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#26 もののけ彦(屋久島〜沖縄上陸)

話し相手JAPAN TOURとは


『晴耕雨読』

「屋久島すんごいんすよ」
「お・・・おう」
「機会があったら、ぜひ行ってください!」
「そ、そうやな、機会があったらな」
「で、晴耕雨読という宿にサブローさんという人がいて」
「お・・・おう」
「会ってきてください!」
「そ、そうやな、機会があったらな」

機会は、自分で作るもんですね。

博多の西鉄コンコース前で『話し相手JAPAN TOUR』をやってたのが6月16日からの6月25日までの10日間。
それはそれは沢山の人が話し相手に来てくれたのですが、その中に、慎太郎という、まだストリートで歌い始めたばっかりの男が来て、歌は、まぁ、なんというか、正直、あまり覚えてないんですが、とにかく屋久島ワンダーランドの事を熱く語ってました。
もうひとつ、民宿『晴耕雨読』のサブローさんという人の事も。

そして、なんだか、すごくその事が印象に残ってました。

色んな人に背中を押してもらって鹿児島まで辿り着いて、鹿児島では思わぬバイトをやらせてもらったことで、沖縄に渡るフェリー代よりちょっと多めに財布に入ってたので

これが『機会』だな。屋久島、行ってみよ。となりまして

沖縄に行く前に1泊2日で屋久島行きのフェリーに乗りました。

船は昼過ぎに到着。
民宿の名前が『晴耕雨読』それだけを頼りに歩き始めて20分。すぐに見つかる。

正面玄関から「こんにちは〜」と言っても返事がなかった。ちなみに晴耕雨読とは、晴れたら畑を耕し、雨が降ったら本を読む。というライフスタイルを表現した四字熟語だ。
今日は晴れてるので・・・畑耕してたら宿に居てないやん!と思いながら裏に回ってみる。裏口があったので「こんにちは〜」

「ん?」とサブローさん登場。

たぶん寝てたんでしょう。

いや、そりゃそうだ。民宿のご主人なのだからチェックアウトが済んで、ひと通りの仕事を終えたぐらいの頃、完全に寝てたタイミングで、よく分からん男の登場・・・なのに

10分後には車に乗せてもらって白谷雲水峡へ向かってた。

「せっかく屋久島に来たんだから、屋久島らしいとこ散歩しとくか」

まだ、よく分からん男という肩書きは継続中で、たぶん、東京から(ほぼ)歩いて鹿児島まで来て、そのまま屋久島まで来た慎太郎の知り合いぐらいのレベルだと思う。

白谷雲水峡の駐車場に車を止めて、散歩に・・・いや、これ、散歩のレベルと違うわぁ。
昼過ぎなのに薄暗く濃くて深い緑の森。完全に『もののけ姫』の世界に足を踏み入れてた。自然とお邪魔してます。という気になる。

ただ、サブローさん、サンダル履き。サンダルでお邪魔したらアカンって!という気にもなる。
とはいえ、サブローさんは、サンダルでヒョイヒョイと進んでいく。鹿に会い、滝の水を飲み、屋久杉を見せてもらった。圧倒された。

1時間ほど森の中をアチコチ歩いて「よし、じゃぁウチに帰って酒でも飲んで歌うか」と予想外の展開。

気候的にも野宿できるし、港近くにキャンプ場の看板もあったので、そのあたりで野宿して、次の日に船に乗って鹿児島に戻ろうと思ってた。

ウチ(晴耕雨読)に帰って、サブローさんの男の料理を食べて、酒を片手に宮之浦川沿いのボードウォークに行くと、サブローさんのバンド『ビッグストーン』のみなさんが集まってきて、ずっと、歌ってた。歓迎の歌かと思ってたら練習だと言って歌ってた。

「宿に泊まったら金かかるけど、ウチだったらタダだぞ」

そう言って、サブローさんちでずっと酒を飲んで、朝、鹿児島行きの船に乗った。怒涛の1泊2日
まだ、お酒も残ってる。もう一度来ようと強く思った。いつになるか分からんけど。

