あんでるせん心にぐっときて涙もでるほど感動した。のに。

4次元パーラー長崎あんでるせんに行ったのは9日前になる。だんだんと薄れゆく記憶で、オーナー久村さん夫婦のお顔も思い出せないほどになってきた。オーナーの記憶力の凄さのマジックのようなものすごい能力をみて人間の可能性はすごい誰にでもできるとおもわせてくれたのに、、自分の脳ときたらだんだん薄れゆく記憶。。。今オーナー久村さんの顔すら銀河鉄道999の車掌の顔のように黒くてぼんやり目は光ってる感じしか思い浮かばない。だが
心にぐっときて心が動かされて涙がうるうるでてきたんだよなという感覚は思い出せる。
わたしときたらその日の宿命の人に選ばれて書いた絵を当てられる人になったというのに。オーナー久村さんは朝の7:30に書いたという絵をご自分のお財布から小さくたたまれた紙に書いてありました。私は朝の7:30には絵を書くことになることすら思い浮かんでない。しかもお店でも書いてくださいと言われた時に30秒ぐらいで決めた絵をなぜ朝書いて置いておくことができるか。時空を超えて朝一旦その日のだいたい3:30pm頃に行き私が書いた絵を見てきて朝の7:30にもどったのかな。♬とぉ〜きぃ〜を〜かける久村〜♬
その当てられた絵はオーナー財布から今は私の財布へ。大切な御札のようなものとしてあります。人間の脳と他の可能性。意識。結局は自分自身。心にグッときてうごかされるのは本物であること、そしておもいやりがあることかな。♬優しさに包まれたならあきいっとお♬最近同じように心にぐっとくる心動かされることはある。
ウーマン村本さんの数々の発言やらあの昔の原発ネタ漫才。ぐっと心にしみいります。あとなんだったけ。あっ!今日初めてデイサービスの傾聴ボランティアに行ったんだ。そこで91歳のかたの話をきかせてもらいぐっときたんだ。お二人共明るくて今が一番幸せと言ってた。1時間、91歳のかたは人生をかたってくださった。貧乏で着ている服がもう繕えないほどになって上からボロを縫うこと「かまげぶせ」という。着る服がなくて母親のズボンで学校にいき恥ずかしくてみられたくないから一人で遊んでいた思い出とか。ぐっときていた私の耳に、デイサービスからでたときのボランティア先輩たちの会話は「同じ話ししていた」と。でも私はぐっときたのだ。何度きいてもくるだろうか。あの方の伝えたいことはたしかだと思うし自分の琴線にふれたのは感じるものがあったから。

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