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#23 『ハシゴ船』(長崎〜天草〜熊本)

話し相手JAPAN TOURとは


『熊本へのルート』
長崎で、おばちゃんから『ストリートたるもの』の講義?を受けて、おばちゃんには「東京へ行き」と言われたが、東京から来てるので、まずは、鹿児島までどういうルートで向かうかを決めた。

そういえば、五木ひろしの歌で「長崎から船に乗って神戸に着いた〜」ってあったなぁ・・・いやいや神戸戻ったらアカンがな!

長崎から鹿児島へ行くには、まず熊本ばい。たぶん、熊本の人は「熊本ばい」とは言わないだろう。歩いて向かうには、グルっと長崎半島周遊コースになるのだが、周遊・・・遊びやないねん!という思いと、別ルートの島原から熊本に船で入るというコースもあるな、と。

そして、何より博多でバイトで頂いたお金がまだ残ってる。よし、なんか、気分転換に久しぶりに船や!となった。

本州から四国に渡った(三原港〜今治港)時と、四国から本州に渡った(松山港〜呉港)以来の船だ。しかも、今回は、船のハシゴや!!

日記には、7月3日の行程が書いてた。

長崎駅〜茂木港(8キロ)歩く
茂木港〜富岡港(1時間ほどの船旅)
富岡港〜鬼池港(18キロ)ひたすら歩く
鬼池港〜口之津(30分ほどの船旅)
口之津港〜島原港(45キロ)途中『有家駅前』で野宿(7/3)

ちなみに、途中の有家駅前での野宿が、前回書いたコインランドリーでの『メリーさんのひつじ』地獄です。(挿し絵が追加されてます

島原港から熊本港に渡り、ようやく長い長い長崎から抜け出て、あ、別に嫌なイメージはないのだが、とにかく暑かった。

『木村さん』

「乗っていくかね。市内の方へ行くけど」

熊本港から市内に向って歩いてた。
自動車保険の会社に勤める木村茂さんは50才を少し過ぎた、元気なオジサンだった。

「訳があって歩いてるんだろうとは思うんだけどもね、迷惑じゃなかったら、乗ってかないかね?」

「全く迷惑ではありません」

「さっきね、港へ行く時も見かけたんだけどもね、帰りも歩いてるもんだから、よく歩いてるなぁーと思ってね。なんか話してみたくなって、声かけてみたんだ。」

今治から歩いてた時の甲木さん、佐賀で歩いてた時の秋山さん、そして今回の木村さん。なんやろ?出てるのかな、乗せたいオーラ。

「自己紹介してなかったね、そのダッシュボードの上に、わたしの名刺があるでしょ?」
「これですか?」
「そうそう。あらぁ〜今日は暑かったからプラスチックの名刺入れが溶けて形が変形しちゃてるね、まいったなぁ」
「めちゃくちゃ変形してますね」
「まぁ、去年からなんだけどね。ギャハハハハハァ」
「ギャハハハハァ・・・」

「あッ、福島さん、タバコを吸うんだったらそこにあるからね、遠慮なく吸って下さいね」
「あッ、ありがとうございます。」
「まぁ、去年のなんだけどね。ギャハハハハ・・・」
「・・・アハハハ・・・ハ?」
「あれぇ、やっぱり2回目はダメだね」

なんともイヤミのない、とにかく楽しい人で、楽しそうに笑う人だった。

「わたしね、自動車の保険を取り扱ってるんだけどね、この間、駐車場内で事故した人がいてね、駐車場内ってのは事故証明が取れないんだわぁ。で、こっちで処理するってなって、当てられた方の人に説明して『おたくの写真を3枚送ってくれんかね』って言ったの。あと『お手数だけど、3枚とも角度を変えてね』ってお願いしたの。そしたら次の日に送ってきたのよ、3枚の顔写真。その人、ご丁寧に3枚とも角度きっちり変えて。これは実話だからね、おっかしいでしょ、福島さん」

流れるようなネタ、いや、もちろん事実なんでしょうけど、何回も人に喋ってるからテンポといい、間といい、完璧に仕上がってた。

「福島さんは、お笑いをやってんですか?」
「そうなんですよ」
「それだったらこのネタ使えないかね?」
「ネタですか?」
「わたしね、菜食主義なんだけどね、野菜不足なんだわ。ベジタリ(足り)ヤーンってね」
「使わしてもらいます、機会があったら」

