の目を見つめ話す。
「兄ちゃんたちも、必ずあとから行くよ。この爺さんと、一緒に行くんだ。」
「いやだ…いやだ…。」
桜はぽろぽろと涙をこぼす。
「大丈夫。厳爺さんは銃の名手でとっても強いし、妖怪や化け物にも詳しくて、頼りになるんだ。」
「ちがう、ちがうの。お兄ちゃん、いやだ、いやだよぅ…。」
平太郎は厳爺さんに目配せする。厳爺さんはため息をつき、桜を連れ走り出す。桜の泣き声が、遠ざかっていく。

「…よく待ってくれたな。人外にも心はあるのか?」
平太郎は刀を構えながら、女に話しかける。弓矢を構えた幸作と女は、微動だにせず見つめ合っていた。
「いやいや、面白くてのぅ。」
「…何が面白いのか、訊かないよ。」
平太郎は一瞬で間合いを詰める。刀ですぐさま女の首を刎ね飛ばす。
女は、その場に崩れ落ちた。
「やった!」
幸作は声をあげる。
「幸作、弓矢を離すな。」
いつの間にか幸作の隣に来ていた平太郎が言う。
「すぐに起き上がるぞ。」
「その通りじゃ。」
首のない女が立ち上がる。自身の首を拾い上げ、二人に近づいてくる。
切り離された首から、声がする。
「大きい方、平太郎といったか。お主、武士か何かか?」
「…どうだっていいだろう。」
「それもそうだ。だが、これから死ぬ人間に興味を持ってもいいだろう。」
女は笑いながら、自分の首を投げつけた。首はまっすぐ幸作の方に向かってくる。
幸作は矢を放ち、首を射抜く。再び顔を覆っていた布がとれ、数多くの目玉が露出する。
「…化けもん。」
幸作が呟く。そうしている間に、女は体だけで平太郎に襲い掛かる。幸作もそれに気づき、弓矢を構える。
恐ろしいほどの速さで、女は平太郎に攻撃を加えようとする。平太郎も、人間業とは思えぬ刀さばきで、女の攻撃をさばきながら、反撃の機会を狙っている。
「…だめだ、撃てねえ。速過ぎる。」
自身の弓矢の腕前では、平太郎に当ててしまう。だが、このままでは平太郎が危ないかもしれない。
「幸作!」
平太郎が幸作に呼びかけ、目配せする。幸作は、昔から平太郎の意図をくむのが上手かった。駆け出し、身を隠す。
「…もう一人は逃がすのか。二人がかりでも問題ないのだぞ?」
女の首が笑う。平太郎は、その首を刀に突き刺し、言う。
「お前は、俺たち兄弟を知らない。そして、人間を知らない。」
平太郎は、女の胴体から離れた。刀の先の首を、胴体に向かって放る。
「…返してくれるのかぇ?」
女は首を拾い上げる。その瞬間、女の腕に矢が突き刺さる。
「…ほぉ、逃げたわけでは…」
女を取り囲むように、一斉に矢が放たれる。見ると『式神』たちが持っていた弓矢が、ひとつもない。
「…増援か、いつの間に。」
「いいや?ここにいるのは、俺たち兄弟だけさ。」
平太郎は刀を構えたまま、女を見据える。
「もしや、罠か?」
そうだ、と平太郎は言う。既に数多の矢が女に刺さっている。あれほど速かった動きが、鈍くなっている。
「幸作は、昔から罠を作るのが上手くてな。狩りの腕もなかなかのもんだ。」
女の胴体は膝をつき、動くのをやめた。多くの矢が刺さり、動けなくなっているのだ。
「やるのぅ、小僧ども…。」
女の首が笑う。平太郎はその首を、何度も、何度も切り刻んだ。
「…言い忘れたよ。」
胴体のみになり、声を発せない女に、平太郎は言う。
「うちの次男が世話になったな。絶対に許さねえ。」
胴体を縦に真っ二つにした。それは、その場に落ち、動かなくなった。

「平太郎兄さん、やったな!」
幸作が茂みから出てくる。
だが、平太郎は不安を拭えずにいた。まだ、足りないのではないか。不安が頭をよぎる。
平太郎は、女の胴体に目をやる。動く気配はない。
切り刻んだ女の首も同様だった。
それでも、何かが平太郎を不安にさせる。

