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桜下鬼刃(上)

「お前さん、行くところがないのか?」
その日、平太郎へいたろうが私を見つけてくれたことを、私は忘れない。
月明かりを背にして平太郎、新兵衛しんべえ幸作こうさくは私を見下ろしていた。
「なら、俺たちと一緒においで。うまい漬物もあるんだ。」
ねえ、みんな。
みんなに会えて、本当にうれしかったよ。


「…降り出しそうだ。」
平太郎は、どんよりと曇った空を見上げて呟いた。
幸作に目配せする。幸作は作業小屋の新兵衛に声をかける。
「新兵衛兄さん、どうせまた寝てんだろ。帰ろう、雨になる。」
地鳴りのようないびきが途絶え、新兵衛の声がする。
「帰って飯にしよう、飯。」
「お前は飯のことしか考えていないのか。」
平太郎は苦笑いをする。
「とはいえ、桜が待ってる。急ごう。」
平太郎が駆け出す。幸作と新兵衛もそれに続いた。

月明かりの綺麗な夜、平太郎たちが見つけた少女は、自身の名すら知らなかった。捨て子か、はたまた記憶を失ったのか。放っておけなかった三人は、少女を桜と名づけ、自宅に置いておくことにした。
ここは、小さな山村。平太郎、新兵衛、幸作は、血の繋がっていない他人である。だが、苦楽をともにし、他に身寄りもなかったことから、「兄弟」として暮らしていた。「末の弟」幸作は、もともとスリを生業にしていた孤児だった。「次男」新兵衛は、幼いながら、その体の大きさと腕っ節の強さを買われ、遊郭で用心棒をしていた。二人とも、周囲の人間にだまされ行き場を失っていたときに、平太郎と出会った。二人は、平太郎の過去を知らない。それでもいいと思っていた。平太郎に拾われてから、人のあたたかさを知った。優しさを知った。その恩に比べれば、過去などどちらでもよかった。

「桜ー。ただいま。」
平太郎が戸を開けたとき、桜は眠っていた。
「…またか。」
幸作が桜の顔を覗き込む。齢十にも満たないであろう少女は、透けるような肌に、目鼻立ちの整った顔と、異国の人間のような雰囲気を放っている。三兄弟の誰とも似ていない「末の妹」は、一日のほとんどを寝て過ごしていた。
「こういうところは新兵衛兄さんに似てるよな。」
新兵衛は否定もせず、にこにこしている。かわいい「末っ子」が自分と似ているというのがうれしいようだ。
「とりあえず、飯の支度ができるまでは寝かせておいてやろうよ。」
新兵衛の提案に、二人は賛成した。
飯の支度をしながら、平太郎は悩んでいた。
もしかしたら、桜はどこか身体が悪いのかもしれない。医者に見せてやろうにも、今年は村全体が凶作で、金がない。
「…どうしたものかな。」
平太郎がため息をついたとき、入り口のあたりから大きな声がした。
「平太郎、新兵衛、幸作、出てこい!」
三人は顔を見合わせた。戸を開け、外に出る。
そこには、村長をはじめとした村の人間数人と、見知らぬ女が立っていた。
「…何でしょうか?」
平太郎は幸作に目配せした。新兵衛もすぐにそれに気付く。
「お前たちが、『鬼』を匿っていると、この方の占いに出たのだ。その『鬼』を引き渡せ。」
「…その女性はどちらさんで?」
「朝廷が派遣してくださった陰陽師だ。この方によれば、『鬼』のせいで村が凶作なのだ。『鬼』を引き渡せ、平太郎。」
顔の上半分を布で隠した陰陽師が、平太郎に向かって微笑む。その仕草に、平太郎はなぜだか寒気を覚える。新兵衛に小さく合図する。
新兵衛が入り口を、その大きな体で隠した。その隙に、幸作が部屋に入り、桜を起こす。
「…幸作兄ちゃん?」
しー、と指を口元につけ、幸作は言う。
「逃げるぞ、桜。」
入り口では、平太郎がのらりくらりと追及をかわしている。逃げるのであれば、今しかなかった。裏口に走る。

村人たちは、平太郎があまりに上手く追及をかわすので、だんだんと腹を立てていた。
「ええい、『鬼』を出さぬか、平太郎!」
怒号をあげた村長を、陰陽師の女が制した。
「もうよい、村の者達よ。」
その声はしわがれて、老婆のようであった。
「我が『式神』を使おう。」
女が手を上げた瞬間、茂みから幾人もの男たちが姿を現した。手には槍や刀を携えている。
「平太郎兄!桜たちのところに行け!」
新兵衛が咄嗟に近くにあった大岩を持ち上げ、『式神』に投げつける。さらに鍬を振り回して『式神』に立ち向かう。
「新兵衛、必ず追いつけよ!」
平太郎は駆け出した。幸作や新兵衛には何かあったら「厳爺げんじいさん」のところに行くよう言ってある。幸作は足が速い。桜を連れていても逃げられるはずだ。
雲はよりその重さを増していた。雨になる。

幸作は「厳爺さん」のいる川沿いの小屋を目指していた。雨が降り出し、足場が悪い。
平太郎兄さんと新兵衛兄さんは無事だろうか。早く追いついてきて欲しい。幸作は何度も後ろを振り返った。
「…平太郎兄ちゃんと、新兵衛兄ちゃんは?」
桜は今にも泣き出しそうだ。無理もない。
「大丈夫、大丈夫だぞ、桜。兄ちゃんたちも、きっとすぐ来る。」
幸作は、何度も振り返る。二人は、まだ来ない。

