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#15 『四国巡礼 お変ろさん』(松山)

話し相手JAPAN TOURとは


『初めてのバイト。時給は、なんと・・・』
  
「どこまで行くんや?」
「とりあえず、まっすぐ。ですかねぇ、しばらく」
「松山でよかったら乗せてってやるで」
「松山にします」

尾道で段ボールハウスを解体した次の日、八十八ケ所めぐりをするつもりは全くなかったが四国に渡った。

なんとなく港にたたずんでいたら海を渡ってみたくなった。理由はない、ただ、なんとなくオレの嗅覚が『四国へ渡れ!四国がお前を呼んでいる!』と嗅ぎ分けた。

今治に着いた時、四国がオレを全く呼んでなかったことに気付いた。嗅覚、壊れてました。あまりの人のいてなさに四国に渡った事を後悔した。

どこを目指したらオモシロイのかもさっぱり分からんまま、看板に書いてた『松山50キロ』をなんとなく見て「アッチかな、まぁ、アッチやな」と歩いてた。

最悪、松山の道後温泉で、豪遊して・・・あ、もう、この頃には、そんな余裕はなかった。

東京を出て2ヶ月、8万円を持って出た全国ツアーの所持金は、なんだかんだで2万円を割り込んでた。いや、途中、名古屋でのアクシデントを考えたら、むしろ2万残ってるのがスゴイ。

ただ、半年間の全国ツアーは、まだ4ヶ月残ってた。どう考えても、近い将来、所持金ゼロの日が訪れる。

なんで・・・半年って決めてんやろ?

なんで・・・8万しか持たずに出てんやろ?

なんで・・・山、越えてるんやろ?

アカン、疑問を持ったらアカン。
疑問をさかのぼってしまうと、なんで大阪から出てきた時、最初にローラースケートなんか滑っててんやろって、って20年前までいってまう。

疑問を持たずに、目の前の道を、ただひたすら前に進む事だけ考えろ、オレ。

松山に向かう道は、山越えの317号線と海岸沿いの196号線があって、山越えの方が距離が短い・・・たぶん。
山越えの道と平坦な海岸線、楽なのは海岸線・・・たぶん。
ただ、もしも海岸線なのに山越えだったら最悪だ。というワケで、消去法から距離の短い「たぶん」を選んだ。

オレが登山家なら、等高線を読みながら山道を避けて旅をするのだろうけど、オレは登山家でもなく、何よりこれは旅でもない。

20kgほどの荷物を担いでると、1kmでも、いや500mでも短い方を選ぶ。ちょっと海でも見ながら歩くか。旅の、ちょっとした寄り道やん・・・とはならない。

いつのまにか雨まで降ってきた。完全にチョイスミス。
海岸線には、なにかしら建物があるが、山越えは、道の両脇の木しかない。
雨宿りで森に入ると「ケモノにやられる」と怯えながら前に進んでた時に、車が止まった。で

「どこまで行くんや?」
「とりあえず、まっすぐ。ですかねぇ、しばらく」
「松山でよかったら乗せてってやるで」
「松山にします。松山でした。」

救世主現る。

更に『話し相手JAPAN TOUR』で、初めてバイトをやる事になった。しかも突然に。

「ちょうどよかった、にいちゃん車の運転出来るか?」
「A級ライセンスばりのテクニックを持ってます」
「ほんまかぁ〜、まぁええわ、納車のバイトするか?」
「バイトっすか?」
「修理に出してる車を取りに行くから、にいちゃんこの車を運転してついてきてくれるか」
「よろこんでぃ!」
「時給は1円な」
「よろこんで・・・ぇ?」

無事に車の納車を終えたが、オレがいなかったら、2台の車、どうするつもりやったんやろ?という疑問も残しながら、甲木(かつき)さんの家に泊めてもらえる事になった。

「遠慮することないからな、宿泊費は50万円な」
「あのぉ、このメシはいくらですか?」
「心配せんでエエ。メシは宿泊費に入っとる」
「そぉですか、ホッとしました」

これは・・・三ノ宮よりもヤバい感じなのか?

50万時間働かな、ここを出られへんのか?
1日8時間しか働かなかったら約170年・・・
頑張って1日20時間働いてやっと68年・・・
この日のバイト料が4円やから・・・
あれ?毎日泊めてもらいながら働いてたら・・・あれ?あれ?

借金って、こうやって増えていく(減らない)のか。

次の日、甲木さんは松山の中心街の大街道という商店街で降ろしてくれた。途中よく行く果物屋で、車から降りずに

「おばちゃ〜ん、バナナ!」

と、叫んで1房まるまる買って「ほれ」とオレにくれた。ドライブスルーバナナだ。
バナナと一緒に、無造作にポケットから1,000円札を5枚取り出して

「これ、バイト料な」
「そんな、バナナももらって多すぎますわ。時給1,250円になってしまいますやん。『話し相手JAPAN TOUR 2000』にちなんで、2,000円だけもらいます。」
「そぉか」

はやいッ!3,000円引っ込めるの早い!!
でも、そっちの方が、なんかアッタカイ感じがした。

「しっかし、バナナの似合う男やなぁ、元気でがんばりや」
「コレがありますから」

1本や2本じゃない、右手にバナナ1房ワシヅカミにしてるんで、なんか無敵な気分だ。

にしても、雨が降ってる山道を歩いてるドコの誰かも分からん男に「乗っていくか?」と声をかけて、その車中で「バイトするか?」と雇用を決めて車を運転させ、家に泊めてメシを食わせ、朝になったら大街道まで乗せて、結局バイト代として5,000円ー3,000円とバナナを1房持たせてアッサリ去っていく・・・

四国2


四国3

甲木さん、フトコロ深すぎひん?