屋久島は初めてでした。
屋久島には、特別な『屋久杉』という杉が祀られてるものだと思ってましたが、屋久島に生えてる杉は、全部『屋久杉』でした。
ただ、屋久島では、樹齢1000年以上の杉が屋久杉と呼ばれ、それより若い杉は『小杉』と呼ばれているそうです。『小杉』なんて人間が勝手に呼んでますけど、たいてい500〜600歳なので、小杉にしたら「いやいや、キミら100年程度の寿命しかない人間に、小杉なんて若造扱いされてもなぁ」と思ってるでしょうけどね。

屋久杉の中にいくつもの巨木があり、それらの巨木には固有名詞の名前が付けられていて『縄文杉』もその一つです。
樹齢7200年。
いや、実は、いろいろ説があり、推定2000年〜7200年らしいです。
いや、ちょっと幅ありすぎでしょ。

あの時、サブローさんが連れて見せてくれたのは、白谷雲水峡の近くにあった『弥生杉』という名前がついた屋久杉だと思います。
推定樹齢3000年と言われてます。

一旦森の中に入っていくと、そこに存在してる樹木が、何年生きているという事なんて、正直どうでもいいというか、それほどの迫力があったのは、今も覚えています。
なかなか伝わらないと思いますが

やくしまじかん

ホントに、足を踏み入れてお邪魔したのです。


長崎〜熊本以来の船のハシゴだ。ただ、あの時のハシゴは、居酒屋でいうと軽く2杯ぐらい飲んで「よし、次行こう」って感じだったが
屋久島〜鹿児島(6時間)
鹿児島〜沖縄(25時間)
鹿児島から沖縄までの間に、奄美大島とか徳之島とか沖永良部島とか、いくつかの島に寄るので、どこの店で酔いつぶれたのかを覚えてないぐらいのハシゴだ。うん、例えがよくわからない。


『イルカとクジラ』

「ただいま、進行方向左にイルカが見えます」

船長からのアナウンスが有り、乗客が集まってきた。しばらく見てたがイルカは姿を現さず、みんなが室内に戻ろうとしたタイミングで、一頭のイルカが大きくジャンプした。
船長さんのニクイ演出かと思った瞬間、20頭以上のイルカが船に向かって泳いできた、そして船としばらく並走、いや、並泳。

出てくるタイミング 〜 並泳 〜 入れ違いでのジャンプ。つかの間の「ネイチャーイルカショー」で、乗船客の心ワシづかみだった。

屋久島2

みんな満足して船内に戻っていったのだが、その後、アナウンスもなく小さな5頭のホエールウォッチングが始まった。もう一組、熟年カップルしか見てなかったが、イルカとは違ったゆったりとした泳ぎで、なんなら、船に置いて行かれてる感じの5頭のクジラ。

屋久島3

彼ら的には、置いていかれてるつもりは全くないと思うのだが、イルカ見た後だけに、熟年カップルも心ワシづかまれてない感満載だった。

船長・・・あえてアナウンスせんかったんかな。船長の優しさなんかな。と思ったりした。


『7月20日20時05分沖縄上陸』

えっと、沖縄について・・・ここゴール?
沖縄をゴールに設定してたんやったっけ?
あれ?あんまり決めてなかったけど・・・どうしよう?

正直、歩いて行ける鹿児島で終わった感は、ちょっとあったんです。
4日間歩きっぱなしで、本州最南端の鹿児島に着いて、なんか気持ちよくなってましたから。で、その時に話しかけられたオジサンに、まさかの「最南端は佐田岬よ。まだ、こっから60キロあるよ」と言われて、気持ちよさ吹き飛びました。

その事がモヤモヤっと残ってたかどうか分かりませんが、勢いで船に乗って沖縄に渡った感も否めないのです。
結局、沖縄に1ヶ月半いることになったのですが、それは、鹿児島から沖縄に渡る船賃はあったものの、沖縄から脱出する船賃のことを、すっかり忘れてたという凡ミスからでした。

沖縄から出るためには、お金を作るか、漁師に紛れ込んで船に乗せてもらわないとダメなんです。
『働かざる者出るべからず』
なんです。

どうしようと考えてるヒマはない。

大事なのは、今日の寝床を確保する事だと気づいて、国際通り入り口の『パレットくもじ』の2Fという絶好の吹き抜け?筒抜け?とにかく空を見上げれば、いつでも星空満喫状態の場所に決定。

明日からサミットらしいので「これは完全に職質案件やな」と思いながら就寝。

次回は、沖縄でのこと。

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