たぶんナイとは思うけど。

木村さんは市内で降ろしてくれるまで、ずっと喋ってた。話してみたくなって声をかけてくれたので、ホントに話してた。
ずっと笑ってたし、笑わしてくれた。熊本港から15分ほどだったが、楽しい時間だった。

「あッ、そうだ、福島さん、昨日ね、ヘビ捕まえたんだわ、そりゃぁもぉ、でっかいヘビでね」
「(これは、きっと・・・)」
「ヘビー級だもんね」
「(ビンゴッ!)機会があったら、使います」
「いやー、楽しかった。声かけてヨカッタよ。コレ、とっといて」

5,000円と去年から置いてあると言ってたが、たぶんさっき買ったばかりタバコを握らせてくれた。吸わないタバコだが、なんとなくいただいた。

熊本2

声かけてヨカッタと言ってもらえたのが嬉しかった。
喋ってたたのは、8割木村さんやったんで、本来なら、コチラが払わないといけないぐらいの喋りの割合だ。中身のギャグは別として。

お金はもちろんうれしい。けど、どぉ表現したらええんやろ。
九州に入って持ってきたお金がなくなってから、お金に対する価値観とか、ありがたみとか、改めて、対価としていただくべきものというのを痛感した気がする。

なにはともあれ、木村さんのネタを披露する機会が、こんな形で巡ってきたのも良かったと思う。


『雲仙普賢岳』


遺す事が正しいのかどうか分からないが、屋根まで埋まった家のすぐ横には温泉があって、お土産を買ってるおばちゃんがいて、土石流の上に作った公園を整備してるおっちゃんがいて、その公園で洗濯をして乾くのを待ってるオレがいた。

あれから何年が経つんやろ?雲仙普賢岳の噴火からも、阪神淡路大震災からも。そして三宅島の噴火からも。ホントの意味での復興は終わったんかなぁ?

島原港から熊本港に渡る前、土石流にのみこまれた家がそのままになってた公園があったと記憶しています。
そこが、何という公園だったのか、また、土石流に埋まった家は、被害を風化させないための遺構として遺されていたのか詳しくは知らないで、というより、あの頃は、詳しく知ろうとしなかったのだと思う。

雲仙普賢岳の噴火。
1991年5月から頻繁に噴火による火砕流が起こり、6月3日に大規模な火砕流で43名の死者・行方不明者を出しました。
その9年後、東京から『話し相手』をしながら島原で休憩をしてた時、目の前にあったのは、屋根しかない家ではなく、屋根までが埋まった家でした。そんな家を見た恐怖とか感じた事は、この時の日記には詳しく書いてませんでした。

あれから9年後に見た自然災害の恐ろしさを、屋根までが埋まった家(遺構)を見て『遺す事が正しいのかどうか分からないが、屋根まで埋まった家のすぐ横には温泉があって、お土産を買ってるおばちゃんがいて、土石流の上に作った公園を整備してるおっちゃんがいて、その公園で洗濯をして乾くのを待ってるオレがいた。あれから何年が経つんやろ?雲仙普賢岳の噴火からも、阪神淡路大震災からも。そして三宅島の噴火からも。ホントの意味での復興は終わったんかなぁ?』と、書いてるのを読んで、自然災害を自分事としては感じてなかったんだなと思います。

阪神淡路大震災よりも前に雲仙普賢岳の噴火が起きて火砕流での被害があったという時系列さえも、自分の中で曖昧になっていました。

阪神淡路大震災が1995年。上京して、THE・NEWSPAPERというコント集団で舞台に立ってました。だから、という言葉が正しいかどうか分かりませんが
舞台に立ってました。だから、実家が大阪にあり・神戸に兄夫婦が住んでましたが、故郷には帰りませんでした。

2011年に東日本大震災があり、人生で初めてボランティア活動というものを経験しました。
その後、鬼怒川の氾濫、広島土砂災害、熊本地震、大阪北部地震、西日本豪雨など大きな災害が立て続けにあり、毎年、いくつも大きな自然災害に見舞われています。

2011年3月8日にWOWOWシナリオ大賞という(たぶん)大きな賞をいただきました。その後、脚本や演出の仕事がありました。けれど、という言葉も正しいかどうか分かりませんが
けれど、ほぼ1年、宮城県石巻市から帰りませんでした。もしかしたら、帰れませんでした。かもしれませんが。

また、別の機会に、この note でも舞台【イシノマキにいた時間】の話が出来ればなぁと思っています。

次回は鹿児島に到着です。




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