「うぉぉぉっ!」
新兵衛は『式神』を投げ飛ばした。十人はいたであろう『式神』は、みな地面に伏せている。村人たちは恐れをなして、陰陽師の後ろに隠れている。
「…やるのお、小僧。」
陰陽師が微笑む。こいつを行かせてはまずい。新兵衛は直感した。
「…おばさん、何者だよ。」
「私か?」
そうさなあ、と言いながら、新兵衛が先ほど投げつけた大岩を、片手で持ち上げる。その岩が、音も立てずに粉砕した。
それを見ていた新兵衛は、腹部に強い衝撃を感じた。陰陽師がいつの間にか新兵衛の腹に刀を突き立てている。
今だ、と新兵衛は陰陽師の両肩を掴む。目の前の「これ」は、おそらく人外のものだ。ここで食い止めねば、皆が危ない。
両肩を掴んだ手を、首に沿わす。そのまま、へし折る。
べきっと鈍い音がして、陰陽師はその場に崩れ落ちた。
ぎゃああ、と村人から悲鳴が上がる。新兵衛はそちらを見て、叫ぶ。
「お前ら、こんなものを連れてきやがって!」
「こんなものとは、心外だのぅ。」
新兵衛は振り返る。首が折れたままの陰陽師が、平然と立ち上がっている。村人たちは、一目散に逃げ出した。村長だけが、腰を抜かしてしまって立てない。陰陽師は、新兵衛の横を通り過ぎ、村長の目の前に立った。
「ひっ、…ば、化け…ひいい。」
「肉が、足りなくてな。すまぬ。」
女は、村長の喉元に、折れた首のまま噛み付いた。めきょ、ばきっ、と音を立て、村長を喰らう。その殆どを喰らい終え、女は首を大きく回す。新兵衛が折ったはずの首が、元に戻っている。
「…化けもんが。」
「おお、そう呼ばれるのも久しぶりだ。長い間、殺されずにいたからのぅ。」
どうにか時間を稼がなければいけない。「厳爺さん」なら、幸作と平太郎、そして桜を守ってくれるはずだ。そのためにも、ここで少しでも、こいつを食い止めねばならない。
「意識が余所に行っておるぞ。」
新兵衛は頭に強い衝撃を感じた。「残した」村長の腕で殴りつけられたのだ。新兵衛はとっさに、女の体を抱き、締め上げる。
「…ふむ。時間稼ぎのつもりか。」
新兵衛は、全身に痛みを感じた。至るところが斬られている。
もう長くないな、と新兵衛は思った。
幸作、平太郎兄。楽しかったな。桜、逃げ切るんだぞ。
俺は、先に逝く。
腕に力を込める。そして、女の顔面に噛み付いた。肉を引きちぎる。
布で隠された顔の上半分が露出した。新兵衛の顔を見つめる、数多の目がそこにあった。
「本当に、化け物かよ。…それでも!」
関係ねえ!新兵衛は叫び、数多の目玉に喰らい付く。
「やるのぅ、小僧!人間を喰ろうたことは数あれど、喰われたのは初めてじゃ!」
女は高笑いをしながら、新兵衛の胸に腕を突き刺した。
新兵衛は、動くことをやめた。その場に崩れ落ちる。
「…面白い男だった。喰らうには惜しいの。」
どれ、と言いながら、女は『式神』の遺体を物色し、喰らい始めた。

幸作と桜のもとに『式神』がたどり着いていた。
彼らは弓矢をつがえ二人を取り囲み、狙いを定めている。
幸作は丸腰である。怯えている桜を抱えたまま逃げ切るのは、この状況では不可能であった。
「畜生…。」
幸作がうな垂れたそのときであった。
ばあん、と発砲音がした。『式神』のひとりが倒れる。
火縄銃を撃ったのは、髭を蓄えた小柄な老人であった。
「幸作、久しぶりだな!」
「厳爺さん!」
『式神』が一斉に厳爺さんに狙いを定める。それでも、老人は平然としている。
「…お前ら、「そいつ」に気がつかなかったのか?」
『式神』が、ばたばたと倒れる。幸作と桜を隠すように立っていたのは、刀を携えた平太郎だった。
「平太郎兄さん、来てくれたんだな!」
「…遅くなった、すまない。」
「…おい。」
厳爺さんが二人に声を掛けながら、平太郎たちが来た方向を指差す。
ずる、ずると何かを引き摺る音。桜は震えている。
「追いついたぞ、小僧ども。」
「幸作、桜を連れて逃げろ!!」
平太郎が刀を構え叫ぶ。厳爺さんは銃を構えた。
そこには、新兵衛の遺体を引き摺った、陰陽師が立っていた。
「新兵衛、兄さん…?」
幸作は、立ち上がれずにいた。あの死体は、新兵衛兄さんなのか?
「幸作、頼む!桜を連れて、逃げろ!!」
「新兵衛兄ちゃん…。」
桜は新兵衛のほうへ行こうとする。平太郎はとっさに桜を抱え上げた。
「それが、『鬼』か…?」
女は音も立てずに新兵衛をこちらに放り投げる。ずうんと音がして、次男は四人の目の前に落ちた。
「その男は面白かった。喰らうには惜しいから、連れてきてやった。」
だから、その『鬼』を差し出せ。
目の前の化け物が笑う。
幸作は、『式神』の弓矢を奪い、すぐに女を撃つ。
「幸作、止せ!」
平太郎が止めるが、幸作は聞こうともしない。
「新兵衛兄さんの仇だ!許さねえ、許すもんか!」
「良い心意気だ、童。」
女が笑う。
雨は、より強くなった。

(中)に続く。


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