「いい勘だのぅ、平太郎。」
何処かから、女の声がした。平太郎は刀を、幸作は弓矢を構える。
「だが、いささか惜しかった。」
女の声は、血溜まりから聞こえている。血が、人の形を作りながら盛り上がっていく。そしてそれは、傷ひとつない陰陽師の姿に戻った。
「実に興味深い兄弟だ。さっきは何と言ったか。人間を知らない、だったか?」
女は二人に向かって歩いてくる。幸作が矢を放つが、止まる気配はない。
「お主らも『鬼』を知らなかった。それが敗因よ。」
女は幸作を殴りつけた。その強大な力に、幸作は地面に叩きつけられる。
「幸作!」
女は平太郎の首を掴み、平太郎を持ち上げる。
「…がっ、ぐ…。こ、うさく。にげ、ろ。」
「もう死んでおるよ。手加減ができず、すまないね。」
幸作は、もう動かない。平太郎は、刀で女の腕を斬りつける。だが、その力は一向に緩まない。
「面白い男だ。なおも諦めぬか。」
女はひどく嬉しそうに、にっこりと笑う。平太郎は、なおも女を斬ろうとする。
「いいのぅ、いいのぅ!お主ら兄弟は『諦める』ことを知らぬ。美しい人間だ、いいのぅ、いいのぅ!」
女は首を締め上げる力を強める。その瞬間、平太郎の刀が、女の腕を斬ることに成功した。
「…がっ、は…。」
平太郎は呼吸を整えながら、刀を構えなおす。
「…やるのぅ、平太郎。」
「…お前、『鬼』なのか?なぜ、桜を狙う?」
問いながら平太郎は考えていた。血が本体ならば、斬っても無駄だ。どうする、どうする、どうする?
「『鬼』はな、同族にしか殺せぬのだ。だからこそ、同族は幼いうちに殺しておかねばならぬ。いつか、私に害をなすかもしれぬからな。」
「へえ…。」
平太郎は答えながら、覚悟を決めた。同族にしか殺せぬならば、俺にできることは時間稼ぎしかない。厳爺さんが、できる限り遠くに桜と逃げてくれることを信じて、戦うしかない。

平太郎は、名のある人斬りだった。
朝廷の依頼で、あるときは大金持ちの依頼で、誰でも斬った。
あるとき、依頼され自分が斬った男に、娘がいることを知った。その娘は病を患っていた。帰ってこない父親を心配して、病をおして探しに出た。その先で盗賊に捕まり、売り飛ばされる寸前だった娘を、平太郎は助けた。
なぜそんなことをしたのか、自分でもわからない。
その娘と暮らし、看病をした。一年足らずで娘は死んだ。死ぬ間際に、娘は平太郎の手を取り、言った。
「あなたはもう、人を殺さなくてもいいの。」
娘は、全て知っていた。平太郎が人斬りであること、父親を斬った人間であること、全てを知っていた。
「今度もきっと、誰かを助けてあげて。私を助けたみたいに。」
娘はそう言い残し、息絶えた。
平太郎は人斬りをやめ、家を捨てた。そうして彷徨ううちに、新兵衛に出会った。遊郭で周囲の人間に裏切られ、罪をなすり付けられていた。遊郭の人間を痛めつけ、新兵衛を引き取った。そして、ともに暮らし始めた。
そうこうしているうちに、幸作に出会った。スリの親玉に売り上げを奪われて、路頭に迷っていた。スリの連中を痛めつけ、売り上げを取り戻した。幸作は平太郎たちを慕い、ともに暮らすようになった。
三人は「兄弟」だった。血よりも強く、濃いものが三人を繋いでいた。
そこに、桜が現れた。
『鬼』だろうと、化け物だろうと、どうでもいい。
うちの末っ子に、手を出すな。

平太郎の刀が、その手を離れた。
女は、その刀を見つけられない。
背中に強い痛みを感じた。そこに、平太郎の刀が突き刺さっている。
「何を、した?」
「俺は昔、こう呼ばれてたんだ。」
刀が平太郎の手に戻っていく。目に見えぬほど細い糸が結び付けられている。再び刀がその手を離れ、その後まもなく女に突き刺さる。
「『奇術師・平太郎』ってな。」
女があたりを見回す。細い糸が、至るところに括りつけられている。
「…さっきの小僧か!」
「言ったろ、幸作は罠を作るのが上手いと。このくらい、さっきの弓矢の罠と合わせて作れるよ。」
刀が平太郎の手を離れるたび、女に突き刺さる。死ぬことはなくとも、痛みは確かにある。
「死なないんだろ?だったらよ」
ずっと俺と遊んでいようぜ。人斬りが、笑う。

「…平太郎兄ちゃん。」
桜は、決戦の地から遠く離れた場所で、平太郎を呼んだ。
「行かなきゃ、行かなきゃ。」
うわ言のように呟く。厳爺さんの手を振り払う。
「これ、言ってはいかん!」
雨は上がり、月が見えている。桜は、厳爺さんを振り返る。その身体は小さな童のものから、瞬く間に変わっていく。
「…お前さん、もしや『鬼』か…?」
厳爺さんは思わず銃を構えた。桜はそれにそっと手を添える。銃は、見る間に花束に変わった。
「…なんと!」
「お爺ちゃん、ありがとう。でも、行かなきゃ。」
桜は、あっという間に大人になった。そして、その額には、一本の角が生えていた。
「…平太郎が、幸作が危ないんだな?」
厳爺さんが、花束となった銃を下ろす。
「幸作兄ちゃんは、もう…。」
桜は唇を噛み締める。そして、厳爺さんを見つめる。
「私はこの夜の間だけ、戦える。だから、行きます。」
「…気をつけてな。平太郎を頼む。」
頷いた『鬼』は瞬く間に、夜に消えていく。
「…わしも、急がねばならんな。」


(下)に続く







いただいたサポートは、通院費と岩手紹介記事のための費用に使わせていただきます。すごく、すごーくありがたいです。よろしくお願いします。