『松山・大街道』

「困ります、営業妨害ですよ!」
「あ、でも、僕、ただの話し相手なんです、占えないんで」
「私、ここで20年やってるんですからね!」
「20年ですか!スゴイですね。僕のは料金も頂いてないので」
「なんなら協会の人呼びますよ」
「え?協会があるんですか?」
「とにかく、ここはダメだから」

噛み合わない。というか聞いてくれない。

松山で一番栄えてるのは(たぶん)大街道という商店街だと思う。その大街道の三越前でツアーを始めようとしたら、ちょっと離れたところにいた『占い』のオバチャンがやってきた。

営業妨害って、オレのは『話し相手』やし、お金もらってないので妨害するつもりないんで、かぶってないと思うねんけどな。
そんなにムキになる事ないやん。

なんか京都の高島屋前で「ココはアカンで、他に行きや」と言われたオバチャンを思い出した。

なんなら、オレのとこに「占って欲しい」みたいな人が来たら、「ここで20年やってる人やで、あの人やったら、いろいろ占ってくれるんちゃう?」と紹介すんのに。

まぁ、なんとなく『協会の人』っていうのが、どういう感じの人が来るのかも見たかったけど、瀬戸内海に沈められてもいややし、無理してココでやる事もないと思い、テーブル出さずに暫く黄昏れてた。

しばらくしたら、オバチャンが移動していった。たしかに、オレが黄昏れてた間、一人もお客さんが来てなかったので、もしかしたらオレ以上に黄昏れてたかもしれない。『占える』人もたいへんやなぁ。

オバチャンが移動して三越前で松山でのツアーが開幕。


『告白』

「わたし1週間前に『中野家』でバイトしてる人に告って返事待ちなんです」

本日、最後の話し相手は、松山大学の女の子2人がやってきて、その一人が恋をしてるという話で盛り上がった。

話題とは特に関係ないけど『中野家』というのは牛丼屋で、あきらかに『吉野家』をパクってるらしく、看板の色使いまで一緒らしい。
コッチの方が営業妨害っぽいんちゃう?

で、その子の告白なのだが・・・

よりによって『中野屋』でバイトしてる人が、バイト中に『中野家』に行き、まず『並』を注文して、他のお客さんがいなくなるのを気にしながらお茶を何回もおかわりして、それでも次々お客さんが来たので

お勘定をする時に告った・・・らしい。

「それ、おかしないか?」
「そぉ、お茶をガブガブ飲んじゃって」
「いやいや、そこじゃなくて、カウンター越しって、告白する状況ではないやろ!小料理屋のママに酔っぱらったオッサンが告白するんちゃうねんから」
「ダメかな?」
「いや、ダメではないし、結婚でもしたら披露宴でバラされるエピソードとしては最高にオモロイけどね」
「大学の後輩なんですよ、なんか気まずくなるのイヤだなぁ」
「キャンパスで告れよ!大学の後輩なら、キャンパスというサイコーの場所があるやろ!」
「なんか思い切れなくて」
「カウンター越しは思い切り過ぎやろ」

いやぁ、オモシロかった。

そんな2人が去って、人通りがなくなった12時頃にテーブルをたたみ、野宿ポイントを探す前に、スグ近くにあった『吉野家』(本家本元の方)に入り、甲木さんにもらった2,000円で、大盛りとコールスローサラダを注文した。

お勘定する前にガブガブお茶を飲んで、他にお客さんはいなかったけど、バイトの女の子には告らずに店を出たら、松山大学の2人がいた。

「泊まって行きます?」
「えッ?」
「わたしが、この子んちに泊まって、わたしんち使います?」
「いやいや、それは、なんぼなんでも・・・そぉ?ええかなぁ?」

結局、3人で寝た。川の字になって、グッスリ寝た。若い女子が2人もいるのに、なんか失礼なぐらいバッタリ倒れてグッスリ寝た。

朝起きたら2人もオレに失礼なぐらいグッスリ寝てた。

四国に渡ったのですが、八十八ヶ所も巡れず、松山の大街道の一ヶ所巡りで終わりました。

結局、女子二人の部屋に泊めてもらい(ルールは、一人暮らしの女子の家には泊まらない)香ばしい出来事は何事もなく、次の日に愛媛大学医学部の皆さんと大いに盛り上がり、次の日に400人集まるダンスパーティーにも呼んでもらい、熱い熱い2日間を過ごしました。

そんな日記に、なぜか一人だけフルネームで名前を書いてて、ちょっとググッてみたら、さすが医学部!!

ちゃんと整形外科医になっていた。しかも、顔があの時のまま・・・ではなかったけど、20年経ったら、こうなるというセオリーよりは、なんか若々しい男だった。

あの時、よく分からないエネルギーで盛り上がったメンバーの

てるくん、がんちゃん、大ちゃん、けんけん、ミッチー、ゆうた、もっくん、ムーン、のりくん、こみちゃん、委員長、そして、フルネームで書いてた亀井くん(名前は伏せておきましょう)

彼らだけではなく、この話し相手JAPAN TOURで知り合ったみんなが、その後、それぞれの20年を過ごしてる。
この投稿を、なんかのキッカケで見てくれて、繋がったらいいんですけどね。

次回は、広島球場の外で野宿をしてた、試合でもないのに突然、球場が盛り上がって、あれ?そういえば・・・で、あの2人に会えました。

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