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読書感想文『フィフティ・ピープル』


 もっとアウトプットせねばということで、読書感想文書きます。


 『フィフティ・ピープル』は韓国の人気若手作家チョン・セランの作品。その名の通り50人(実は51人)の人生の一コマが描かれる連作短編集で、各章にはそれぞれの名前がつけられています。

 私、連作短編集って好きなんですよね。主観と客観を一度に味わえるじゃないですか。例えばある人が自分なりの理屈で行動をとる。その人にとっては至極真っ当な理屈での行動だったのに、別の章で何も知らない他人から「変な奴」って思われちゃってる。みたいな。そういうとこをいちいち照らし合わせながら読むのが面白い。

 で、作品の特徴の一つは、とある大学病院で働く人たちやその患者が多く登場するということです。
 確かに、病院って身体の内部をみるわけですから赤の他人同士なのに非常に深い交流が生まれざるを得ないし、でもそれが終わればそれぞれの生活に戻っていく、という点ではどの舞台・職業よりもコンセプトに合っているなぁと思います。
 また必然的に事故や病気の話が多く、ときには殺人も起こったり非常に痛ましい話もあるのですが、全体としては温かい余韻の方が大きいかなと思います。


 さて、なんせ韓国人が50人出てくるので覚えられません。巻末には名前の索引がついてるほどですw
 そこで特に印象に残った話について書きます。


 私が特にぐっときたのは「チェ・エソン」の章でした。
 エソンは2人の息子を持つ中年女性で、友達からは「菩薩」と呼ばれるような心優しい人です。次男のお嫁さんユンナが大怪我をしたのをとても心配しています。
 入院中のユンナに、邪気を払うといわれるあずきの入ったお守りを持って行くと、ユンナはあずきのアイスの思い出を話します。エソンはアイスを食べさせてあげようと病院を出、スーパーを何軒も回ってようやく買うことができました。
 そして「見ている人がいなかったら、嬉しさのあまりぴょんぴょん飛び跳ねたかもしれない」との喜びの表現と、ユンナへのエールが記されたあとに、こんな文章で終わります。

 エソンはかつて自分が、どんなに娘が欲しかったかを思い出した。二人のお嫁さんのことを考えていると、娘とあまり違わないという感じがする。子どもが四人だ。四人。菩薩じゃなく、修羅になってでも守ってやりたい子どもが四人いる。そんな子どもたちを守るために、あずきしか持っていないなんて。あずきぐらいしか、ないなんて。

 これ結構すごくないですか?明確に嬉しさを表現した文章のあとで「あずきぐらいしか、ないなんて。」っていう着地のさせ方っていうのが。2分くらいページめくれず見入っちゃいましたね。
 例えばすごく悲しい展開の最後にこれがくるのは、無力感って感じで分かるじゃないですか。
 だけど嬉しい話の最後にこの表現っていうのは、もっと温かな含みがありますよね。なんというか、言葉とは裏腹に微笑みながら言ってるような印象。運命の中で、思い通りにはいかなくても幸せに生きることができている、そして大切な人を幸せにしたいと奔走する、ちっぽけな自分。そんな微力さを受け入れて、自らこの現状を慈しむような、愛おしむような気持ちからの表現だと思いました。型通りの意味に囚われない、繊細な感情の含ませ方、勉強になります。


 また退院したユンナの章では、大学講師であるユンナが学生たちの目によぎる光を「受信の光」と呼んでいて、そうか受信というのは「受けて信じる」と書くんだなぁと気づかされたり。これは訳の力でもあるのかな。

「あなたは違うよ。必要な人だよ」
 ギュイクの目の中をいぶかしさが、それから「わかった」という光のようなものがよぎった。ユンナの錯覚だったかもしれない。あんな言い方だったし。でも、伝えたかったことが確かに伝わったときの光だった。学生たちの目にその光を見出すことは多かった。受信の光、と心の中で呼んでいた。

 

 また人々をつなぐモチーフとして、トカゲのキャラクターが出てきます。最終章「そして、みんなが」ではこのトカゲの映画が上映され、人々がそれを観るのですが、このトカゲというのが絶妙ですね
 犬とか猫とか、哺乳類だと人に近すぎる感じがする。かといって虫や魚では示す範囲が広いし、人と違って飛んだり泳いだり謎が多い。
 爬虫類はその中間にいて、人と同じで地に足はついてる。けど微妙に親しみづらいし、はっきり好き嫌い分かれる存在じゃないですか。飼ってる人もいれば見るだけで無理な人もいて。そんな爬虫類をデフォルメした映画を観るみんな、というのはそのまま、小説の形になった他人の人生に目を向けて読んでる我々読者、という構図と似ているような気がしました。普段の生活では、赤の他人に対して安易に共感したりこいつ無理って思ったり色々あるけど、物語ならばもうちょっと目を向けてみようかなと思える
 自分の体験し得ない人生について考えさせてくれる、味わわせてくれる。そんな文学の意義みたいなものに改めて気づかされる作品でもありました。


 今度は同じ斎藤真理子訳で、大学の講義で知ったチョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』を読んでみようと思います。




【今日のおすすめの一曲】

大滝詠一「恋するカレン」

 この瑞々しさはいつの時代に聴いても新鮮なんでしょうね。もはや曲の中に入り込んで居座り続けたいレベルで心地よい。


 

 

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