Le récit-取材ライター

外資系メーカーの広報を経て、フリーランスのライターに/「多様な生き方や価値観」・サステ…

Le récit-取材ライター

外資系メーカーの広報を経て、フリーランスのライターに/「多様な生き方や価値観」・サステナビリティをテーマに、DE&I、人権、人事、環境・エネルギー領域で取材・執筆活動を展開/得意分野は人物取材/仕事の傍ら、エッセイも/5歳児の母

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【自己紹介】多様な価値観・生き方を描くライター・翻訳家

"Le récit” (ル・レッシー)とは、フランス語で「物語」という意味。どこでどんな環境に生まれ、どのような人たちと出会ってきたか。何が好きで、何が嫌いか。どんな目標をもって、人生を歩んできたか。この世界には人の数だけ物語があります。そんな一人ひとりが奏でる物語をカタチにしていきたいと考え、私はライターの道を選びました。 はじめまして。ライター・翻訳家の岩村千明です。noteやTwitterでは、"Le récit” (ル・レッシー)という名前で活動しています。 外資

    • ある「言葉」によって何気ない日常のひとこまが愛おしく思えた話

      無機質な携帯のアラーム音で朝を迎える平日とは違い、休日はたいてい息子の「ママ、起きて~!」の声で目を覚ます。優しく甘えるような声で私の名を呼ぶことはごく稀で、だいたいの場合、音量MAXといわんばかりの大声で「パパ、ママ、朝だよ!早く起きて!」と繰り返す。 保育園の日は起こしてもなかなか起きないくせに、休日に限って早起きなのだ。子どもが3歳を過ぎた頃から、金曜日の夜は少し夜更かしをして自分の時間を楽しむようになった私たち。正直、朝7時前に子ども“起きてコール”、私たちどちらか

      • 子どもの運動会で大転倒 失敗を成長の糧に

        先日、約20年ぶりにケガらしいケガをしてしまった。 こともあろうに、息子の運動会で・・・だ。 コロナ禍で乳児クラスの行事はことごとく中止になっていたので、まさに3年ぶりの運動会。子どもたちも嬉しそうで、普段は登園時に泣いている子も、ニコニコ笑顔で両親に手を振りながら先生のもとへ駆けていく。そんな光景は、朝から私の心を温めてくれた。 いざ競技が始まると、表情をキュッと引き締める子もいれば、嬉々として観客を見つめる子、逆に恥ずかしそうにうつむいている子や泣き出してしまう子も。

        • 私の“こうあるべき”と母の存在

          「お母さんみたいになりたくない!」と言い放ったのは、私がいくつの時だっただろう。中学生、もしかしたらすでに高校に進学していたかもしれない。いつ頃だったか記憶はぼんやりとしているが、車を運転する母の横顔が寂しそうに笑っていたことだけは鮮明に覚えている。 あれから20年以上の歳月が経ち、私も親になった。そして、気付いた。自分がどれほど“母の存在”にとらわれていたのか、ということに。 平凡でつまらなそうにみえた母の人生 “ど田舎”とまではいかないが、スタバやTSUTAYAま

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        【自己紹介】多様な価値観・生き方を描くライター・翻訳家

          「自分に優しく生きよう」と決めた日

          “Don’t criticize yourself too much” ―いまから15年ほど前、アメリカで参加したキリスト教のリトリート(修養会)で掛けられた一言だ。直訳すると、「自己批判的になりすぎないで」といったところか。 私自身はキリスト教徒(クリスチャン)ではないが、通っていた学校がルター派の市立大学であり、そこで知り合った友人たちも大半がクリスチャンであった。そんな環境で暮らしていく中で宗教が密接に生活や文化、政治経済に関わっている彼ら/彼女らの生き方に興味がわき

          「自分に優しく生きよう」と決めた日

          「過ぎ去りしもの」と「自分の居場所」

          10代後半から20代前半にかけて、詩を書いていた時期がある。人に見せるのは照れ臭いので、長いことパソコンの中に眠っていたのだが、先日ふと思い出し読み返してみた。 2年間のアメリカ生活を終え、帰国した直後に書いた「過ぎ去りしもの」という作品。そこには、過去への執着と「前に進みたい」という気持ちの間で揺れ動く自身の葛藤が綴られていた。 環境が変わるときに誰しもが味わう心境かとも思う。だが、思い返せば、私は昔から「過ぎ去りし日々やもの」に対して人一倍敏感だった気がする。 幼稚

          「過ぎ去りしもの」と「自分の居場所」

          「違和感」と向き合い自己対話を重ねることで見えた世界

          「で、あなたはいったいどうなりたいの?」 外資系メーカーの広報として働き始めて4年目の夏。当時の上司が氷のように冷たい眼差しを私に向けて、そう言った。いつものように抑揚のない声。けれど、その声や態度には部下に対する不満や苛立ちがにじみ出ていた。 あの頃、私はこの会社で自分のキャリアビジョンを描けずにいた。人事考課の面談で上司に今後のキャリアプランを尋ねられる度に、言葉に窮してしまう。1年後、3年後、5年後に、どうなっていたいのか。上手く想像できなかった。 自分の"好き

          「違和感」と向き合い自己対話を重ねることで見えた世界